無量寿経 Larger Sukhāvatīvyūha
魏訳(大経 T 360) 基準 昇順
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ye punas taṃ tathāgataṃ na bhūyo manasikariṣyanti na ca bahv aparimitaṃ kuśalamūlam abhīkṣṇam avaropayiṣyanti tatra ca buddhakṣetre cittaṃ saṃpreṣayiṣyanti teṣāṃ yādṛśa eva so 'mitābhas tathāgato 'rhan samyaksaṃbuddho varṇasaṃsthānārohapariṇāhena bhikṣusaṃghaparivāreṇa tādṛśa eva buddhanirmito maraṇakāle purataḥ sthāsyati / te tenaiva tathāgatadarśanaprasādālambanena samādhināpramuṣitayā smṛtyā cyutās tatraiva buddhakṣetre pratyājaniṣyanti //
仏言。其中輩者。其人願欲往生阿弥陀仏国。雖不能去家捨妻子断愛欲行作沙門者。当持経戒無得虧失。益作分檀布施。常信受仏経語。深当作至誠中信。飯食諸沙門。作仏寺起塔。散華焼香然灯。懸雑繒綵。如是法者。無所適莫。不当瞋怒。斎戒清浄。慈心精進。断愛欲念。欲往生阿弥陀仏国。一日一夜不断絶者。其人便於今世。亦復於臥止夢中。見阿弥陀仏。其人寿命欲終時。阿弥陀仏即化。令其人目自見阿弥陀仏及其国土。往至阿弥陀仏国者。可得智慧勇猛。仏言。其人奉行施与如是者。若其人然後復中悔。心中狐疑。不信分檀布施作諸善後世得其福。不信有弥陀仏国。不信有往生其国。雖爾者。其人続念不絶。暫信暫不信。意志猶予無所専拠。続其善願為本故得往生。其人寿命病欲終時。阿弥陀仏。即自化作形像。令其人目自見之。口不能復言。但心中歓喜踊躍意念言。我悔不知益斎戒作善。今当往生阿弥陀仏国。其人即心自悔過。悔過者小差少無所復及。其人寿命終尽。即往生阿弥陀仏国。不能得前至阿弥陀仏所。便道見阿弥陀仏国界辺自然七宝城中。心便大歓喜。便止其城中。即於七宝水池蓮華中化生。則受身自然長大在城中。於是間五百歳。其城広縦各二千里。城中亦有七宝舎宅。中外内皆有七宝浴池。浴池中亦有自然華香繞。浴池上亦有七宝樹重行。亦皆復作五音声。其欲飯食時。前有自然食。具百味飲食。在所欲得応意皆至。其人於城中亦快楽。其城中比如第二忉利天上自然之物。雖爾其人城中不能得出。復不能得見阿弥陀仏。但見其光明。心自悔責。踊躍喜耳。亦復不能得聞経。亦復不能得見諸比丘僧。亦復不能得見知阿弥陀仏国中諸菩薩阿羅漢状貌何等類。其人愁苦。如是比如小適耳。仏亦不使爾身行所作自然得之。皆心自趣向道。入其城中。其人本宿命求道時。心口各異。言念無誠信。狐疑仏経。復不信向之。当自然入悪道中。阿弥陀仏哀愍。威神引之去爾。其人於城中。五百歳乃得出。往至阿弥陀仏所聞経。心不開解。亦復不得在諸菩薩阿羅漢比丘僧中聴経。以去所居処舎宅在地。不能令舎宅随意高大在虚空中。復去阿弥陀仏甚大遠。不能得近附阿弥陀仏。其人智慧不明。知経復少。心不歓喜。意不開解。其人久久。亦自当智慧開解知経。明健勇猛。心当歓喜。次当復如上第一輩。所以者何。其人但坐前世宿命求道時。不大持斎戒。毀失経法。意志狐疑。不信仏語。不信仏経深。不信分檀布施作。善後世当得其福。復坐中悔。不信往生阿弥陀仏国。作徳不至心。用是故爾。是為第二中輩
仏は仰った。
「中級の人々とは(次の様である)。人々が、阿弥陀仏の国に生まれたいと願うならば、たとえ家を出て、家族を捨て、愛欲を断って、沙門になることができなくても、教えに基づく戒をきちんと守り、大いに布施をして、奥深い仏の教えの言葉を常に信じ受け入れ、まごころと誠実さを実践し、沙門たちに食事を与え、仏塔を建て、花を散らし、香を焚き、灯火を燃やし、様々な綾絹を(塔に)懸けるべきだ。このような法(を行う者)が、好き嫌いをなくし、怒りを抱かず、きちんと(八)斎戒をまもり、慈しみの心をいだいて精進し、愛欲を断じ、阿弥陀仏国に生まれることを念じ、一日一夜絶えまなく(そのことを思念するならば)、その人たちはこの世で、(第一種の人々と)同じく横になって休んでいると夢の中で阿弥陀仏を見る。その人たちの寿命が尽きようとするときに、阿弥陀仏はすぐさま幻相を現し、その人たちに阿弥陀仏とその国土を自分の目で見させる。(彼らが)阿弥陀仏国に到達すれば、智慧と勇敢さを得ることができる。」
(第二輩のうち、疑念をもつ者)
仏は仰った。
「彼らはこのように布施を行うのだが、その彼らがもし後になって後悔し、疑念を抱き、“布施をして善行をすれば後の世でその果報を得る”ということを信じなくなり、阿弥陀仏国の存在を疑い、その国に生まれるということを信じなくなるとしても、彼らがそれでもやはり絶えず(阿弥陀仏を)念じ、信じたり信じなかったりして、意志が定まらず、集中できなくても、それでも自分の立派な願いを本に据えれば、やはり(阿弥陀仏国に)生まれることができる。その人たちが病気で寿命が尽きようとするとき、阿弥陀仏はその化身を現し、彼らに自分の目で見させる。彼らにはもう何も言う力がない。ただ心で飛び上がらんばかりに喜び、次のように考える。『おおいに(八)斎戒をまもり善行をなすことを知らなかったことを懺悔する。今まさに阿弥陀仏国に生まれようとしている』と。彼らは心で過ちを懺悔する。過ちを懺悔するれば、(過ちの報いは)少しは軽くなるが(?)、もはや手遅れ。彼らは寿命が尽きてすぐに阿弥陀仏の国に生まれるが、阿弥陀仏のもとには近づけない。すると途上で阿弥陀仏国の端にある、自然の七宝でできた城を見て、大いに歓喜し、そのままその城に留まる。すぐに七宝でできた池(に生える)蓮の花のなかにすっと生じ、身体を得、自然に成長する。城に住み、そこに五百年間(留まる)。その城は、横も縦もそれぞれ二千里ある。城の中には、七宝でできた住まいがあり、住まいの外と内には七宝でできた浴池がある。浴池の中には自然の香りのある花がある。浴池の周辺には七宝樹がいくつもの列に並んでいて、(それらは)みな様々な音色を発している。彼らが食事をしたいと思えば、目の前に自然に食事が現れる。様々な味の食べ物・飲み物が思いのままに手に入り、思いのままにやってくる。彼らは城の中で喜びを享受する。その城では(天界の下から)第二番目の忉利天の様に自在に物が生じる。この様ではあるが、彼らはその城から出ることはできないし、また阿弥陀仏を見ることができない。ただその光明を見て、後悔しつつ(も)、飛び上がらんばかりに喜ぶだけである。また(その)教えを聞くことができないし、比丘たちを見ることができないし、また阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢がどのような姿をしているのかを見て知ることができない。彼らはこのように苦しむが、それはちょっとした罰に他ならない。とはいえ、仏がこのように(苦しませる)わけではない。自分で行った行為によって自然にこうなったのだ。(彼らは)みな心では道(さとり)へ向かっていたのに、この城に入り込んだ。彼らは、その前世で道を求めていたとき、思っていることと言うことが矛盾していて、言葉と考えに誠実さがなく、仏の教えを疑い、またそれを信頼しなかったのだから、悪い境涯に落ちるのが当然なのだが、阿弥陀仏が哀れんで、超人的な力で彼らを(自分の国へと)引き寄せてくれたのだ。彼らは城の中で五百年過ごした後やっとそこから出て、阿弥陀仏のもとへ行くことができる。(しかし)教えを聞いても、理解できず、また菩薩・阿羅漢・比丘たちの中に留まることはできず、教えを聴き終われば去る。彼らの住居は地上にある。住居を思いのままに高く大きく、空中に浮かばせることはできない。また阿弥陀仏からとても遠く、阿弥陀仏に近づくことができない。
