無量寿経 Larger Sukhāvatīvyūha
支謙訳(T 361) 基準 昇順
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pūjitva cā te bahubodhisattvā
vanditva pādām amitaprabhasya /
pradakṣiṇīkṛtya vadanti caivaṃ
aho 'dbhutaṃ śobhati buddhakṣetraṃ // 5 //
te puṣpapūṭehi puno kiranti
udagracittā atulāya prītiye /
vācaṃ prabhāṣanti purasta tu nāyake
asmāpi kṣetraṃ siya evarūpaṃ // 6 //
アミタ・プラバ(無量の光明をもつ者)の両足を礼拝し、
右まわりにまわって、このように言う。
『おお、希有なるかな、仏国土は輝いている!』〔と〕。
(六)かれらは、花の包みをもって再び撒き、
心が踊躍し、無比なる喜びによって、
導師の前で言葉を述べる。
『われわれの国土もまたこのようになるように』〔と〕。
6. 'And they cover him again with handfulls of flowers, with thoughts jubilant, with incomparable joy, and proclaim their wish before that lord: "May our country also be such as this."
T0361_.12.0288b05-06
諸菩薩皆大集 稽首礼無際光
遶三匝叉手住 歎国尊無量覚
皆持華散仏上 心清浄称無量
於仏前住自説 願使我刹如此
T0360_.12.0272c25-28
T0360_.12.0272c29-0273a01
咸然奏天楽 暢発和雅音
歌歎最勝尊 供養無量覚
究達神通慧 遊入深法門
具足功徳蔵 妙智無等倫
慧日照世間 消除生死雲
恭敬遶三匝 稽首無上尊
見彼厳浄土 微妙難思議
因発無量心 願我国亦然
T0310_.11.0098b04-07
T0310_.11.0098b08-09
并奏諸天楽 百千和雅音
以献天人師 名聞十方者
究竟威神力 善学諸法門
種種供養中 勤修無懈倦
功徳智慧景 能破諸幽冥
咸以尊重心 奉諸珍妙供
彼観殊勝刹 菩薩衆無辺
願速成菩提 浄界如安楽
T0363_.12.0324a04-05
T0363_.12.0324a06
皆以香花伸供養
礼足旋繞懐敬愛 復讃如来宿願深
積集功徳普荘厳 無量無辺極楽国
諸仏国界雖厳飾 難比如来宝刹中
taiḥ puṣpapūṭā iti kṣipta tatra
cchatraṃ tadā saṃsthihi yojanāśatāṃ /
svalaṃkṛtaṃ śobhati citradaṇḍaṃ
chādeti buddhasya samantakāyaṃ // 7 //
te bodhisattvās tatha satkaritvā
kathā kathentī iti tatra tuṣṭaḥ /
sulabdha lābhāḥ khalu tehi sattvaiḥ
yehī śrutaṃ nāma narottamasya // 8 //
asmehi pī lābha sulabdha pūrvā
yad āgatā smā ima buddhakṣetraṃ /
paśyātha svapnopama kṣetra kīdṛśaṃ
yat kalpitaṃ kalpasahasra śāstunā // 9 //
そのとき、百ヨージャナの傘蓋の形となった。
〔その傘蓋は〕美しい柄があり、よく飾られて、輝き、
仏の全身を覆いつつむ。
(八)かれら菩薩たちは、このように尊崇しおわって、
そこで、満足して、かく語っていう。
『最上の人の名を聞いた衆生たちは、
実によい利得を得た。
(九)われわれも、前世にこの仏国土に来たとき、
よい利得を得た。
見よ、千劫の間に、師によって作りととのえられた
夢のような国土がどのようなものであるかを。
8. 'These Bodhisattvas having thus honoured him, how do they act?—Delighted they pronounce this speech: "Gains by those people are well gained, by whom the name of the best man has been heard.
9. ' "By us also all the gain has been well gained, because we have come to this Buddha country. See this dream-like country how beautiful it is, which was made by the teacher during a hundred thousand kalpas.
T0361_.12.0288b09-10
T0361_.12.0288b11-12
所散華止虚空 合成蓋百由旬
其柄妙厳飾好 悉遍覆衆会上
諸菩薩都往至 諸尊刹難得値
如是人聞仏名 快安隠得大利
吾等類得是徳 諸此刹獲所好
計本国若如夢 無数劫浄此土
T0363_.12.0324a09
T0363_.12.0324a10-11
復以天花供養仏 花散虚空為傘蓋
縦広量等百由旬 色相荘厳無有比
遍覆如来宝刹中
互相慶慰生歓喜
曽於過去百千劫 積集無量衆善根
捨彼輪迴三有身 令至解脱清浄刹
paśyātha buddho varapuṇyarāśiḥ
parīvṛtaḥ śobhati bodhisattvaiḥ /
amitāsya ābhā amitaṃ ca tejaḥ
amitā ca āyūr amitaś ca saṃghaḥ // 10 //
smitaṃ karotī amitāyu nāthaḥ
ṣaṭtriṃśakoṭīnayutāni arciṣāṃ /
ye niścaritvā mukhamaṇḍalātaḥ
sphuranti kṣetrāṇi sahasrakoṭīḥ // 11 //
tāḥ sarva arcīḥ punar etya tatra
mūrdhne ca astaṃgami nāyakasya /
devā manuṣyā janayanti prītiṃ
arcis tadā astamitā viditvā // 12 //
菩薩たちにとりまかれて輝いている。
その光は無量であり、威光も無量である。
寿命も無量であり、また僧団も無量である』〔と〕。
(一一)主であるアミターユ〔ス〕は微笑し、
三十六の百万・千万倍の光焔が、
〔その〕顔面より放たれ、
千・千万の国土を満たす。
(一二)それらすべての光焔は、そこに再び帰って、
導師の頭の中に消えた。
そのとき、光焔が消えたのを知って、
神々と人間たちは喜びを生ずる。
11. 'And the lord Amitāyu makes a smile of thirty-six niyutas of koṭīs of rays, which rays having issued from the circle of his mouth light up the thousand koṭīs of Buddha countries.
12. 'And all these rays having returned there again settle on the head of the lord; gods and men produce (perceive) the delight, because they have seen there this light of him.
