aparimitaṃ cānanda tasya bhagavato 'mitābhasyatathāgatasyāyuṣpramāṇaṃ yasya na sukaraṃ pramāṇam adhigantum / iyanto vā kalpāḥ / iyanti vā kalpaśatāni / iyanti vā kalpasahasrāṇi / iyanti vā kalpaśatasahasrāṇi / iyatyo vā kalpakoṭyaḥ / iyanti vā kalpakoṭīśatāni / iyanti vā kalpakoṭīsahasrāṇi / iyanti vā kalpakoṭīśatasahasrāṇi / iyanti vā kalpakoṭīnayutaśatasahasrāṇīti / atha tarhy ānandāparimitam eva tasya bhagavata āyuṣpramāṇam aparyantam / tena sa tathāgato 'mitāyur ity ucyate /
また、アーナンダよ、かの世尊アミターバ如来の寿命の量は無量であり、〈〔その寿命の量は〕これほどの劫、あるいはこれほど百の劫、あるいはこれほど千の劫、あるいはこれほど十万の劫、あるいはこれほど千万の劫、あるいはこれほど百・千万の劫、あるいはこれほど千・千万の劫、あるいはこれほど十万・千万の劫、あるいはこれほど十万・百万・千万の劫である〉といって、その量を知ることは容易ではない。そういうことで、アーナンダよ、かの世尊の寿命の量はまさしく無量であり、無際限である。それゆえに、かの如来はアミターユス(無量の寿命をもつ者)と呼ばれる。
§14. 'And, O Ānanda, the length of the life of that Bhagavat Amitābha, the Tathāgata, is immeasurable, so that it is not easy to know its length, so as to be able to say (that it comprises) so many hundreds of kalpas, so many thousands of kalpas, so many hundred thousands of kalpas, so many koṭīs of kalpas, so many hundreds of koṭīs of kalpas, so many thousands of koṭīs of kalpas, so many hundred thousands of koṭīs of kalpas, so many hundred thousands of niyutas of koṭīs of kalpas. Therefore, O Ānanda, the limit of the measure of the life of that Bhagavat is immeasurable indeed. Therefore that Tathāgata is called Amitāyus.
ཀུན་དགའ་བོ་བཅོམ་ལྡན་འདས་དེ་བཞིན་གཤེགས་པ་འོད་དཔག་མེད་དེའི་སྐུ་ཚེའི་ཚད་དེ་ལྟར་དཔག་ཏུ་མེད་དེ། དེའི་ཕྱིར་དེ་ བཞིན་གཤེགས་པ་དེ་ཚེ་དཔག་མེད་ཅེས་བྱའོ། །
kun dga' bo bcom ldan 'das de bzhin gshegs pa 'od dpag med de'i sku tshe'i tshad de ltar dpag tu med de/ de'i phyir de bzhin gshegs pa de tshe dpag med ces bya'o/ /
阿難陀よ、世尊無量光如来の寿命の量はそのように量りなくして、それ故に無量寿如来と名づける。
仏告阿逸菩薩。若欲知阿弥陀仏寿命無極時不。対曰。願皆欲聞知之。仏言。明聴。悉令八方上下。諸無央数仏国中。諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆使得入道。悉令作辟支仏阿羅漢。共坐禅一心。都合其智慧為一勇猛。共欲計知阿弥陀仏寿命。幾千億万劫歳数。皆無有能計知者。復令他方面各千須弥山仏国中。諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆復使得入道。悉令作辟支仏阿羅漢。皆令坐禅一心。合其智慧為一勇猛。共欲数阿弥陀仏国中。諸菩薩阿羅漢。知有幾千億万人。皆無有能知数者。阿弥陀年寿甚長久。浩浩照照。