彼らは智慧が少なく、また教えをあまり知らず、(教えを)喜ばず、はっきりと理解しない。長い時間がたてば彼らも智慧をつけ教えをはっきりと理解し、賢く強く勇敢になり、(教えを)喜ぶようになるはずだ。上述の第一種の人々よりは一段劣るが似たようになるはずだ。なぜこうなるのか。彼らは前世、過去世で道を求めていた時に、あまり(八)斎戒をまもらず、教えを守らず、疑い深く、仏の言葉を信じず、仏の教えが奥深いということを信じず、“布施をして善行をすれば後の世でその果報を得る”ということを信じなかったために他ならない。また、途中で後悔し、“阿弥陀仏国に生まれる”ということを信じなくなり、功徳を積むことに熱心でなくなったせいでもある。これらのせいに他ならない。以上が、第二種、中級の人々である。」
仏言。其中輩者。其人願欲往生無量清浄仏国。雖不能去家捨妻子断愛欲行作沙門者。当持経戒無得虧失。益作分檀布施。常信受仏語深当作至誠忠信。飯食沙門。而作仏寺起塔。焼香散華然灯。懸雑繒綵。如是法者。無所適貪。不当瞋怒。斎戒清浄慈心精進断欲念。欲往生無量清浄仏国。一日一夜不断絶者。其人於今世。亦復於臥睡夢中。見無量清浄仏。其人寿欲尽時。無量清浄仏。則化令其人自見無量清浄仏及国土。往生無量清浄仏国者。可得智慧勇猛。仏言。其人奉行施与。如是者。若其然後中復悔。心中狐疑。不信分檀布施作諸善後世得其福。不信有無量清浄仏国。不信往生其国中。雖爾其人続念不絶。暫信暫不信。意志猶予無所専拠。続結其善。願名本続得往生其人寿命病欲終時。無量清浄仏。則自化作形像。令其人目自見之。口不能復言。便心中歓喜踊躍。意念言。我悔不知益斎作善。今当生無量清浄仏国。其人則心中悔過。悔過者過差少。無所須及。其人寿命終尽。則生無量清浄仏国。不能得前至無量清浄仏所。便道見無量清浄仏国界辺自然七宝城。心中便大歓喜。道止其城中。則於七宝水池蓮華中化生。則受身自然長大。在城中於是間五百歳。其城広縦各二千里。城中亦有七宝舎宅。舎宅中自然内外皆有七宝浴池。浴池中亦有自然華繞。浴池上亦有七宝樹重行。皆復作五音声。其飲食時。前亦有自然食。具百味食。在所欲得。其人於城中快楽。其城中比如第二忉利天上自然之物。其人於城中不能得出。復不能得見無量清浄仏。但見其光明。心中自悔責。踊躍喜耳。亦復不能得聞経。亦復不能得見諸比丘僧。亦復不能得見知無量清浄仏国中諸菩薩阿羅漢状貌何等類。其人若如是比而小適耳。仏亦不使爾身諸所作自然得之。皆心自趣向道入其城中。其人本宿命求道時。心口各異言念無誠。狐疑仏経。復不信向之。当自然入悪道中。無量清浄仏哀愍。威神引之去耳。其人於城中。五百歳乃得出。往至無量清浄仏所聞経。心不開解。亦復不得在諸菩薩阿羅漢比丘僧中聴経。以去所居処舎宅在地。不能令舎宅随意高大在虚空中。復去無量清浄仏甚大遠。不能得近附無量清浄仏。其人智慧不明。知経復少。心不歓楽意不開解。其人久久。亦自当智慧開解知経。明健勇猛心当歓楽。次当復如上第一輩。所以者何。其人但坐其前世宿命求道時。不大持斎戒虧失経法。心意狐疑不信仏語。不信仏経深。不信分檀布施作善後世当得其福。復坐中悔。不信往生無量清浄仏国。作徳不至心。用是故為第二中輩
仏語阿難。其中輩者。十方世界諸天人民。其有至心願生彼国。雖不能行作沙門大修功徳。当発無上菩提之心。一向専念無量寿仏。多少修善。奉持斎戒。起立塔像。飯食沙門。懸繒然灯。散華焼香。以此迴向願生彼国。其人臨終。無量寿仏。化現其身。光明相好具如真仏。与諸大衆現其人前。即随化仏往生其国。住不退転。功徳智慧次如上輩者也
阿難。若他国衆生発菩提心。雖不専念無量寿仏。亦非恒種衆多善根。随己修行諸善功徳。迴向彼仏願欲往生。此人臨命終時。無量寿仏即遣化身。与比丘衆前後囲繞。其所化仏光明相好与真無異。現其人前摂受導引。即随化仏往生其国。得不退転無上菩提。
復次阿難。若有善男子善女人。発菩提心已。持諸禁戒堅守不犯。饒益有情。所作善根悉施与之。令得安楽。憶念西方無量寿如来及彼国土。是人命終。如仏色相種種荘厳。生宝刹中賢聖囲繞。速得聞法永不退転於阿耨多羅三藐三菩提
ye punar ānanda sattvās taṃ tathāgataṃ daśacittotpādāt samanusmariṣyanti spṛhāṃ ca tasmin buddhakṣetra utpādayiṣyanti gambhīreṣu ca dharmeṣu bhāṣyamāṇeṣu tuṣṭiṃ pratilapsyante na vipatsyante na viṣādam āpatsyante na saṃsīdam āpatsyante 'ntaśa ekacittotpādenāpi taṃ tathāgataṃ manasikariṣyanti spṛhāṃ cotpādayiṣyanti tasmin buddhakṣetre te 'pi svapnāntaragatās tam amitābhaṃ tathāgataṃ drakṣyanti sukhāvatyāṃ lokadhātāv upapatsyante 'vaivartikāś ca bhaviṣyanty anuttarāyāḥ samyaksaṃbodheḥ //
仏言。其三輩者。其人願欲往生阿弥陀仏国。若無所用分檀布施。亦不能焼香散華然灯。懸雑繒綵。作仏寺起塔。飯食諸沙門者。当断愛欲無所貪慕。得経疾慈心精進。不当瞋怒。斎戒清浄。如是法者。当一心念欲往生阿弥陀仏国。昼夜十日不断絶者。寿命終即往生阿弥陀仏国。可得尊敬。智慧勇猛。仏言。其人作是以後。若復中悔。心意狐疑。不信作善後世当得其福。不信往生阿弥陀仏国。其人雖爾。続得往生。其人寿命病欲終時。阿弥陀仏。即令其人。於臥止夢中。見阿弥陀仏土。心中大歓喜。意自念言。我悔不知益作諸善。今当往生阿弥陀仏国。其人但念是。口不能復言。即自悔過。悔過者差減少悔無所復及。其人命終。即生阿弥陀仏国。不能得前至。便道見二千里七宝城中。心独歓喜。便止其中。亦復於七宝浴池蓮華中化生。即自然受身長大。其城亦復如前城法。比如第二忉利天上自然之物。其人亦復於城中。五百歳竟乃得出。至阿弥陀仏所。心中大喜。其人聴聞経。心不開解。意不歓楽。智慧不明。知経復少。所居舎宅在地。不能令舎宅随意高大在虚空中。復去阿弥陀仏大遠。不能得近附阿弥陀仏。亦復如是。第二中輩狐疑者也。其人久久。亦当智慧開解。知経勇猛。心当歓楽。次如上第一輩也。所以者何。皆坐前世宿命求道時。中悔狐疑。暫信暫不信。不信作善得其福徳。皆自然得之爾。随其功徳有所鉉不鉉。各自然趣向。説経行道。卓億万超絶不相及。
仏は仰った。
「第三種の人々とは(次の様である)。人々が、阿弥陀仏の国に生まれたいと願いつつも、もし、施せる物が何もなく、また香を焚き、花を散らし、灯火を燃やし、様々な綾絹を懸け、仏塔を建て、沙門たちに食事を与えることができないならば、愛欲を断じ、欲望をなくし、教えを得たらすぐさま慈しみの心をいだいて精進し、怒りを抱かず、きちんと(八)斎戒をまもるべきだ。このような法(を行う者)が、ひたすら阿弥陀仏国に生まれることを念じ、十日十夜絶えまなく(そのことを思念するならば)、寿命が尽きるとすぐに阿弥陀仏国に生まれ、尊敬もされ、智慧と勇敢さをも得ることができる。」