T0361_.12.0288b15-16
T0361_.12.0288b17-18
見菩薩遶世尊 威神猛寿無極
国覚衆甚清浄 無数劫難思議
時無量世尊笑 三十六億那術
此数光従口出 遍炤諸無数刹
則迴光還遶仏 三匝已従頂入
色霍然不復現 天亦人皆歓喜
T0360_.12.0273a04-05
応時無量尊 動容発欣笑
口出無数光 遍照十方国
迴光囲遶身 三匝従頂入
一切天人衆 踊躍皆歓喜
世尊知欲楽 広大不思議
微笑現金容 告成如所願
T0363_.12.0324a15-16
爾時彼仏無量寿 化導他方菩薩心
密用神通化大光 其光従彼面門出
三十六億那由他 普照倶胝千仏刹
如是人天普照已 即入如来頂髻中
時会一切諸衆生 敬歎仏光未曽有
uttiṣṭhate buddhasuto mahāyaśā
nāmnātha so hī avalokiteśvaraḥ /
ko hetur atrā bhagavan ka pratyayaḥ
yena smitaṃ kurvasi lokanātha // 13 //
taṃ vyākarohī paramārthakovidā
hitānukampī bahusattvamocakaḥ /
śrutvā ti vācaṃ paramāṃ manoramāṃ
udagracittā bhaviṣyanti sattvāḥ // 14 //
ye bodhisattvā bahulokadhātuṣu
sukhāvatīṃ prasthita buddha paśyanā /
te śrutva prītiṃ vipulāṃ janetvā
kṣipraṃ imaṃ kṣetra vilokayeyuḥ // 15 //
かの大名声のある仏の子は立ち上がり、〔このように言う〕。
『世尊よ、いかなる因由、いかなる機縁によって、
〔おんみは〕微笑されたのか、世間の主よ。
(一四)最高の意義を熟知し、福利と憐愍をもち、
多くの衆生を解脱させる〔おんみ〕は、それを記説したまえ。
おんみの最高に快い言葉を聞いて、
衆生たちは心が踊躍するであろう。
(一五)仏にまみえようと極楽に向かった
多くの世界における菩薩たちは、
〔おんみの言葉を〕聞いて、広大な喜びを生じ、
すみやかに、この国土を観察するであろう。
14. ' "Explain this, for thou knowest the sense, and art full of kind compassion, the deliverer of many living beings. All beings will be filled with joyful thoughts, when they have thus heard this excellent and delightful speech.
15. ' "And the Bodhisattvas who have come from many worlds to Sukhāvatī in order to see the Buddha, having heard it and having perceived the great joy, will quickly inspect this country.
T0361_.12.0288b21-24
T0361_.12.0288b25-26
廅楼亘従坐起 正衣服稽首問
白仏言何縁笑 唯世尊説是意
願授我本空&T040879; 慈護成百福相
聞是諸音声者 一切人踊躍喜
梵之音及雷霆 八種音深重声
仏授廅楼亘決 今吾説仁諦聴
衆世界諸菩薩 到須阿提礼仏
聞歓喜広奉行 疾得至得浄処
T0360_.12.0273a08-09
T0360_.12.0273a10-19
大士観世音 整服稽首問
白仏何縁笑 唯然願説意
梵声猶雷震 八音暢妙響
当授菩薩記 今説仁諦聴
十方来正士 吾悉知彼願
志求厳浄土 受決当作仏
覚了一切法 猶如夢幻響
満足諸妙願 必成如是刹
知法如電影 究竟菩薩道
具諸功徳本 受決当作仏
通達諸法門 一切空無我
専求浄仏土 必成如是刹
諸仏告菩薩 令覲安養仏
聞法楽受行 疾得清浄処
了諸法如幻 仏国猶夢響
恒発誓荘厳 当成微妙土
菩薩以願力 修勝菩提行
知土如影像 発諸弘誓心
若求遍清浄 殊勝無辺刹
聞仏聖徳名 願生安楽国
若有諸菩薩 志求清浄土
了知法無我 願生安楽国
āgatya ca kṣetram idaṃ udāraṃ
ṛddhībalaṃ prāpuṇi kṣipram eva /
divyaṃ ca cakṣus tatha śrotra divyaṃ
jātismarāḥ paramatakovidāś ca // 16 //
amitāyu buddhas tada vyākaroti
mama hy ayaṃ praṇidhir abhūṣi pūrva /
kathaṃ pi sattvāḥ śruṇiyāna nāmaṃ
vrajeyu kṣetraṃ mama nityam eva // 17 //
sa me ayaṃ praṇidhi prapūrṇa śobhanā
sattvāś ca entī bahulokadhātutaḥ /
āgatya kṣipraṃ mama te 'ntikasmin
avivartikā bhontiha ekajātiyā // 18 //
すみやかに、神通力と、
天の眼と、同じく、天の耳とを得るであろう。
また、〔前〕生を想起し、他人の考えを熟知する者と〔なるであろう〕』〔と〕。
(一七)そのとき、アミターユ〔ス〕仏は記説される。
『これは実に、わたくしの前世の誓願であった——
〈衆生たちは、〔わたくしの〕名を聞いて、
どのようにしてでも、まさしく常に、わたくしの国土に到りうるように〉——。
(一八)わたくしの、この卓越した誓願は満たされた。
そして、衆生たちは、多くの世界からやってくる。
かれらは、すみやかに、わたくしのもとに来て、
ここで、一生の間、退転しない者となる』〔と〕。
17. 'Then Buddha Amitāyu preaches: "This prayer was mine formerly, so that beings having in any way whatever heard my name should for ever go to my country.
18. ' "And this my excellent prayer has been fulfilled, and beings having quickly come here from many worlds into my presence, never return from here, not even for one birth."
T0361_.12.0288b29-c01
T0361_.12.0288c02-03
已到此厳浄国 便速得神足倶
眼洞視耳徹聴 亦還得知宿命
無量覚授其決 我前世有本願
一切人聞説法 皆疾来生我国
吾所願皆具足 従衆国来生者
皆悉来到此間 一生得不退転
T0360_.12.0273a21-22
T0360_.12.0273a23
至彼厳浄土 便速得神通
必於無量尊 受記成等覚
其仏本願力 聞名欲往生
皆悉到彼国 自致不退転
tasmād ya icchātiha bodhisattvaḥ
mamāpi kṣetraṃ siya evarūpaṃ /
ahaṃ pi sattvā bahu mocayeyaṃ
nāmena ghoṣena 'tha darśanena // 19 //
sa śīghraśīghraṃ tvaramāṇarūpaḥ
sukhāvatīṃ gacchatu lokadhātuṃ /
gatvā ca pūrvaṃ amitaprabhasya
pūjetu buddhāna sahasrakoṭī // 20 //
buddhānā koṭīṃ bahu pūjayitvā
ṛddhībalena bahu kṣetra gatvā /
kṛtvāna pūjāṃ sugatāna santike
bhaktāgram eṣyanti sukhāvatī ta iti // 21 //
〈わたくしの国土も、このようになるように。
わたくしもまた、〔わたくしの〕名や、音声により、また〔わたくしに〕まみえることによって、
多くの衆生たちを解脱せしめよう〉と望むならば、
(二〇)かれは早く早く大急ぎで、
極楽世界に行くがよい。
そして、アミタ・プラバの前に行って、
千・千万の仏たちを供養せよ。
(二一)千万の多くの仏たちを供養して、
神通力によって、多くの国土に行き、
善逝たちのもとで、供養をなしおわって、
かれは、食前に、極楽に帰るであろう。
20. 'Let him quickly and with speed go to the world Sukhāvatī, and having gone near Amitaprabha, let him worship a thousand koṭīs of Buddhas.
21. 'Having worshipped many koṭīs of Buddhas, and having gone to many countries by means of their miraculous power, and having performed adoration in the presence of the Sugatas, they will go to Sukhāvatī with devotion.
