na khalu punar ānanda sukhāvatyāṃ lokadhātau sattvā audārikaṃ kavaḍīkārāhāram āharanti / api tu khalu punar yathārūpam evāhāram ākāṃkṣanti tathārūpam āhṛtam eva saṃjānanti / prīṇitakāyāś ca bhavanti prīṇitagātrāḥ / na teṣāṃ bhūyaḥ kāye prakṣepaḥ karaṇīyaḥ /

また、実に、アーナンダよ、極楽世界における衆生たちは、粗大な物質的食物をとらない。そうではなくて、どのような食物を欲しようと、まさにそのとおりのものをとったと感知し、身体は飽満し、四肢が飽満する。かれらには、それ以上、身体にとり入れる必要がないのである。

'And again, O Ānanda, in that world Sukhāvatī, beings do not take food consisting of gross materials of gravy or molasses; but whatever food they desire, such food they perceive, as if it were taken, and become delighted in body and mind. Yet they need not put it into their mouth.

ཀུན་དགའ་བོ་འཇིག་རྟེན་གྱི་ཁམས་བདེ་བ་ཅན་གྱི་སེམས་ཅན་དག་ཁམ་གྱིས་ཟ་བ་རགས་པའི་ཁ་ཟས་མི་ཟའི། ཁ་ཟས་རྣམ་པ་ཇི་ལྟ་བུ་འདོད་པ་རྣམ་པ་དེ་ལྟ་བུ་འབྱོར་བ་ཉིད་དུ་ཤེས་ཏེ། ལུས་ཚིམ་པར་འགྱུར། གཟུགས་ཚིམ་པར་འགྱུར་རོ། །དེ་དག་ཡང་ལུས་ལ་འཇུག་པར་མི་བྱེད་དོ། །

kun dga' bo 'jig rten gyi khams bde ba can gyi sems can dag kham gyis za ba rags pa'i kha zas mi za'i/ kha zas rnam pa ji lta bu 'dod pa rnam pa de lta bu 'byor ba nyid du shes te/ lus tshim par 'gyur/ gzugs tshim par 'gyur ro/ /de dag yang lus la 'jug par mi byed do/ /

阿難陀よ、極楽世界の衆生等は、食慾に対して粗食を食わない。願う所のいかようの食物の種類も、そのような種類を得ることを知って、身を慰めることとなろう。身相を慰めることとなろう。

仏言。阿弥陀仏及諸菩薩阿羅漢欲食時。即自然七宝机。劫波育罽畳以為座。仏及菩薩皆坐前。悉有自然七宝。鉢中有百味飲食。飲食者亦不類世間。亦非天上。此百味飲食。八方上下。衆自然飲食中精味。甚香美無比。自然化生耳。欲得甜酢在所欲得。諸菩薩阿羅漢中。有欲得金鉢者。有欲得銀鉢者。有欲得水精鉢者。有欲得珊瑚鉢者。有欲得虎珀鉢者。有欲得白玉鉢者。有欲得車&T027012;鉢者。有欲得馬瑙鉢者。有欲得明月珠鉢者。有欲得摩尼珠鉢者。有欲得紫磨金鉢者。随意即至。亦無所従来。亦無供養者。自然化生耳。諸菩薩阿羅漢皆食。食亦不多亦不少悉平等。亦不言美悪。亦不以美故喜。食訖諸飯具鉢机座。皆自然化去。欲食時乃復化生耳。諸菩薩阿羅漢。皆心浄潔。所飲食但用作気力爾。皆自然消散摩尽化去

仏は仰った。 「阿弥陀仏や菩薩・阿羅漢たちが食事をしたいと思うと、自然の七宝で出来た机と木綿の敷物が(現れ)座席となる。 仏と菩薩が皆坐ると、それぞれの前に自然の七宝の鉢が現れる。(鉢の)中には百味の食べ物・飲み物がある。(その)食べ物・飲み物は、この世の物とも異なるし、天上の物でもない。これら百味の食べ物・飲み物は、八方上下(の世界)のあらゆる自然の食べ物・飲み物の中で最高の味をもち、比べようのないほどとても香しく美味しいものが、自然に生じたものなのである。甘いものでも酸っぱいものでも思いのままに得られる。 菩薩・阿羅漢たちの中には、金の鉢が欲しい者もいるし、銀の鉢が欲しい者もいるし、水晶の鉢が欲しい者もいるし、珊瑚の鉢が欲しい者もいるし、琥珀の鉢が欲しい者もいるし、白玉の鉢が欲しい者もいるし、車渠の鉢が欲しい者もいるし、瑪瑙の鉢が欲しい者もいるし、明月珠の鉢が欲しい者もいるし、摩尼珠の鉢が欲しい者もいるし、紫磨金の鉢が欲しい者もいるが、それぞれの思いのままにすぐさま現れる。それらはどこから(持って)来るのでもなく、誰かが供養するのでもない。自然にすっと現れるのである。 菩薩・阿羅漢たちはみな食事をする。その食事は多からず、少なからず、全く平等である。(彼らは食事の)善し悪しを言わないし、美味しいからといって喜んだりはしない。食べ終われば、食事の道具・鉢・机・座席はみなすっと消え去り、食べたくなると、またすっと現れる。 菩薩・阿羅漢たちはみな心が清らかで、飲食物も(本当に食べる訳でなく)ただ気力を出させるためのもので、(口にいれた飲食物も)みなすっと消え去り、なくなってしまう。」

◎仏言無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢欲食時。則自然七宝机。自然劫波育。自然罽&T073554;以為座。無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢皆坐已。前悉有自然七宝鉢。中皆有自然百味飲食。飲食者。亦不類世間飲食之味也。亦復非天上飲食之味也。此百味飲食者。都為八方上下衆。自然之飲食中精味。甚香美無有比。都自然化生耳。其飲食自在所欲得味甜酢。鉢自在所欲得。諸菩薩阿羅漢中有欲得銀鉢者。中有欲得金鉢者。中有欲得水精鉢者。中有欲得琉璃鉢者。中有欲得珊瑚鉢者。中有欲得虎珀鉢者。中有欲得白玉鉢者。中有欲得車&T027012;鉢者。中有欲得瑪瑙鉢者。中有欲得明月珠鉢者。中有欲得摩尼珠鉢者。中有欲得紫磨金鉢者。皆満其中百味飲食。自恣若随意則至。亦無所従来。亦無有供作者。自然化生耳。諸菩薩阿羅漢皆食。食亦不多亦不少。悉自然平等。諸菩薩阿羅漢食。亦不言美悪。亦不以美故喜。食已諸飯具鉢机坐。皆自然化去。欲食時乃復化生耳。諸菩薩阿羅漢。皆心清潔不慕飯食。但用作気力耳。皆自然消散糜尽化去」

若欲食時。七宝応器自然在前。金銀琉璃車&T027012;瑪瑙珊瑚虎珀明月真珠。如是衆鉢随意而至。百味飲食自然盈満。雖有此食実無食者。但見色聞香。意以為食。自然飽足。身心柔軟無所味著。事已化去時至復現。

復次阿難。彼仏国中有微細食。諸有情類嘗無噉者。如第六天随所思念。如是飲食即同食已。色力増長而無便穢。