(第三輩のうち、疑念をもつ者)
仏は仰った。
「彼らはこれらをなして後、もし後悔し、疑念を抱き、“善行をすれば後の世でその果報を得る”ということを信じなくなり、阿弥陀仏国に生まれるということを信じなくなるとしても、彼らはそれでもやはり(阿弥陀仏国に)生まれることができる。その人たちが病気で寿命が尽きようとするとき、阿弥陀仏は横になって休んでいる彼らに夢の中で阿弥陀仏の国土を見せる。(彼らは)とても喜び、次のように考える。『私はおおいに善行をなすことを知らなかったことを懺悔する。今まさに阿弥陀仏国に生まれようとしている』と。彼らにはもう何も言う力がなく、ただこのように念じるだけ。彼らは過ちを懺悔する。過ちを懺悔すれば、(過ちの報いは)やや軽くなるが、懺悔してももはや手遅れ。彼らは寿命が尽きてすぐに阿弥陀仏の国に生まれるが、前には進めない。すると途上で(横・縦)二千里ある、七宝でできた城を見て、とても喜び、そのままそこに留まる。(彼らも)また七宝でできた池(に生える)蓮の花のなかにすっと生じ、自然に身体を得、成長する。その城もまた前述の城と同様で、(天界の下から)第二番目の忉利天の様に自在に物が生じる。彼らもまた城の中で五百年過した後やっとそこから出ることができる。阿弥陀仏のもとへ行き、大変喜ぶ。(しかし)教えを聞いても、理解できず、楽しくもならない。彼らは智慧が少なく、また教えをあまり知らない、彼らの住居は地上にある。住居を思いのままに高く大きく、空中に浮かばせることはできない。また阿弥陀仏からとても遠く、阿弥陀仏に近づくことができないことも、第二種、中級の人々の中の疑い深い人たちの場合と同様だ。長い時間がたてば彼らも智慧をつけ、教えをはっきりと理解し、勇敢になり、(教えを)喜ぶようになるはずだ。上述の第一種の人々よりは一段劣るが似たようになる。なぜこうなるかというと、(彼らは)みな前世、過去世で道を求めていた時に、途中で後悔し、(仏道に)疑念を抱き、信じたり信じなかったりして、“善行をすればその果報を得る”ということを信じなかったために、みな当然こうなるのだ。それぞれの功徳がすくい上げるかどうかによって、それぞれ行き先が決まるのだが、教えを説き仏道を行うことは、(この点で他の)億万のことをはるかに卓越している。(以上が第三種の人々である。)」
仏言。其三輩者。其人願欲生無量清浄仏国。若無所用分檀布施。亦不能焼香散華然灯懸繒綵作仏寺起塔飲食沙門者。当断愛欲無所貪慕。慈心精進不当瞋怒。斎戒清浄。如是清浄者。当一心念欲生無量清浄仏国。昼夜十日不断絶者。寿終則往生無量清浄仏国。可復尊極智慧勇猛。仏言。其人作是已後。若復中作悔心。意用狐疑。不信作善後世当得其福。不信往生無量清浄仏国。其人雖爾続得往生。其人寿命病欲終時。無量清浄仏。則令其人於臥睡夢中。見無量清浄仏国土。其人心中歓喜。意自念言。我悔不知益作善。今当生無量清浄仏国。其人但心念是。口不能復言。則自悔過。悔過者過差減少。悔者無所復及。其人命終。則生無量清浄仏国。不能得前至。便道見二千里七宝城。心中独歓喜。便止其中。復於七宝水池蓮華中化生。則自然長大。其城亦復如前城法。比第二忉利天上自然之物。其人亦復於城中五百歳。五百歳竟乃得出。生無量清浄仏所。心中大歓喜。其人聴聞経。心不開解。意不歓喜。智慧不明。知経復少。所居舎宅在地。不能令舎宅随意高大在虚空中。復去無量清浄仏。亦復如是。第二輩狐疑者。其人久久。亦当智慧開解知経。勇猛心当歓楽。次如上第一輩也。所以者何。皆坐前世宿命求道時。中悔狐疑。暫信暫不信。不信作善後得其福徳。皆自然得之耳。随其功徳有鉉不鉉。各自然趣向。説経行道卓徳万殊超不相及。
仏語阿難。其下輩者。十方世界諸天人民。其有至心欲生彼国。仮使不能作諸功徳。当発無上菩提之心。一向専意乃至十念。念無量寿仏願生其国。若聞深法歓喜信楽不生疑惑。乃至一念念於彼仏。以至誠心願生其国。此人臨終。夢見彼仏亦得往生。功徳智慧次如中輩者也
阿難。若有衆生住大乗者。以清浄心向無量寿如来。乃至十念念無量寿仏願生其国。聞甚深法即生信解。心無疑惑乃至獲得一念浄心。発一念心念無量寿仏。此人臨命終時。如在夢中見無量寿仏。定生彼国得不退転無上菩提。
復次阿難。若有善男子善女人。発十種心。所謂一不偸盗。二不殺生。三不婬欲。四不妄言。五不綺語。六不悪口。七不両舌。八不貪。九不瞋。十不痴。如是昼夜思惟極楽世界無量寿仏。種種功徳種種荘厳。志心帰依頂礼供養。是人臨終。不驚不怖心不顛倒。即得往生彼仏国土。有無量無数諸仏世尊。称讃無量寿仏功徳名号。聞是法已。永不退於阿耨多羅三藐三菩提
仏説大乗無量寿荘厳経巻中
imaṃ khalv ānandārthavaśaṃ saṃpaśyantas te tathāgatā daśasu dikṣv aprameyāsaṃkhyeyāsu lokadhātuṣu tasyāmitābhasya tathāgatasya nāmadheyaṃ parikīrtayanto varṇaṃ ghoṣayantaḥ praśaṃsām abhyudīrayanti tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre daśabhyo digbhya ekaikasyāṃ diśi gaṅgānadīvālukopamā bodhisattvās tam amitābhaṃ tathāgatam upasaṃkrāmanti darśanāya vandanāya paryupāsanāya paripraśnīkaraṇāya taṃ ca bodhisattvagaṇaṃ tāṃś ca buddhakṣetraguṇālaṃkāravyūhasaṃpadviśeṣān draṣṭum //
即東方無央数仏国。其数不可復計。如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各遣諸菩薩無央数。不可復計。皆飛到阿弥陀仏所。作礼聴経。皆大歓喜。悉起為作礼如去。西方北方南方四角諸仏。其数各如恒水辺流沙。各遣諸菩薩無央数。飛到阿弥陀仏所。作礼聴経亦復如是。即下方上方諸仏。其数各如恒水辺流沙。皆遣諸菩薩。都不可復計。飛到阿弥陀仏所。作礼聴経。更相開避。如是終無休絶時也。仏言。所以諸仏以恒水辺流沙為数者。八方上下無央数仏。甚大衆多。都各不可復計。故以恒水辺流沙為数耳
同様に、西方・北方・南方および(北東・南東など)四隅の仏たち――それぞれの(方角に)ガンジス河の岸辺の砂の数ほどおられるが――それぞれが、無数の菩薩を遣わし、彼らは阿弥陀仏のもとへ飛んで来て、礼拝し、教えを聴く。すると、下方・上方の菩薩たち――それぞれの(方角に)ガンジス河の岸辺の砂の数ほどおられるが――それぞれが、まったく数え切れないほどの菩薩を遣わし、彼らは阿弥陀仏のもとへ飛んで来て、礼拝し、教えを聴き、(お互い邪魔にならぬよう)順々に場を明け渡す。このように絶え間がない。」
仏は仰った。
「諸仏をガンジス河の岸辺の砂の数で喩えるのは、八方上下の無数の仏たちは大変数多く、全てを数えるのは不可能。だからガンジス河の岸辺の砂の数で喩えるのだ。」