T0361_.12.0288c06-07
T0361_.12.0288c08-09
若菩薩更興願 欲使国如我刹
亦念度一切人 令各願達十方
速疾超便可到 安楽国之世界
至無量光明土 供養於無数仏
其奉事億万仏 飛変化遍諸国
恭敬已歓喜去 便還於須摩提
T0360_.12.0273a26-27
菩薩興志願 願己国無異
普念度一切 名顕達十方
奉事億如来 飛化遍諸刹
恭敬歓喜去 還到安養国
各各倶発菩提心 願出塵労登彼岸
爾時世尊。説此偈已。会中有観自在菩薩。即従座起合掌向仏。而作是言。世尊。以何因縁。無量寿仏於其面門。放無量光照諸仏刹。唯願世尊方便解説。令諸衆生及他方菩薩。聞是語已生希有心。於仏菩提志楽趣求入不退位
爾時世尊告観自在菩薩言。汝今諦聴吾為汝説。彼仏如来。於過去無量無辺阿僧祇劫前。為菩薩時発大誓言。我於未来成正覚時。若有十方世界無量衆生。聞我名号或頂礼憶念。或称讃帰依。或香花供養等。如是衆生速生我刹。見此光明即得解脱。若諸菩薩見此光明即得受記証不退位。手持香花及諸供具。往十方界無辺浄刹。供養諸仏而作仏事増益功徳。経須臾間復還本土受諸快楽。是故光明而入仏頂
atha khalu bhagavāṃs tasyāṃ velāyām imā gāthā abhāṣata //
neme akṛtapuṇyānāṃ
śravā bheṣyanti īdṛśāḥ /
ye tu te śūra siddhārthāḥ
te śroṣyanti imāṃ girāṃ // 1 //
dṛṣṭo yaiś ca hi saṃbuddho
lokanātha prabhaṃkaraḥ /
sagauravaiḥ śruto dharmaḥ
prītiṃ prāpsyanti te parāṃ // 2 //
「(一)福徳を行わない者たちは、
このようにこれら〔の法門〕を聞くことがないであろう。
しかし、勇気があり、目的を成就した者たちは、
この言説を聞くであろう。
(二)そして、実に、等覚者であり、
世間の主であり、光明を放つ方にまみえ、
尊敬して、法を聞いた者たち、
かれらは最高の喜びを得るであろう。
1. 'Such hearings of me will not be for people who have not done good; but those who are heroes and perfect, they will hear this speech.
2. 'And those by whom the Lord of the world, the enlightened and the light-giver, has been seen, and the law been heard reverentially, will obtain the highest joy.
T0361_.12.0288c12-13
非有是功徳人 不得聞是経名
唯有清浄戒者 乃逮聞此正法
曽更見世尊雄 則得信於是事
謙恭敬聞奉行 便踊躍大歓喜
T0360_.12.0273b01-02
若人無善本 不得聞此経
清浄有戒者 乃獲聞正法
曽更見世尊 則能信此事
謙敬聞奉行 踊躍大歓喜
T0310_.11.0101b11-12
T0310_.11.0101b13-14
爾時世尊。而説頌曰
若於福徳初未修 終不聞斯微妙法
勇猛能成諸善利 当聞如是甚深経
彼人曽見諸世尊 能作大光拯濁世
多聞総持如巨海 彼獲聖賢喜愛心
T0363_.12.0326b04-05
T0363_.12.0326b06
爾時世尊而説頌曰
若不往昔修福慧 於此正法不能聞
已曽供養諸如来 是故汝等聞斯義
聞已受持及書写 読誦讃演并供養
na śakya hīnebhi kuśīdadṛṣṭibhiḥ
buddhāna dharmeṣu prasāda vinditum /
ye pūrvabuddheṣu akārṣu pūjāṃ
te lokanāthāṃ caryāsu śikṣiṣu // 3 //
yathāndhakāre puruṣo hy acakṣuḥ
mārgaṃ na jāne kutu saṃprakāśayet /
sarve tathā śrāvaka buddhajñāne
ajānakāḥ kiṃ punar anya sattvāḥ // 4 //
buddho hi buddhasya guṇā prajānate
na devanāgāsurayakṣaśrāvakāḥ /
pratyekabuddhāna pi ko gatīpatho
buddhasya jñāne hi prakāśyamāne // 5 //
仏たちのもろもろの法に対して浄信を得ることができない。
前世の仏たちに供養を行った者たちは、
世間の主たちのもろもろの行を学んでいた。
(四)たとえば、暗闇の中では、人はまさしく盲目であり、
道を知り得ない。どうして、〔それを他人に〕明示し得ようか。
それと同じように、一切の声聞たちは、仏の智について、
知ることがない。まして、他の衆生たちは〔知り得ようか〕。
(五)仏は、実に、仏のもろもろの功徳を知る。
神々・龍・阿修羅・夜叉・声聞たちは〔知ら〕ない。
まさに仏の智が説き明かされるとき、
独覚たちでさえも、どのような了解の道があろうか。
4. 'As a blind man in darkness does not know the way, and much less can show it, so also he who is (only) a Śrāvaka in the knowledge of Buddha; how then should beings who are ignorant!
5. 'The Buddha only knows the virtues of a Buddha; but not gods, Nāgas, Asuras, Yakshas, and Śrāvakas (disciples); even for Anekabuddhas there is no such way, as when the knowledge of a Buddha is being manifested.
T0361_.12.0288c16-17
T0361_.12.0288c18-19
悪驕慢弊懈怠 難以信於此法
宿世時見仏者 楽聴聞世尊教
譬従生盲冥者 欲得行開導人
声聞悉或大乗 何況於俗凡諸
天中天相知意 声聞不了仏行
辟支仏亦如是 独正覚乃知此
T0360_.12.0273b05-06
T0360_.12.0273b07-08
憍慢弊懈怠 難以信此法
宿世見諸仏 楽聴如是教
声聞或菩薩 莫能究聖心
譬如従生盲 欲行開導人
如来智慧海 深広無崖底
二乗非所測 唯仏独明了
T0310_.11.0101b17-18
T0310_.11.0101b19-20
懈怠邪見下劣人 不信如来斯正法
若曽於仏殖衆善 救世之行彼能修
譬如盲人恒処闇 不能開導於他路
声聞於仏智亦然 況余有情而悟解
如来功徳仏自知 唯有世尊能開示
天竜夜叉所不及 二乗自絶於名言
彼仏利楽諸功徳 唯仏与仏乃能知
声聞縁覚満世間 尽其神力莫能測
yadi sarvasattvāḥ sugatā bhaveyuḥ
viśuddhajñānā paramārthakovidā /
te kalpakoṭīr atha vāpi uttare
ekasya buddhasya guṇāṃ katheyuḥ // 6 //
atrāntare nirvṛta te bhaveyuḥ
prakāśamānā bahukalpakoṭīḥ /
na ca buddhajñānasya pramāṇu labhyate
tathā hi jñānāścariyaṃ jinānāṃ // 7 //
tasmān naraḥ paṇḍita vijñajātiyaḥ
yo mahya vākyaṃ abhiśraddadheyuḥ /
kṛtsnāṃ sa sākṣī jinajñānarāśiṃ
buddha prajānā ti girām udīrayet // 8 //
清浄な智をもち、最高の意義を熟知する者となり、
かれらが、千万劫の間、あるいはそれ以上にも、
ひとりの仏のもろもろの功徳を語るとしても、
(七)千万という多くの劫の間、説き明かしながら、
その中間で、かれらが入滅したとしても、
しかも、仏の智の量は〔計り〕得られない。
勝者たちの智の希有であることは、まさに、このようである。
(八)それゆえに、わたくしの言葉を信ずる、
賢者にして、分別のある人は、
勝者の智の集まり全体についての証人として、
〈仏たちは知っておられる〉という語を発するであろう。
7. 'Thereupon they would attain Nirvāṇa, preaching for many koṭīs of kalpas, and yet the measure of the knowledge of a Buddha would not be reached, for such is the wonderfulness of the knowledge of the Jinas.