明善甚深。無極無底誰当能知信其者。独仏自信知爾。阿逸菩薩聞仏言大歓喜。長跪叉手言。仏説阿弥陀仏寿命甚長。威神尊大。智慧光明巍巍快善。乃独如是。仏言。阿弥陀仏。至其然後。般泥洹者。其蓋楼亘菩薩。便当作仏。総領道智。典主教授。世間及八方上下。所過度諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆令得仏泥洹之道。其善福徳。当復如大師阿弥陀仏。住止無央数劫。無央数劫不可復計劫。准法大師。爾乃般泥洹。其次摩訶那鉢菩薩。当復作仏。典主智慧。総領教授。所過度福徳。当復如大師阿弥陀仏。止住無央数劫。尚復不般泥洹。展転相承受。経道甚明。国土極善其法如是。終無有断絶。不可極也
仏は阿逸菩薩に仰った。
「君は阿弥陀仏の寿命が無限であることを知りたいか。」
(阿逸菩薩は)応えた。
「願わくば、それについてすべて聞きたく存じます。」
仏は仰った。
「よく聞きなさい。八方上下の無数の仏国の神々や人々・飛ぶ虫・這う虫みなを人間にならせ、みな独覚・阿羅漢にならせて、みんなで一緒に坐禅して心を集中して、その智慧を合わせて、精神力を一つにして、阿弥陀仏の寿命が幾千億万劫歳であるかを計ろうとしても、全く計り知ることができない。
さらに、他方のそれぞれ千の須弥山仏国の神々や人々・飛ぶ虫・這う虫みなを人間にならせ、みな独覚・阿羅漢にならせて、みな一緒に坐禅して心を集中させ、皆でその智慧を合わせ、精神力を一つにして、阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢が幾千億万人いるかを数えようとしても、その数を知ることは全く出来ない。
阿弥陀の寿命はとても長く、ひろびろあかあか、明るくすばらしく、奥深く、果てしない。それを一体誰が知り信じることができよう。ただ仏だけがはっきり知っているのである。」
阿逸菩薩は仏の言葉を聞いて、大変歓喜し、膝立ちし合掌して言った。
「仏は、阿弥陀仏の寿命が大変長く、偉大な超人的力をもち、智慧の光は明々として、すばらしいことを説かれました。なんと(阿弥陀仏)だけがこうなんですね!」
仏は仰った。
「阿弥陀仏がやがて完全な涅槃に入れば、廅楼亘菩薩がすぐに仏になる。さとりへの智慧を把握し、教えることを把握して、世間や八方上下で神々や人々・飛ぶ虫・這う虫を(輪廻から)救済し、さらに皆に仏の涅槃への道を得させる。そのすばらしい福徳は、偉大な師、阿弥陀仏と同じであるはずだ。無数劫、無数劫、数え切れないほどの劫の間留まって、偉大な師(阿弥陀仏)のした通りに行った後、やっと完全な涅槃に入る。
その次に摩訶那鉢菩薩が仏になる。智慧を把握し、教えることを把握して、(衆生を輪廻から)救済することの福徳は、偉大な師、阿弥陀仏と同じであるはずだ。無数劫のあいだ留まっても、やはり完全な涅槃に入らず、次々と(教えを)伝えてゆく。教えはとても輝き、国土はとてもすばらしい。
(阿弥陀仏の)法は、このように断絶することなく、極まることがない。」
仏告阿逸菩薩。若欲知無量清浄仏寿命無極時不也。阿逸菩薩言。願皆欲聞知之。仏言明聴。悉令八方上下。諸無央数仏国中。諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆使得人道。悉令作辟支仏阿羅漢。共坐禅一心。都合其智慧。為一勇猛。共欲計知無量清浄仏寿命。知寿幾千億万劫歳数。皆無有能計知極無量清浄仏寿者也。仏言。復令他方面各千須弥山仏国中。諸天人民。及蜎飛蠕動之類。皆復得人道。悉令作辟支仏阿羅漢。皆令坐禅一心。共合其智慧。都為一勇猛。共欲数無量清浄仏国中。諸菩薩阿羅漢。計千億万人。皆無有能数者也。仏言。無量清浄仏。年寿甚長久浩浩。浩浩照明善甚深無極無底。誰当能信知其者乎。独仏自知耳。阿逸菩薩聞仏言。即大歓喜。長跪叉手言。仏説無量清浄仏寿命甚長。威神大智慧光明。巍巍快善。乃独如是乎。仏言。無量清浄仏。至其然後般泥洹者。其廅楼亘菩薩。便当作仏総領道智典主教授。世間八方上下。所過度諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆令得仏泥洹之道。其善福徳。当得復如大師無量清浄仏。住止無央数劫。無央数劫不可復計劫。不可復計劫。准法大師。爾乃般泥曰。其次摩訶那鉢菩薩。当復作仏典主智慧都総教授。所過度福徳。当復如大師無量清浄仏。止住無央数劫。常復不般泥洹。展転相承。受経道甚明。国土極善。其法如是。終無有断絶。不可極也
仏語阿難。無量寿仏。寿命長久不可称計。汝寧知乎。仮使十方世界無量衆生皆得人身。悉令成就声聞縁覚。都共集会禅思一心竭其智力。於百千万劫悉共推算。計其寿命長遠劫数。不能窮尽知其限極。声聞菩薩天人之衆。寿命長短亦復如是。非算数譬喩所能知也。
阿難。彼仏寿命無量無辺。不可知其劫数多少。声聞菩薩及諸天人寿量亦爾。