則東方無央数仏国。不可復計。如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各遣諸菩薩無央数。不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則為無量清浄仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。悉起為無量清浄仏作礼而去。則西方無央数諸仏国。復如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則前為無量清浄仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。則北方無央数諸仏国。復如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則前為無量清浄仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。南方無央数諸仏国。復如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則前為無量清浄仏作礼而去。則復四角無央数諸仏国。各復如恒水辺流沙。一沙一仏其数各如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。前為無量清浄仏作礼已。頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。仏言。八方上下諸無央数仏。更遣諸菩薩。飛到無量清浄仏所。聴経供養。転更相開避。如是則下面。諸八方無央数仏国。一方者各復如恒水辺流沙。一沙一仏其数復如是。諸仏各遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。前為阿弥陀仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。上方諸仏。更遣諸菩薩。飛到無量清浄仏所。聴経供養相開避。前来者則去避後来者。後来者供養亦復如是。終無休絶極時
仏告阿難。無量寿仏威神無極。十方世界無量無辺不可思議諸仏如来。莫不称歎於彼東方恒沙仏国。無量無数諸菩薩衆。皆悉往詣無量寿仏所。恭敬供養及諸菩薩声聞大衆。聴受経法宣布道化。南西北方四維上下亦復如是。
阿難。以此義利故。無量無数不可思議無有等等無辺世界諸仏如来。皆共称讃無量寿仏所有功徳
仏告阿難。東方如恒河沙界。一一界中有如恒沙菩薩。為欲瞻礼供養無量寿仏及諸聖衆来詣仏所。南西北方四維上下。亦復如是。
仏説大乗無量寿荘厳経巻下
西天訳経三蔵朝散大夫試光禄卿明教大師臣法賢奉 詔訳
復次阿難。東方恒河沙数仏刹。一一刹中。有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。南方恒河沙数仏刹。一一刹中。亦有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。西方恒河沙数世界。一一仏刹。亦有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。北方恒河沙数仏刹。一一仏刹。亦有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。四維上下亦復如是。各礼仏足。称讃仏土功徳荘厳。
atha khalu bhagavāṃs tasyāṃ velāyām imam evārthaṃ bhūyasyā mātrayā paridīpayann imā gāthā abhāṣata //
yathaiva gaṅgāya nadīya vālikā
buddhāna kṣetrā purimeṇa tāttakāḥ /
yato hi te agāmi buddha vandituṃ
saṃbodhisattvā amitāyu nāyakaṃ // 1 //
bahupuṣpapuṭāṃ gṛhītvā te
nānavarṇa surabhī manoramān /
okiranti naranāyakottamaṃ
amita-āyu naradevapūjitaṃ // 2 //
tatha dakṣiṇāpaścima-uttarāsu
buddhāna kṣetrā daśatāsu tattakāḥ /
yato yato āgami buddha vandituṃ
saṃbodhisattvā amitāyu nāyakaṃ // 3 //
bahugandhapuṭāṃ gṛhītvā te
nānavarṇa surabhī manoramān /
okiranti naranāyakottamaṃ
amita-āyu naradevapūjitaṃ // 4 //
「(一)東方に、ガンジス河の砂のように、
それだけ多くの、もろもろの仏の国土がある。
そこから、実にかれら菩薩たちは、
導師アミターユ〔ス〕仏を礼拝するためにやってきた。
(二)かれらは、種々の色があり、かぐわしく、愛らしい、
多くの花の包みをたずさえて、
人間の最上の導師であり、
人間と神々に供養されたアミターユ〔ス〕にふり撒く。
(三)同様に、南・西・北の諸方角に、
それだけ多くの、もろもろの仏の国土がある。
その各々から、菩薩たちが、
導師アミターユ〔ス〕仏を礼拝するためにやってきた。
(四)かれらは、種々の色があり、かぐわしく、愛らしい、
多くの香りの包みをたずさえて、
人間の最上の導師であり、
人間と神々に供養されたアミターユ〔ス〕にふり撒く。
1. 'As there are Buddha countries equal to the sand of the river Gaṅgā in the eastern quarter, whence all the Bodhisattvas come to worship the Buddha, the lord Amitāyu;
2. 'And they having taken many bunches of flowers of different colours, sweetly-scented and delightful, shower them down on the best leader of men, on Amitāyu, worshipped by gods and men;—
3. 'In the same manner there are as many Buddha countries in the southern, western, and northern quarters, whence they come with the Bodhisattvas to worship the Buddha, the lord Amitāyu.
4. 'And they having taken many handfulls of scents of different colours, sweetly scented and delightful, shower them down on the best leader of men, on Amitāyu, worshipped by gods and men.