8. 'Therefore a learned man of an intelligent race who believes my words, after having perceived all paths of the knowledge of the Jinas, should utter speech, saying, "Buddha is wise."
T0361_.12.0288c22-23
T0361_.12.0288c24-25
使一切悉作仏 其浄慧智本空
復過此億万劫 計仏智無能及
講議説無数劫 尽寿命猶不知
仏之慧無辺幅 如是行清浄致
奉我教乃信是 唯此人能解了
仏所説皆能受 是則為第一証
T0360_.12.0273b11-12
仮使一切人 具足皆得道
浄慧如本空 億劫思仏智
窮力極講説 尽寿猶不知
仏慧無辺際 如是致清浄
T0310_.11.0101b23-25
T0310_.11.0101b26-27
若諸有情当作仏 行超普賢登彼岸
敷演一仏之功徳 時逾多劫不思議
於是中間身滅度 仏之勝慧莫能量
是故具足於信聞 及諸善友之摂受
得聞如是深妙法 当獲愛重諸聖尊
如来勝智遍虚空 所説義言唯仏悟
是故博聞諸智士 応信我教如実言
T0363_.12.0326b07
仮使長寿諸有情 命住無数倶胝劫
称讃如来功徳身 尽其形寿讃無尽
如是一心求浄方 決定往生極楽国
kadāci labhyāti manuṣyalābhaḥ
kadāci buddhāna pi prādurbhāvaḥ /
śraddhātha prajñā sucireṇa lapsyate
tasyārthaprāptyai janayātha vīryaṃ // 9 //
ya īdṛśāṃ dharma śruṇitva śreṣṭhāṃ
labhyanti prītiṃ sugataṃ smarantaḥ /
te mitram asmākam atītam adhvani
ye buddhabodhāya janenti cchandam iti // 10 //
ある時には、仏たちが出現することもある。
信も、智慧も、非常に長い時間を経て得られるであろう。
その意義を知得するために〔そなたたちは〕精進をおこせよ。
(一〇)このようにすぐれたもろもろの法を聞いて、
善逝を憶念しつつ、喜びを得、
仏の覚りに意欲を生ずる者たち、
かれらは、過去世において、われわれの友だちであった。」
T0361_.12.0288c28-29
T0361_.12.0289a01-02
人之命希可得 仏在世甚難値
有信慧不可致 若聞見精進求
聞是法而不忘 便見敬得大慶
則我之善親厚 以是故発道意
設令満世界火 過此中得聞法
会当作世尊将 度一切生老死
T0360_.12.0273b15-16
T0360_.12.0273b17-18
寿命甚難得 仏世亦難値
人有信慧難 若聞精進求
聞法能不忘 見敬得大慶
則我善親友 是故当発意
設満世界火 必過要聞法
会当成仏道 広済生死流
T0310_.11.0101c01-02
人趣之身得甚難 如来出世遇亦難
信慧多時方乃獲 是故修者応精進
如是妙法已聴聞 常念諸仏而生喜
彼人往昔真吾友 善能楽欲仏菩提
T0363_.12.0326b08-09
大聖法王所説法 利益一切諸群生
若有受持恭敬者 仏説此人真善友
仮使大火満三千 及彼荘厳諸牢獄
如是諸難悉能超 皆是如来威徳力
tasya khalu punar ānandāmitābhasya tathāgatasyāprameyaḥ śrāvakasaṃgho yasya na sukaraṃ pramāṇam udgṛhītum / iyatyaḥ śrāvakakoṭyaḥ / iyanti śrāvakakoṭīśatāni / iyanti śrāvakakoṭīsahasrāṇi / iyanti śrāvakakoṭīśatasahasrāṇi / iyanti kaṅkarāṇi / iyanti biṃbarāṇi / iyanti nayutāni / iyanty ayutāni / iyanti akṣobhyaṇi / iyanto vivāhāḥ / iyanti śrotāṃsi / iyantyo jayāḥ / iyanty aprameyāṇi / iyanty asaṃkhyeyāni / iyanty agaṇyāni / iyanty atulyāni / iyanty acintyānīti / tad yathānanda maudgalyāyano bhikṣur ṛddhivaśitāprāptaḥ sa ākāṃkṣaṃs trisāhasramahāsāhasralokadhātau yāvanti tārārūpāṇi tāni sarvāṇy ekarātriṃ divena gaṇayet / evaṃrūpāṇāṃ carddhimatāṃ koṭīnayutaśatasahasraṃ bhavet / te varṣakoṭīnayutaśatasahasram ananyakarmāṇo 'mitābhasya tathāgatasya prathamaṃ śrāvakasannipātaṃ gaṇayeyuḥ / tair gaṇayadbhiḥ śatatamo 'pi bhāgo na gaṇito bhavet / sahasratamo 'pi śatasahasratamo 'pi yāvat kalām apy upamām apy upaniśām api na gaṇito bhavet /
たとえば、アーナンダよ、神通の自在を得たマウドガリヤーヤナ比丘は、彼が欲するならば、三千大千世界において、あるかぎりの星の種類のすべてを一昼夜で数えるであろうが、このような神通をもつ者が十万・百万・千万いたとして、かれらが十万・百万・千万年の間、他のことをしないで、アミターバ如来の最初の声聞の集会を数えたとしても、これらの数え手たちによって、百分の一さえも数えられず、千分の一さえも、十万分の一さえも、ないし、極少分でさえも、譬喩〔で示される数〕さえも、近似〔した数〕さえも数えられないであろう。
仏語阿難。阿弥陀仏。為諸菩薩阿羅漢説経竟。諸天人民中。有未得道者。即得道。未得須陀洹者。即得須陀洹。未得斯陀含者。即得斯陀含。未得阿那含者。即得阿那含。未得阿羅漢者。即得阿羅漢。未得阿惟越致菩薩者。即得阿惟越致菩薩。阿弥陀仏。輒随其宿命時。求道心所憙願。大小随意。為説経授与之即令疾開解得。皆悉明慧。各自好喜。所願経道。莫不喜楽。誦習之者。自諷誦通利。無厭無極。諸菩薩阿羅漢中。有誦経者。其音如三百鐘声。中有説経者。如疾風暴雨時。如是尽一劫竟。終無懈倦時。皆悉智慧勇猛。身体軽便。終無痛痒。極時行歩坐起。悉皆才健勇猛。如師子中王。在深山中。有所趣向。時無有敢当者。無有疑難之意。在心所作。為不可予計。百千億万倍。是猛師子中王。百千億万倍。尚復不如我第二弟子摩訶目揵連勇猛。百千億万倍。如摩訶目揵連。於諸国菩薩阿羅漢中。最為無比。飛行進止。智慧勇猛。洞視徹聴。知八方上下去来現在之事。百千億万倍。共合為一智慧。当令在阿弥陀仏国中諸羅漢辺。其徳尚復不及。百千億万倍。阿逸菩薩。即起前長跪叉手。問仏言。阿弥陀仏国中。諸阿羅漢。寧頗有般泥洹去者無。願欲聞之。仏言。若欲知者。如是四天下星。若見之不。阿逸菩薩言。唯然見之。仏言。如我第二弟子。摩訶目揵連。飛上天上一昼一夜。遍数知星有幾枚。此四天下星甚衆多。不可得計尚復百千億万倍是星也。
「阿弥陀仏が菩薩・阿羅漢のために教えを説き終わると、神々や人々の中にそれまでまだ道を得ていない者がいれば、その場で道を得る。須陀洹道をまだ得ていない者は、その場で須陀洹道を得、まだ斯陀含道を得ていない者は、その場で斯陀含道を得、まだ阿那含道を得ていない者は、その場で阿那含道を得、まだ阿羅漢になっていないものは、その場で阿羅漢になり、まだ不退転の菩薩になっていないものは、その場で不退転の菩薩になる。
阿弥陀仏は、これら(衆生)が前世で道を求めていた時の願いの大きさに応じて、自在に教えを説き与え、その場ですぐにはっきり理解させ、すべてに通じた智慧を得させる。誰もがみな願っていた教えを気に入り、喜ぶ。それを繰り返し読誦するものは、一人でよどみなく暗誦し、飽き疲れることを知らない。
菩薩・阿羅漢たちで、経を読誦する者がいるが、その声は三百箇の鐘の音のようであるし、(また)教えを説くものがいるが、あたかも暴風雨の時のような(響きである?)。このようにまるまる一劫の間、まったく倦むことを知らない。
みな智慧あり、勇敢で、体は軽やかで、痛み・痒みといった感覚を感じたり、疲れることは全くない。行住坐臥において、みな才気と逞しさと勇ましさがあって、それはあたかも獅子の王が深い山の中でどこに向かおうと、面と向かって来る者はなく、ためらいなく、思うがままに行動し、(他の者はその行動を)予測することができない様なものである。この勇敢な獅子の(勇敢さを)百千億万倍にしても、私の第二弟子、摩訶目揵連の勇敢さの百千億万の一にも及ばない。摩訶目揵連は諸仏国の菩薩・阿羅漢のなかで、もっともすぐれていて、空を飛び、進むも止まるも(自在で)、智慧あり、勇敢で、(一切を)見通し、(あらゆる音を)はっきり聞き分け、八方上下の過去・未来・現在のことを知っている。(その摩訶目揵連の智慧を)百千億万倍あわせたほどの智慧を持つ者でも、もし、阿弥陀仏国の阿羅漢たちのかたわらに並べば、彼の徳は(後者の)百千億万の一にも及ばない。」
すると、阿逸菩薩が立ち上がって前に進み出、膝立ちして合掌して、仏に尋ねた。
「阿弥陀仏国の阿羅漢たちの中には、完全な涅槃を遂げて去って行かれる方もおられるのでしょうか。お聞かせ下さい。」
仏は仰った。
「君が知りたいなら、(さて)君にはこの全世界の星が見えるかね。」
阿逸菩薩は答えた。
「はい。見えます。」
仏は仰った。
「私の第二弟子、摩訶目揵連ときたら、天に飛び上がり、(たった)一昼夜で、星が幾つあるかすっかり数え上げることができる。全世界には数え切れないほど沢山星があるが、(阿弥陀仏国の阿羅漢の数は)これら星の百千億万倍もあるのだ。
仏語阿難。無量清浄仏。為諸菩薩阿羅漢説経竟。諸天人民中。有未得須陀洹道者。則得須陀洹道。中有未得斯陀含道者。則得斯陀含道。中有未得阿那含道者。則得阿那含道。中有未得阿羅漢道者。則得阿羅漢道。中有未得阿惟越致菩薩者。則得阿惟越致菩薩。阿弥陀仏。輒随其本宿命求道時。心所喜願大小随意。為説経輒授之。令其疾開解得道。皆悉明慧各自好喜。所願経道莫不喜楽誦習者。則各自諷誦経道。通利無厭無極也。諸菩薩阿羅漢中有誦経者。其音如雷声。中有説経者。如疾風暴雨。時諸菩薩阿羅漢。説経行道皆各如是。尽一劫竟終無懈倦時也。皆悉智慧勇猛。身体皆軽。便終無有痛痒。極時行歩坐起。皆悉才健勇猛。如師子中王。在深林中。当有所趣。向時無有敢当者。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢。説経行道皆勇猛。無有疑難之意。則在心所作。為不予計。百千億万倍。是猛師子中王也。如是猛師子中王。百千億万倍。尚復不如我第二弟子。摩訶目揵連勇猛。百千億万倍也。無量清浄国。諸菩薩阿羅漢。皆勝我第二弟子摩訶目揵連也。仏言。如摩訶目揵連勇猛。於諸仏国諸阿羅漢中。最為無比。如摩訶目揵連。飛行進止。智慧勇猛。洞視徹聴。知八方上下去来現在之事。百千億万倍都合為一智慧勇猛。当在無量清浄仏国諸阿羅漢中者。其徳尚復不如無量清浄仏国。一阿羅漢智慧勇猛者。千億万倍也。是時坐中有一菩薩。字阿逸菩薩。阿逸菩薩。則起前長跪叉手。問仏言。阿弥陀仏国中。諸阿羅漢。寧頗有般泥洹去者不。願欲聞之。仏告阿逸菩薩。若欲知者。如是四天下星。若見之不。阿逸菩薩言。唯然皆見之。仏言。而我第二弟子。摩訶目揵連。飛行四天下。一日一夜遍数星。知有幾枚也。如是四天下。星甚衆多。不可得計。尚為百千億万倍。是四天下星也。
又声聞菩薩。其数難量不可称説。神智洞達威力自在。能於掌中持一切世界。仏語阿難。彼仏初会。声聞衆数不可称計。菩薩亦然。能如大目揵連。百千万億無量無数。於阿僧祇那由他劫。乃至滅度。悉共計挍。不能究了多少之数。
復次阿難。彼無量寿如来。諸声聞衆不可称量知其辺際。仮使比丘満億那由他百千数量。皆如大目揵連神通自在。於晨朝時周歴大千世界。須臾之頃還至本処。彼経億那由他百千歳数。欲共計算無量寿仏初会之中諸声聞衆。尽其神力乃至滅度。於百分中不知其一。於千分百千分乃至鄔波尼殺曇分中。亦不知其一。
復次阿難。無量寿如来。有如是百千万十万百万。一倶胝百倶胝千倶胝。緊迦囉数。頻婆囉数。那由他数。阿由他数。毘婆訶数。嚩娑那数。穣伽数。阿僧祇数。十阿僧祇数。百阿僧祇数。千阿僧祇数。百千阿僧祇数。阿摩儞野数。不可思議数。如是無量無数声聞之衆。譬喩算数数不能及。阿難。彼大目乾連神通第一。三千大千世界所有一切童男童女。於一昼夜悉知其数。仮使百千倶胝声聞神通之力。皆如大目乾連。又一一声聞。寿百千倶胝那由他歳。尽其寿命数。彼声聞百分之中。不及一分。
tad yathānanda mahāsamudrāc caturaśītiyojanasahasrāṇy āvedhena tiryag aprameyāt kaścid eva puruṣaḥ śatadhābhinnayā vālāgrakoṭyaikam udakabindum abhyutkṣipet / tat kiṃ manyasa ānanda katamo bahutaro yo vā śatadhābhinnayā vālāgrakoṭyābhyutkṣipta eka udakabindur yo vā mahāsamudre 'pskandho 'vaśiṣṭa iti / āha / yojanasahasram api tāvad bhagavan mahāsamudrasya parīttaṃ bhavet kim aṅga punar yaḥ śatadhābhinnayā vālāgrakoṭyābhyutkṣipta eka udakabinduḥ /
〔アーナンダは〕言った。
「世尊よ、千ヨージャナ〔の深さの水〕でさえも、なお、大海の少量にすぎません。まして、〔一〕毛を百に裂いた先端ですくいあげられた一滴の水では、なおさらのことであります。」
Ānanda said: 'Even a thousand yojanas, O Bhagavat, would be a small portion of the great ocean, how much more then one drop of water thrown out by the sharp pointed hair divided a hundred times!'