T0361_.12.0288b01-02
T0361_.12.0288a28-29
譬若如恒沙刹 東方仏国如是
各各遣諸菩薩 稽首礼無量覚
此十方菩薩飛 皆以衣裓諸華
天拘蚕種種具 往供養無量覚
西南北面皆爾 如是恒沙数土
是諸仏遣菩薩 稽首礼無量覚
T0360_.12.0272c21-22
T0360_.12.0272c19-20
爾時世尊而説頌曰
東方諸仏国 其数如恒沙
彼土諸菩薩 往覲無量覚
一切諸菩薩 各齎天妙華
宝香無価衣 供養無量覚
南西北四維 上下亦復然
彼土菩薩衆 往覲無量覚
T0310_.11.0098b01
T0310_.11.0098a27-29
爾時世尊。而説頌曰
東方諸仏刹 数如恒河沙
如是仏土中 恒沙菩薩衆
皆現神通来 礼無量寿仏
各齎衆妙花 名香皆可悦
三方諸聖衆 礼覲亦同帰
彼於沙界中 道光諸弁論
住深禅定楽 四無所畏心
T0363_.12.0323c25-0324a01
T0363_.12.0324a02-03
爾時世尊即説頌曰
東方世界恒河沙 一一刹中無数量
菩薩声聞発勝心
各以香花宝蓋等 持至荘厳仏刹中
供養如来無量寿 供已礼足而称讃
最上希有大福田
如是西南及北方 四維上下恒沙界
声聞菩薩数亦然
pūjitva cā te bahubodhisattvā
vanditva pādām amitaprabhasya /
pradakṣiṇīkṛtya vadanti caivaṃ
aho 'dbhutaṃ śobhati buddhakṣetraṃ // 5 //
te puṣpapūṭehi puno kiranti
udagracittā atulāya prītiye /
vācaṃ prabhāṣanti purasta tu nāyake
asmāpi kṣetraṃ siya evarūpaṃ // 6 //
アミタ・プラバ(無量の光明をもつ者)の両足を礼拝し、
右まわりにまわって、このように言う。
『おお、希有なるかな、仏国土は輝いている!』〔と〕。
(六)かれらは、花の包みをもって再び撒き、
心が踊躍し、無比なる喜びによって、
導師の前で言葉を述べる。
『われわれの国土もまたこのようになるように』〔と〕。
6. 'And they cover him again with handfulls of flowers, with thoughts jubilant, with incomparable joy, and proclaim their wish before that lord: "May our country also be such as this."
T0361_.12.0288b05-06
諸菩薩皆大集 稽首礼無際光
遶三匝叉手住 歎国尊無量覚
皆持華散仏上 心清浄称無量
於仏前住自説 願使我刹如此
T0360_.12.0272c25-28
T0360_.12.0272c29-0273a01
咸然奏天楽 暢発和雅音
歌歎最勝尊 供養無量覚
究達神通慧 遊入深法門
具足功徳蔵 妙智無等倫
慧日照世間 消除生死雲
恭敬遶三匝 稽首無上尊
見彼厳浄土 微妙難思議
因発無量心 願我国亦然
T0310_.11.0098b04-07
T0310_.11.0098b08-09
并奏諸天楽 百千和雅音
以献天人師 名聞十方者
究竟威神力 善学諸法門
種種供養中 勤修無懈倦
功徳智慧景 能破諸幽冥
咸以尊重心 奉諸珍妙供
彼観殊勝刹 菩薩衆無辺
願速成菩提 浄界如安楽
T0363_.12.0324a04-05
T0363_.12.0324a06
皆以香花伸供養
礼足旋繞懐敬愛 復讃如来宿願深
積集功徳普荘厳 無量無辺極楽国
諸仏国界雖厳飾 難比如来宝刹中
paśyātha buddho varapuṇyarāśiḥ
parīvṛtaḥ śobhati bodhisattvaiḥ /
amitāsya ābhā amitaṃ ca tejaḥ
amitā ca āyūr amitaś ca saṃghaḥ // 10 //
smitaṃ karotī amitāyu nāthaḥ
ṣaṭtriṃśakoṭīnayutāni arciṣāṃ /
ye niścaritvā mukhamaṇḍalātaḥ
sphuranti kṣetrāṇi sahasrakoṭīḥ // 11 //
tāḥ sarva arcīḥ punar etya tatra
mūrdhne ca astaṃgami nāyakasya /
devā manuṣyā janayanti prītiṃ
arcis tadā astamitā viditvā // 12 //
菩薩たちにとりまかれて輝いている。
その光は無量であり、威光も無量である。
寿命も無量であり、また僧団も無量である』〔と〕。
(一一)主であるアミターユ〔ス〕は微笑し、
三十六の百万・千万倍の光焔が、
〔その〕顔面より放たれ、
千・千万の国土を満たす。
(一二)それらすべての光焔は、そこに再び帰って、
導師の頭の中に消えた。
そのとき、光焔が消えたのを知って、
神々と人間たちは喜びを生ずる。
11. 'And the lord Amitāyu makes a smile of thirty-six niyutas of koṭīs of rays, which rays having issued from the circle of his mouth light up the thousand koṭīs of Buddha countries.
12. 'And all these rays having returned there again settle on the head of the lord; gods and men produce (perceive) the delight, because they have seen there this light of him.
T0361_.12.0288b15-16
T0361_.12.0288b17-18
見菩薩遶世尊 威神猛寿無極
国覚衆甚清浄 無数劫難思議
時無量世尊笑 三十六億那術
此数光従口出 遍炤諸無数刹
則迴光還遶仏 三匝已従頂入
色霍然不復現 天亦人皆歓喜
T0360_.12.0273a04-05
応時無量尊 動容発欣笑
口出無数光 遍照十方国
迴光囲遶身 三匝従頂入
一切天人衆 踊躍皆歓喜
世尊知欲楽 広大不思議
微笑現金容 告成如所願
T0363_.12.0324a15-16
爾時彼仏無量寿 化導他方菩薩心
密用神通化大光 其光従彼面門出
三十六億那由他 普照倶胝千仏刹
如是人天普照已 即入如来頂髻中
時会一切諸衆生 敬歎仏光未曽有
uttiṣṭhate buddhasuto mahāyaśā
nāmnātha so hī avalokiteśvaraḥ /
ko hetur atrā bhagavan ka pratyayaḥ
yena smitaṃ kurvasi lokanātha // 13 //
taṃ vyākarohī paramārthakovidā
hitānukampī bahusattvamocakaḥ /
śrutvā ti vācaṃ paramāṃ manoramāṃ
udagracittā bhaviṣyanti sattvāḥ // 14 //
ye bodhisattvā bahulokadhātuṣu
sukhāvatīṃ prasthita buddha paśyanā /
te śrutva prītiṃ vipulāṃ janetvā
kṣipraṃ imaṃ kṣetra vilokayeyuḥ // 15 //
かの大名声のある仏の子は立ち上がり、〔このように言う〕。
『世尊よ、いかなる因由、いかなる機縁によって、
〔おんみは〕微笑されたのか、世間の主よ。
(一四)最高の意義を熟知し、福利と憐愍をもち、
多くの衆生を解脱させる〔おんみ〕は、それを記説したまえ。
おんみの最高に快い言葉を聞いて、
衆生たちは心が踊躍するであろう。
(一五)仏にまみえようと極楽に向かった
多くの世界における菩薩たちは、
〔おんみの言葉を〕聞いて、広大な喜びを生じ、
すみやかに、この国土を観察するであろう。
14. ' "Explain this, for thou knowest the sense, and art full of kind compassion, the deliverer of many living beings. All beings will be filled with joyful thoughts, when they have thus heard this excellent and delightful speech.
15. ' "And the Bodhisattvas who have come from many worlds to Sukhāvatī in order to see the Buddha, having heard it and having perceived the great joy, will quickly inspect this country.