如天下大海水減去一渧。寧能令海水為減。知少不耶。対曰。減去百千億万斗石。尚不能令減知少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢中。雖有般泥洹去者。如大海減一渧水爾。不能令在諸阿羅漢為減知少也。仏言。大海減去一渓水。寧令減少不。対曰。減去百千億万渓水。尚不能減知少也。仏言。減大海一恒水。寧能令減知少不。対曰。減去百千億万恒水。不能令減知少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢。般泥洹去者無央数。其在者新得道者亦無央数。都不為増減也。仏言。令天下諸水。都流入大海水中。寧能令海水増多不。対曰。不能令増多也。所以者何。是大海為天下諸水衆善中王。故能爾耳。
(阿逸菩薩は)答えた。
「百千億万斗(と)石(こく)汲んでも、減少したと分かるほど減らせるものではありません。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の阿羅漢たちの中には、完全な涅槃を遂げて去って行くものもいるが、それは大海の水が一滴減ったようなもので、減少したと分かるほど、そこにいる阿羅漢たちの数が減るものではない。」
仏は仰った。
「大海から谷川一つ分の水を減らしたならば、(大海の水を目に見えて)減らせるだろうか。」
(阿逸菩薩は)答えた。
「谷川百千億万本分の水を減らしても、減少したと分かるほど減らせるものではありません。」
仏は仰った。
「大海からガンジス河一つ分の水を減らしたならば、(大海の水を)目に見えて減らせるだろうか。」
(阿逸菩薩は)答えた。
「ガンジス河百千億万本分の水を減らしても、減少したかと分かるほど減らせるものではありません。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の阿羅漢で、完全な涅槃を遂げて去って行く者は無数にいるが、そこにいる者で新たに(阿羅漢)道を得る者も無数だから、増減はまったくないのだ。」
仏は仰った。
「世界のあらゆる河川の水を大海の中に流し込んで、大海の水を増やすことが出来るか。」
(阿逸菩薩は)答えた。
「増やせません。なぜなら、大海は世界のあらゆるすぐれた河川の中の王者だからそうなのです。」
仏言。如天下大海水。減去一渧水。寧能令海水為減不。阿逸菩薩言。減大海水。百千億万斗石。水尚復不能令海減少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢中。雖有般泥洹去者。如是大海。減一小水耳。不能令諸在阿羅漢為減知少也。仏言。減大海水一渓水。寧能減海水不。阿逸菩薩言。減大海百千万億渓水。尚復不能減海水。令知減少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢中。有般泥曰去者。如是大海減一渓水耳。不能減諸在阿羅漢。為減知少也。仏言。而大海減一恒水。寧能減海水不。阿逸菩薩言。減大海水百千万億恒水。尚復不能減大海水。令減知少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢。般泥曰去者無央数。其在者。新得阿羅漢者。亦無央数。都不為増減也。仏言。令天下諸水。都流行入大海中。寧能令海水為増多不。阿逸菩薩言。不能令海水増多也。所以者何。是大海為天下諸水衆善中王也。故能爾耳。
譬如大海深広無量。仮使有人。析其一毛。以為百分。以一分毛沾取一渧。於意云何。其所渧者於彼大海何所為多。阿難白仏。彼所渧水比於大海。多少之量非巧歴算数言辞譬類所能知也。
阿難。譬如大海深八万四千由旬。以目極観不知辺際。若有丈夫。析一毛端為五十分。以其一分於大海中霑取一滴。阿難。彼之水滴比於大海。何者為多。阿難白言。仮使取千由旬水。猶以為少。況以毛端一分而可方之。
復次阿難。譬如大海。深八万四千由旬。広闊無辺。仮使有人出身一毛。砕為百倶胝細如微塵。以一一塵投海出水。水在塵上形量亦爾。如是投尽毛塵。於意云何。毛塵水多海中水多。阿難白仏言。世尊。毛塵出水未及半合。海水無量。
bhagavān āha / tad yathā sa eka udakabinduḥ / iyantaḥ sa prathamasannipāto 'bhūt / tair maudgalyāyanasadṛśair bhikṣubhir gaṇayadbhis tena varṣakoṭīnayutaśatasahasreṇa gaṇitaṃ bhavet / yathā mahāsamudre 'pskandho 'vaśiṣṭa evam agaṇitaṃ draṣṭavyam / kaḥ punar vādo dvitīyatṛtīyādīnāṃ śrāvakasannipātādīnām / evam anantāparyantas tasya bhagavataḥ śrāvakasaṃgho yo 'prameyāsaṃkhyeya ity eva saṃkhyāṃ gacchati //
「マウドガリヤーヤナのような比丘であるかの数え手たちによって、十万・百万・千万年の間、かの最初の集会がこれほどであったと、数えられたとしても、そ〔の集会〕は、あたかも一滴の水のようであり、このように数えられなかったものは、大海に残された水の容量のようである、と見なければならない。まして、第二・第三などの声聞の集会などについても、言うまでもない。このように、かの世尊の声聞の僧団は無限・無際限であり、それは〈無量・無数である〉と称されるだけである。
仏言。阿弥陀仏国亦如是。悉令八方上下。無央数仏国。諸無央数天人民。蜎飛蠕動之類都往生。甚大衆多不可復計。阿弥陀仏国。諸菩薩阿羅漢衆比丘僧。故如常一法不異為増多。所以者何。阿弥陀仏国為最快。八方上下無央数。諸仏国中衆善之王。諸仏国中之雄。諸仏国中之宝。諸仏国中寿之極長久也。諸仏国中之衆傑也。諸仏国中之広大也。諸仏国中之都。自然之無為。最快明好甚楽之無極。所以者何。阿弥陀仏本為菩薩時。所願勇猛。精進不懈。累徳所致。故能爾耳。阿逸菩薩即大歓喜。長跪叉手言。仏説阿弥陀仏国土。快善明好最姝無比。乃独爾乎。仏言。阿弥陀仏国。諸菩薩阿羅漢所居。七宝舎宅中。有在虚空中者。有在地者。中有欲令舎宅最高者。舎宅即高中。有欲令舎宅最大者。舎宅即大中。有欲令舎宅在虚空中者。舎宅即在虚空中。皆自然随意在所作為。中有殊不能令舎宅随意者。所以者何。中有能令舎宅随意者。皆是前世宿命求道時。慈心精進。益作諸善。徳重所致。中有殊不能者。皆是前世宿命求道時。不慈心精進益作諸善。徳薄所致。其所衣被飯食。倶自然平等。徳有大小。別知其勇猛。令衆見之耳。仏言。若見第六天王所居処不。唯然見之。仏言。阿弥陀仏国講堂舎宅。都復勝第六天王所居処。百千億万倍。諸菩薩阿羅漢。悉皆洞視徹聴。見知八方上下去来現在之事。復無数天上天下人民。及蜎飛蠕動之類。心意所念善悪。口所欲言。皆知当何歳何劫。得度脱得人道。往生阿弥陀仏国。知当作菩薩阿羅漢。皆予知之。
「阿弥陀仏国も(大海と)同様である。八方上下のそれぞれの(方角の)無数の仏国の神々や人々や飛ぶ虫・這う虫などをみなそこに生まれさせ、その数は計り知れないほど多い。(しかし)阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢たちや比丘たち(の数)は、やはり常に一定で、とくに増えるということはない。どうしてこうなのか。阿弥陀仏国はもっともすばらしく、八方上下のそれぞれの(方角の)無数の仏国の中でも最高にすぐれた王者であり、諸仏国の中の雄、諸仏国の中の宝、諸仏国の中で(衆生が)最も長寿な国であり、諸仏国の中で傑出したものであり、諸仏国の中で(もっとも)広大であり、諸仏国の中の都(のようなもの)であり、無為自然という点で、もっともすばらしく、明るく美しく、心地よいことこの上ないからだ。どうしてこうなのか。阿弥陀仏が菩薩だった時、いさましい願を立て、怠ることなく精進し、徳を重ねた結果、こうなったのだ。」