T0361_.12.0288b21-24
T0361_.12.0288b25-26
廅楼亘従坐起 正衣服稽首問
白仏言何縁笑 唯世尊説是意
願授我本空&T040879; 慈護成百福相
聞是諸音声者 一切人踊躍喜
梵之音及雷霆 八種音深重声
仏授廅楼亘決 今吾説仁諦聴
衆世界諸菩薩 到須阿提礼仏
聞歓喜広奉行 疾得至得浄処
T0360_.12.0273a08-09
T0360_.12.0273a10-19
大士観世音 整服稽首問
白仏何縁笑 唯然願説意
梵声猶雷震 八音暢妙響
当授菩薩記 今説仁諦聴
十方来正士 吾悉知彼願
志求厳浄土 受決当作仏
覚了一切法 猶如夢幻響
満足諸妙願 必成如是刹
知法如電影 究竟菩薩道
具諸功徳本 受決当作仏
通達諸法門 一切空無我
専求浄仏土 必成如是刹
諸仏告菩薩 令覲安養仏
聞法楽受行 疾得清浄処
了諸法如幻 仏国猶夢響
恒発誓荘厳 当成微妙土
菩薩以願力 修勝菩提行
知土如影像 発諸弘誓心
若求遍清浄 殊勝無辺刹
聞仏聖徳名 願生安楽国
若有諸菩薩 志求清浄土
了知法無我 願生安楽国
āgatya ca kṣetram idaṃ udāraṃ
ṛddhībalaṃ prāpuṇi kṣipram eva /
divyaṃ ca cakṣus tatha śrotra divyaṃ
jātismarāḥ paramatakovidāś ca // 16 //
amitāyu buddhas tada vyākaroti
mama hy ayaṃ praṇidhir abhūṣi pūrva /
kathaṃ pi sattvāḥ śruṇiyāna nāmaṃ
vrajeyu kṣetraṃ mama nityam eva // 17 //
sa me ayaṃ praṇidhi prapūrṇa śobhanā
sattvāś ca entī bahulokadhātutaḥ /
āgatya kṣipraṃ mama te 'ntikasmin
avivartikā bhontiha ekajātiyā // 18 //
すみやかに、神通力と、
天の眼と、同じく、天の耳とを得るであろう。
また、〔前〕生を想起し、他人の考えを熟知する者と〔なるであろう〕』〔と〕。
(一七)そのとき、アミターユ〔ス〕仏は記説される。
『これは実に、わたくしの前世の誓願であった——
〈衆生たちは、〔わたくしの〕名を聞いて、
どのようにしてでも、まさしく常に、わたくしの国土に到りうるように〉——。
(一八)わたくしの、この卓越した誓願は満たされた。
そして、衆生たちは、多くの世界からやってくる。
かれらは、すみやかに、わたくしのもとに来て、
ここで、一生の間、退転しない者となる』〔と〕。
17. 'Then Buddha Amitāyu preaches: "This prayer was mine formerly, so that beings having in any way whatever heard my name should for ever go to my country.
18. ' "And this my excellent prayer has been fulfilled, and beings having quickly come here from many worlds into my presence, never return from here, not even for one birth."
T0361_.12.0288b29-c01
T0361_.12.0288c02-03
已到此厳浄国 便速得神足倶
眼洞視耳徹聴 亦還得知宿命
無量覚授其決 我前世有本願
一切人聞説法 皆疾来生我国
吾所願皆具足 従衆国来生者
皆悉来到此間 一生得不退転
T0360_.12.0273a21-22
T0360_.12.0273a23
至彼厳浄土 便速得神通
必於無量尊 受記成等覚
其仏本願力 聞名欲往生
皆悉到彼国 自致不退転
tasmād ya icchātiha bodhisattvaḥ
mamāpi kṣetraṃ siya evarūpaṃ /
ahaṃ pi sattvā bahu mocayeyaṃ
nāmena ghoṣena 'tha darśanena // 19 //
sa śīghraśīghraṃ tvaramāṇarūpaḥ
sukhāvatīṃ gacchatu lokadhātuṃ /
gatvā ca pūrvaṃ amitaprabhasya
pūjetu buddhāna sahasrakoṭī // 20 //
buddhānā koṭīṃ bahu pūjayitvā
ṛddhībalena bahu kṣetra gatvā /
kṛtvāna pūjāṃ sugatāna santike
bhaktāgram eṣyanti sukhāvatī ta iti // 21 //
〈わたくしの国土も、このようになるように。
わたくしもまた、〔わたくしの〕名や、音声により、また〔わたくしに〕まみえることによって、
多くの衆生たちを解脱せしめよう〉と望むならば、
(二〇)かれは早く早く大急ぎで、
極楽世界に行くがよい。
そして、アミタ・プラバの前に行って、
千・千万の仏たちを供養せよ。
(二一)千万の多くの仏たちを供養して、
神通力によって、多くの国土に行き、
善逝たちのもとで、供養をなしおわって、
かれは、食前に、極楽に帰るであろう。
20. 'Let him quickly and with speed go to the world Sukhāvatī, and having gone near Amitaprabha, let him worship a thousand koṭīs of Buddhas.
21. 'Having worshipped many koṭīs of Buddhas, and having gone to many countries by means of their miraculous power, and having performed adoration in the presence of the Sugatas, they will go to Sukhāvatī with devotion.
T0361_.12.0288c06-07
T0361_.12.0288c08-09
若菩薩更興願 欲使国如我刹
亦念度一切人 令各願達十方
速疾超便可到 安楽国之世界
至無量光明土 供養於無数仏
其奉事億万仏 飛変化遍諸国
恭敬已歓喜去 便還於須摩提
T0360_.12.0273a26-27
菩薩興志願 願己国無異
普念度一切 名顕達十方
奉事億如来 飛化遍諸刹
恭敬歓喜去 還到安養国
各各倶発菩提心 願出塵労登彼岸
爾時世尊。説此偈已。会中有観自在菩薩。即従座起合掌向仏。而作是言。世尊。以何因縁。無量寿仏於其面門。放無量光照諸仏刹。唯願世尊方便解説。令諸衆生及他方菩薩。聞是語已生希有心。於仏菩提志楽趣求入不退位
爾時世尊告観自在菩薩言。汝今諦聴吾為汝説。彼仏如来。於過去無量無辺阿僧祇劫前。為菩薩時発大誓言。我於未来成正覚時。若有十方世界無量衆生。聞我名号或頂礼憶念。或称讃帰依。或香花供養等。如是衆生速生我刹。見此光明即得解脱。若諸菩薩見此光明即得受記証不退位。手持香花及諸供具。往十方界無辺浄刹。供養諸仏而作仏事増益功徳。経須臾間復還本土受諸快楽。是故光明而入仏頂
atha khalu bhagavāṃs tasyāṃ velāyām imā gāthā abhāṣata //
neme akṛtapuṇyānāṃ
śravā bheṣyanti īdṛśāḥ /
ye tu te śūra siddhārthāḥ
te śroṣyanti imāṃ girāṃ // 1 //
dṛṣṭo yaiś ca hi saṃbuddho
lokanātha prabhaṃkaraḥ /
sagauravaiḥ śruto dharmaḥ
prītiṃ prāpsyanti te parāṃ // 2 //
「(一)福徳を行わない者たちは、
このようにこれら〔の法門〕を聞くことがないであろう。
しかし、勇気があり、目的を成就した者たちは、
この言説を聞くであろう。
(二)そして、実に、等覚者であり、
世間の主であり、光明を放つ方にまみえ、
尊敬して、法を聞いた者たち、
かれらは最高の喜びを得るであろう。
1. 'Such hearings of me will not be for people who have not done good; but those who are heroes and perfect, they will hear this speech.
2. 'And those by whom the Lord of the world, the enlightened and the light-giver, has been seen, and the law been heard reverentially, will obtain the highest joy.
T0361_.12.0288c12-13
非有是功徳人 不得聞是経名
唯有清浄戒者 乃逮聞此正法
曽更見世尊雄 則得信於是事
謙恭敬聞奉行 便踊躍大歓喜
T0360_.12.0273b01-02
若人無善本 不得聞此経
清浄有戒者 乃獲聞正法
曽更見世尊 則能信此事
謙敬聞奉行 踊躍大歓喜
T0310_.11.0101b11-12
T0310_.11.0101b13-14
爾時世尊。而説頌曰
若於福徳初未修 終不聞斯微妙法
勇猛能成諸善利 当聞如是甚深経
彼人曽見諸世尊 能作大光拯濁世
多聞総持如巨海 彼獲聖賢喜愛心
T0363_.12.0326b04-05
T0363_.12.0326b06
爾時世尊而説頌曰
若不往昔修福慧 於此正法不能聞
已曽供養諸如来 是故汝等聞斯義
聞已受持及書写 読誦讃演并供養
na śakya hīnebhi kuśīdadṛṣṭibhiḥ
buddhāna dharmeṣu prasāda vinditum /
ye pūrvabuddheṣu akārṣu pūjāṃ
te lokanāthāṃ caryāsu śikṣiṣu // 3 //
yathāndhakāre puruṣo hy acakṣuḥ
mārgaṃ na jāne kutu saṃprakāśayet /
sarve tathā śrāvaka buddhajñāne
ajānakāḥ kiṃ punar anya sattvāḥ // 4 //
buddho hi buddhasya guṇā prajānate
na devanāgāsurayakṣaśrāvakāḥ /
pratyekabuddhāna pi ko gatīpatho
buddhasya jñāne hi prakāśyamāne // 5 //
仏たちのもろもろの法に対して浄信を得ることができない。
前世の仏たちに供養を行った者たちは、
世間の主たちのもろもろの行を学んでいた。
(四)たとえば、暗闇の中では、人はまさしく盲目であり、
道を知り得ない。どうして、〔それを他人に〕明示し得ようか。
それと同じように、一切の声聞たちは、仏の智について、
知ることがない。まして、他の衆生たちは〔知り得ようか〕。
(五)仏は、実に、仏のもろもろの功徳を知る。
神々・龍・阿修羅・夜叉・声聞たちは〔知ら〕ない。
まさに仏の智が説き明かされるとき、
独覚たちでさえも、どのような了解の道があろうか。
4. 'As a blind man in darkness does not know the way, and much less can show it, so also he who is (only) a Śrāvaka in the knowledge of Buddha; how then should beings who are ignorant!
5. 'The Buddha only knows the virtues of a Buddha; but not gods, Nāgas, Asuras, Yakshas, and Śrāvakas (disciples); even for Anekabuddhas there is no such way, as when the knowledge of a Buddha is being manifested.
T0361_.12.0288c16-17
T0361_.12.0288c18-19
悪驕慢弊懈怠 難以信於此法
宿世時見仏者 楽聴聞世尊教
譬従生盲冥者 欲得行開導人
声聞悉或大乗 何況於俗凡諸
天中天相知意 声聞不了仏行
辟支仏亦如是 独正覚乃知此
T0360_.12.0273b05-06
T0360_.12.0273b07-08
憍慢弊懈怠 難以信此法
宿世見諸仏 楽聴如是教
声聞或菩薩 莫能究聖心
譬如従生盲 欲行開導人
如来智慧海 深広無崖底
二乗非所測 唯仏独明了
T0310_.11.0101b17-18
T0310_.11.0101b19-20
懈怠邪見下劣人 不信如来斯正法
若曽於仏殖衆善 救世之行彼能修
譬如盲人恒処闇 不能開導於他路
声聞於仏智亦然 況余有情而悟解
如来功徳仏自知 唯有世尊能開示
天竜夜叉所不及 二乗自絶於名言
彼仏利楽諸功徳 唯仏与仏乃能知
声聞縁覚満世間 尽其神力莫能測
yadi sarvasattvāḥ sugatā bhaveyuḥ
viśuddhajñānā paramārthakovidā /
te kalpakoṭīr atha vāpi uttare
ekasya buddhasya guṇāṃ katheyuḥ // 6 //
atrāntare nirvṛta te bhaveyuḥ
prakāśamānā bahukalpakoṭīḥ /
na ca buddhajñānasya pramāṇu labhyate
tathā hi jñānāścariyaṃ jinānāṃ // 7 //
tasmān naraḥ paṇḍita vijñajātiyaḥ
yo mahya vākyaṃ abhiśraddadheyuḥ /
kṛtsnāṃ sa sākṣī jinajñānarāśiṃ
buddha prajānā ti girām udīrayet // 8 //
清浄な智をもち、最高の意義を熟知する者となり、
かれらが、千万劫の間、あるいはそれ以上にも、
ひとりの仏のもろもろの功徳を語るとしても、
(七)千万という多くの劫の間、説き明かしながら、
その中間で、かれらが入滅したとしても、
しかも、仏の智の量は〔計り〕得られない。
勝者たちの智の希有であることは、まさに、このようである。
(八)それゆえに、わたくしの言葉を信ずる、
賢者にして、分別のある人は、
勝者の智の集まり全体についての証人として、
〈仏たちは知っておられる〉という語を発するであろう。
7. 'Thereupon they would attain Nirvāṇa, preaching for many koṭīs of kalpas, and yet the measure of the knowledge of a Buddha would not be reached, for such is the wonderfulness of the knowledge of the Jinas.
8. 'Therefore a learned man of an intelligent race who believes my words, after having perceived all paths of the knowledge of the Jinas, should utter speech, saying, "Buddha is wise."