すると阿逸菩薩は大変歓喜し、膝立ちし合掌して言った。
「仏は阿弥陀仏の国がすばらしく、明るく美しく、比べるものがないほど立派なことを説かれました。なんと(阿弥陀仏国)だけがこうなんですね!」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢の七宝の住所には、空中にあるものも地上にあるものもある。(菩薩・阿羅漢の)中で、住居が最も高いことを望む者がいれば、住居は高く、住居が最も大きいことを望む者がいれば、住居は大きい。住居が空中にあることを望む者がいれば、住居は空中に浮かぶ。すべて自由自在、彼らの思うがままである。中には住居が全く思いのままにならない者もいる。どうしてそうなるのか。住居を思いのままにすることが出来る者は、みな前世・過去世で道を求めていた時、慈しみの心をいだいて精進し、大いに数多くの善行をなして、功徳を多く積んだからである。全く思いのままにならない者は、みな前世・過去世で道を求めていた時、慈しみの心をいだいて精進したり、大いに数多くの善行をなすということをせず、徳をあまり積まなかったのである。(阿弥陀仏国の衆生の)着る物、食べ物はいずれも自然(に現れ)、平等である。(しかし、積んだ)徳には違いがあるから、(徳の)優れた者を区別し、(住居の違いでそのことを)衆生に示すのである。」
仏は仰った。
「君は第六天王(他化自在天)の住まいを見たことがあるか。」
「はい見たことがあります。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の講堂と住居はみな第六天王の住まいよりも百千億万倍もすぐれている。
(阿弥陀仏国の)菩薩・阿羅漢はみな(一切を)見通し、(あらゆる音を)はっきり聞き分け、八方上下の過去・未来・現在のことを知っている。また無数の天上天下の人々や飛ぶ虫・這う虫が心に思っている善悪や言いたいことを知っているし、(これら衆生が)いったい何年後、何劫後、(輪廻から)度脱でき、人間となって、阿弥陀仏国に生まれることができるのかを知っているし、(誰が)いったい菩薩・阿羅漢になるのか、すべて予知している。
仏言。無量清浄仏国亦如是。悉令八方上下無央数仏国。無央数諸天人民。蜎飛蠕動之類。都往生無量清浄仏国者。其輩甚大衆多。不可復計。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢衆比丘僧。都如常一法不異為増多也。所以者何。無量清浄仏国為最快。八方上下無央数諸仏国中。衆菩薩中王也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之雄国也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之珍宝也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之極長久也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国之衆傑也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之広大也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中都自然之無為也。無量清浄仏国。為最快明好甚楽之無極也。無量清浄仏国独勝者何。本為菩薩求道時。所願勇猛。精進不懈。累徳所致。故乃爾耳。阿逸菩薩則大歓喜。長跪叉手言。仏説無量清浄仏国。諸阿羅漢。般泥洹去者甚衆多。無央数国土快善之極。明好最姝無比。乃独爾乎。仏言。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢所居。七宝舎宅中。有在虚空中居者。中有在地居者。中有意欲令舎宅最高者。舎宅則高。中有意欲令舎宅最大者。舎宅則大。中有意欲令舎宅在虚空中者。舎宅則在虚空中。皆自然随意在所作為。中有殊不能令其舎宅。随意所作為者。所以者何。中有能者。皆是前世宿命求道時。慈心精進益作諸善。徳重所能致也。中有不能致者。皆是前世宿命求道時。不慈心精進。作善少徳小。悉各自然得之。所衣被服飲食。倶自然平等耳。是故不同。徳有大小別。知勇猛令衆見耳。仏告阿逸菩薩。若見是第六天上天王所居処不耶。阿逸菩薩言唯然皆見之。仏言。無量清浄仏国土。講堂舎宅。倍復勝第六天王所居処。百千億万倍也。無量清浄仏国。其諸菩薩阿羅漢。悉皆洞視徹聴。悉復見知八方上下去来現在之事。復知諸無央数。天上天下人民。及蜎飛蠕動之類。皆悉知心意所念善悪。口所欲言。皆知当何歳何劫中。得度脱得人道。当往生無量清浄仏国。知当作菩薩道得阿羅漢道。皆予知之。
仏語阿難。如目連等。於百千万億那由他劫。計彼初会声聞菩薩。所知数者猶如一渧。其所不知如大海水。
仏告阿難。仮使比丘満億那由他百千数量。皆如大目揵連。経百千億那由他歳。皆共算数彼無量寿如来初会声聞。所知数量如彼毛端一滴之水。余不測者猶如大海。諸菩薩摩訶薩衆亦復如是。非以算計之所能知。
仏言阿難。彼目乾連等声聞之衆。尽其形寿。数知数者如毛塵之水。数未尽者如海中水。如是彼仏。有如是無量不可算数声聞弟子。
tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre ye śrāvakās te vyāmaprabhā ye bodhisattvās te yojanakoṭīśatasahasraprabhāḥ sthāpayitvā dvau bodhisattvau yayoḥ prabhayā sā lokadhātuḥ satatasamitaṃ nityāvabhāsasphuṭā / atha khalv āyuṣmān ānando bhagavantam etad avocat / kiṃ nāmadheyau bhagavaṃs tau satpuruṣau bodhisattvau mahāsattvau / bhagavān āha / ekas tayor ānandāvalokiteśvaro bodhisattvo mahāsattvo dvitīyo mahāsthāmaprāpto nāma / ita evānanda buddhakṣetrāc cyutvā tatropapannau //
そのとき、尊者アーナンダは世尊に対してこう言った。
「世尊よ、その善き人である二人の菩薩・大士の名は、何というのでしょうか。」
世尊は言われた。
「アーナンダよ、その中の一人は、アヴァローキテーシュヴァラ(観世音)菩薩・大士であり、第二の人は、マハー・スターマ・プラープタ(大勢至)と名づける。アーナンダよ、〔この二人は〕この仏国土より、死没して、かしこに生れたのである。
Then the blessed Ānanda said this to the Bhagavat: 'What are the names, O Bhagavat, of those two noble-minded Bodhisattvas?