T0361_.12.0288c22-23
T0361_.12.0288c24-25
使一切悉作仏 其浄慧智本空
復過此億万劫 計仏智無能及
講議説無数劫 尽寿命猶不知
仏之慧無辺幅 如是行清浄致
奉我教乃信是 唯此人能解了
仏所説皆能受 是則為第一証
T0360_.12.0273b11-12
仮使一切人 具足皆得道
浄慧如本空 億劫思仏智
窮力極講説 尽寿猶不知
仏慧無辺際 如是致清浄
T0310_.11.0101b23-25
T0310_.11.0101b26-27
若諸有情当作仏 行超普賢登彼岸
敷演一仏之功徳 時逾多劫不思議
於是中間身滅度 仏之勝慧莫能量
是故具足於信聞 及諸善友之摂受
得聞如是深妙法 当獲愛重諸聖尊
如来勝智遍虚空 所説義言唯仏悟
是故博聞諸智士 応信我教如実言
T0363_.12.0326b07
仮使長寿諸有情 命住無数倶胝劫
称讃如来功徳身 尽其形寿讃無尽
如是一心求浄方 決定往生極楽国
kadāci labhyāti manuṣyalābhaḥ
kadāci buddhāna pi prādurbhāvaḥ /
śraddhātha prajñā sucireṇa lapsyate
tasyārthaprāptyai janayātha vīryaṃ // 9 //
ya īdṛśāṃ dharma śruṇitva śreṣṭhāṃ
labhyanti prītiṃ sugataṃ smarantaḥ /
te mitram asmākam atītam adhvani
ye buddhabodhāya janenti cchandam iti // 10 //
ある時には、仏たちが出現することもある。
信も、智慧も、非常に長い時間を経て得られるであろう。
その意義を知得するために〔そなたたちは〕精進をおこせよ。
(一〇)このようにすぐれたもろもろの法を聞いて、
善逝を憶念しつつ、喜びを得、
仏の覚りに意欲を生ずる者たち、
かれらは、過去世において、われわれの友だちであった。」
T0361_.12.0288c28-29
T0361_.12.0289a01-02
人之命希可得 仏在世甚難値
有信慧不可致 若聞見精進求
聞是法而不忘 便見敬得大慶
則我之善親厚 以是故発道意
設令満世界火 過此中得聞法
会当作世尊将 度一切生老死
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T0360_.12.0273b17-18
寿命甚難得 仏世亦難値
人有信慧難 若聞精進求
聞法能不忘 見敬得大慶
則我善親友 是故当発意
設満世界火 必過要聞法
会当成仏道 広済生死流
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人趣之身得甚難 如来出世遇亦難
信慧多時方乃獲 是故修者応精進
如是妙法已聴聞 常念諸仏而生喜
彼人往昔真吾友 善能楽欲仏菩提
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大聖法王所説法 利益一切諸群生
若有受持恭敬者 仏説此人真善友
仮使大火満三千 及彼荘厳諸牢獄
如是諸難悉能超 皆是如来威徳力
tatra khalu punar ānanda ye bodhisattvāḥ pratyājātāḥ pratyājāyante pratyājaniṣyante vā sarve ta ekajātipratibaddhās tata evānuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbhotsyante sthāpayitvā praṇidhānavaśaṃ yena bodhisattvā mahāsiṃhanādanāditā udārasaṃnāhasaṃnaddhāḥ sarvasattvaparinirvāṇābhiyuktāś ca //
仏告阿難。彼国菩薩。皆当究竟一生補処。除其本願。為衆生故。以弘誓功徳而自荘厳。普欲度脱一切衆生。
復次阿難。極楽世界所有菩薩。於無上菩提皆悉安住一生補処。唯除大願能師子吼擐大甲冑摩訶薩衆為度群生修大涅槃者。
復次阿難。彼仏刹中所有現在及未来生。一切菩薩摩訶薩。一生令得阿耨多羅三藐三菩提。若有菩薩。以宿願故入生死界。作師子吼利益有情。我令随意而作仏事
tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre ye śrāvakās te vyāmaprabhā ye bodhisattvās te yojanakoṭīśatasahasraprabhāḥ sthāpayitvā dvau bodhisattvau yayoḥ prabhayā sā lokadhātuḥ satatasamitaṃ nityāvabhāsasphuṭā / atha khalv āyuṣmān ānando bhagavantam etad avocat / kiṃ nāmadheyau bhagavaṃs tau satpuruṣau bodhisattvau mahāsattvau / bhagavān āha / ekas tayor ānandāvalokiteśvaro bodhisattvo mahāsattvo dvitīyo mahāsthāmaprāpto nāma / ita evānanda buddhakṣetrāc cyutvā tatropapannau //
そのとき、尊者アーナンダは世尊に対してこう言った。
「世尊よ、その善き人である二人の菩薩・大士の名は、何というのでしょうか。」
世尊は言われた。
「アーナンダよ、その中の一人は、アヴァローキテーシュヴァラ(観世音)菩薩・大士であり、第二の人は、マハー・スターマ・プラープタ(大勢至)と名づける。アーナンダよ、〔この二人は〕この仏国土より、死没して、かしこに生れたのである。
Then the blessed Ānanda said this to the Bhagavat: 'What are the names, O Bhagavat, of those two noble-minded Bodhisattvas?
The Bhagavat said: 'One of them, O Ānanda, is the noble-minded Bodhisattva Avalokiteśvara, and the second is Mahāsthāmaprāpta by name. And, O Ānanda, these two were born there, having left this Buddha country here.'
諸菩薩阿羅漢頂中。皆悉自有光明。所照有大小。諸菩薩中。有最尊両菩薩。常在仏左右坐侍正論。仏常与是両菩薩共対坐。議八方上下去来現在之事。若欲使是両菩薩。到八方上下無央数諸仏所。即便飛行。随心所欲至到飛行。使疾如仏。勇猛無比。其一菩薩名蓋楼亘。其一菩薩名摩訶那鉢。光明智慧最第一。頂中光明各焔照他方。千須弥山仏国中常大明。其諸菩薩頂中光明各照千億万里。諸阿羅漢頂中光明。各照七丈。仏言。世間人民。若善男子善女人。若有急恐怖県官事者。但自帰命是蓋楼亘菩薩摩訶那鉢菩薩所。無不得解脱者
菩薩たちのなかに、最も尊い二人がいて、いつも佛の脇にいて仕え、ひたすら論じている。佛は常にこの二人の菩薩と向かい合って坐り、八方上下の過去・未来・現在のことについて話し合っている。もし、この二人の菩薩を、八方上下の無数の仏の許へ遣わそうすると、彼らはすぐに飛んでゆき、望むがままに行ってくれる。仏の様に速く飛行し、その勇猛さは比肩する者がいない。その内の一人の菩薩は「廅楼亘(こうろうかん)」という名である。もう一人の菩薩は「摩訶那鉢(まかなはつ)」という名である。(彼らは)光明と智慧において最もすぐれていて、それぞれの頭頂の光は、他方の千の須弥山仏国を照らし、それらは(そのせいで)いつもとても明るい。(阿弥陀仏国の)菩薩たちの頭頂の光明は、それぞれ千億万里を照らす。阿羅漢たちの頭頂の光明は、それぞれ七丈を照らす。」
仏は仰った。
「世間の人々、あるいは善男子・善女人が、差し迫った恐怖や役人の横暴に遭ったとき、ただこの廅樓亘菩薩・摩訶那鉢菩薩に帰命しさえすれば,必ずや(危機を)脱する。」
無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢。其項中光明。皆悉自有光明所照大小。其諸菩薩中。有最尊両菩薩。常在無量清浄仏左右座辺。坐侍政論。無量清浄仏。常与是両菩薩共対坐。議八方上下去来現在之事。無量清浄仏。若欲使令是両菩薩。到八方上下無央数諸仏所。是両菩薩便飛行。則到八方上下無央数諸仏所。随心所欲至到何方仏所。是両菩薩。則倶飛行則到飛行駃疾如仏。勇猛無比。其一菩薩名廅楼亘。其一菩薩名摩訶那光明智慧最第一。其両菩薩項中光明。各焔照他方。千須弥山仏国常大明。其諸菩薩項中光明。各照千億万里。諸阿羅漢項中光明。各照七丈。仏言。其世間人民。善男子善女人。若有一急恐怖遭県官事者。但自帰命是廅楼亘菩薩。無所不得解脱者也◎
仏説無量清浄平等覚経巻第二
阿難。彼仏国中。諸声聞衆身光一尋。菩薩光明照百由旬。有二菩薩最尊第一。威神光明。普照三千大千世界。阿難白仏。彼二菩薩其号云何。仏言。一名観世音。二名大勢至。是二菩薩。於此国土修菩薩行。命終転化生彼仏国。
復次阿難。彼仏刹中諸声聞衆。皆有身光能照一尋。菩薩光照極百千尋。除二菩薩光明常照三千大千世界。阿難白仏言。世尊。彼二菩薩名為何等。仏告阿難。汝今諦聴。彼二菩薩。一名観自在。二名大勢至。阿難。此二菩薩従娑婆世界捨寿量已往生彼国。
復次阿難。彼仏刹中。一切菩薩及諸声聞。身相端厳円光熾盛。周迴照耀百千由旬。有二菩薩。身光遠照三千大千世界。阿難白言。此二菩薩有大身光。其名云何。仏告阿難。二菩薩者。一名観自在。二名大精進。現居此界作大利楽。命終之後当生彼国