The Bhagavat said: 'One of them, O Ānanda, is the noble-minded Bodhisattva Avalokiteśvara, and the second is Mahāsthāmaprāpta by name. And, O Ānanda, these two were born there, having left this Buddha country here.'
諸菩薩阿羅漢頂中。皆悉自有光明。所照有大小。諸菩薩中。有最尊両菩薩。常在仏左右坐侍正論。仏常与是両菩薩共対坐。議八方上下去来現在之事。若欲使是両菩薩。到八方上下無央数諸仏所。即便飛行。随心所欲至到飛行。使疾如仏。勇猛無比。其一菩薩名蓋楼亘。其一菩薩名摩訶那鉢。光明智慧最第一。頂中光明各焔照他方。千須弥山仏国中常大明。其諸菩薩頂中光明各照千億万里。諸阿羅漢頂中光明。各照七丈。仏言。世間人民。若善男子善女人。若有急恐怖県官事者。但自帰命是蓋楼亘菩薩摩訶那鉢菩薩所。無不得解脱者
菩薩たちのなかに、最も尊い二人がいて、いつも佛の脇にいて仕え、ひたすら論じている。佛は常にこの二人の菩薩と向かい合って坐り、八方上下の過去・未来・現在のことについて話し合っている。もし、この二人の菩薩を、八方上下の無数の仏の許へ遣わそうすると、彼らはすぐに飛んでゆき、望むがままに行ってくれる。仏の様に速く飛行し、その勇猛さは比肩する者がいない。その内の一人の菩薩は「廅楼亘(こうろうかん)」という名である。もう一人の菩薩は「摩訶那鉢(まかなはつ)」という名である。(彼らは)光明と智慧において最もすぐれていて、それぞれの頭頂の光は、他方の千の須弥山仏国を照らし、それらは(そのせいで)いつもとても明るい。(阿弥陀仏国の)菩薩たちの頭頂の光明は、それぞれ千億万里を照らす。阿羅漢たちの頭頂の光明は、それぞれ七丈を照らす。」
仏は仰った。
「世間の人々、あるいは善男子・善女人が、差し迫った恐怖や役人の横暴に遭ったとき、ただこの廅樓亘菩薩・摩訶那鉢菩薩に帰命しさえすれば,必ずや(危機を)脱する。」
無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢。其項中光明。皆悉自有光明所照大小。其諸菩薩中。有最尊両菩薩。常在無量清浄仏左右座辺。坐侍政論。無量清浄仏。常与是両菩薩共対坐。議八方上下去来現在之事。無量清浄仏。若欲使令是両菩薩。到八方上下無央数諸仏所。是両菩薩便飛行。則到八方上下無央数諸仏所。随心所欲至到何方仏所。是両菩薩。則倶飛行則到飛行駃疾如仏。勇猛無比。其一菩薩名廅楼亘。其一菩薩名摩訶那光明智慧最第一。其両菩薩項中光明。各焔照他方。千須弥山仏国常大明。其諸菩薩項中光明。各照千億万里。諸阿羅漢項中光明。各照七丈。仏言。其世間人民。善男子善女人。若有一急恐怖遭県官事者。但自帰命是廅楼亘菩薩。無所不得解脱者也◎
仏説無量清浄平等覚経巻第二
阿難。彼仏国中。諸声聞衆身光一尋。菩薩光明照百由旬。有二菩薩最尊第一。威神光明。普照三千大千世界。阿難白仏。彼二菩薩其号云何。仏言。一名観世音。二名大勢至。是二菩薩。於此国土修菩薩行。命終転化生彼仏国。
復次阿難。彼仏刹中諸声聞衆。皆有身光能照一尋。菩薩光照極百千尋。除二菩薩光明常照三千大千世界。阿難白仏言。世尊。彼二菩薩名為何等。仏告阿難。汝今諦聴。彼二菩薩。一名観自在。二名大勢至。阿難。此二菩薩従娑婆世界捨寿量已往生彼国。
復次阿難。彼仏刹中。一切菩薩及諸声聞。身相端厳円光熾盛。周迴照耀百千由旬。有二菩薩。身光遠照三千大千世界。阿難白言。此二菩薩有大身光。其名云何。仏告阿難。二菩薩者。一名観自在。二名大精進。現居此界作大利楽。命終之後当生彼国
tasmiṃś cānanda buddhakṣetre sarvaśo 'gnicandrasūryagrahanakṣatratārārūpāṇāṃ tamo'ndhakārasya ca nāmadheyaprajñaptir api nāsti sarvaśo rātriṃdivaprajñaptir api nāsty anyatra tathāgatavyavahārāt / sarvaśaś cāgāraparigrahasaṃjñā nāsti //
仏告阿逸菩薩。阿弥陀仏頂中光明。極大光明。其日月星辰。皆在虚空中住止。不可復迴転運行。亦無有精光。其明皆蔽不復見。仏光明照国中。及焔照他方仏国常大明。終無有冥時。
「阿弥陀仏の頭頂の光明はとても光り輝く。その(仏国の)太陽・月・星々は、みな空中にじっと止まり、回転も運行もせず、またきらきらした輝きはなく、それらの光は(仏の光明に)覆われて現れない。(阿弥陀)仏の光は仏国中を照らし、また他方の仏国も照らし、それらの国々は常にとても明るく、暗くなる時がない。
仏説無量清浄平等覚経巻第三
後漢月氏国三蔵支婁迦讖訳
◎仏告阿逸菩薩。無量清浄仏項中光明極大明。其日月星辰。皆在虚空中住止。亦不復迴転運行。亦無有精光。其明皆蔽不復現。無量清浄仏光明照国中。及焔照他方仏国常大明。終無有当冥時也。
復次阿難。極楽世界無有昏闇。亦無火光。涌泉陂湖彼皆非有。亦無住著家室林苑之名。及表示之像幼童色類。亦無日月昼夜之像。於一切処標式既無亦無名号。唯除如来所加威者。
復次阿難。彼仏国土無其黒闇。無其星曜。無其日月。無其昼夜。無其取捨。無其分別。純一無雑。唯受清浄最上快楽。