無量寿経 Larger Sukhāvatīvyūha
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tad yathānanda rājñaś cakravartinaḥ purato manuṣyahīno manuṣyapaṇḍako na bhāsate na tapati na virocate na bhavati viśārado na prabhāsvara evam eva devānāṃ paranirmitavaśavartināṃ purataḥ śakro devānām indro na bhāsate na tapati na virocate yad idam udyānavimānavastrābharaṇair ādhipatyena varddhyā vā prātihāryeṇa vaiśvaryeṇa vā / na tu khalu punar dharmābhisamayena dharmaparibhogeṇa vā / tatrānanda yathā devāḥ paranirmitavaśavartina evaṃ sukhāvatyāṃ lokadhātau manuṣyā draṣṭavyāḥ //
仏語阿難。如世間貧窮乞丐人。令在帝王辺住者。其面目形状寧類帝王面目形類顔色不。阿難言。仮使王子在帝王辺住者。其面目形状甚醜悪不好。不如帝王。百千億万倍也。所以者何。乞人貧窮困極。飲食常悪。未常有美食時。既悪食不能得飽食。食纔支命。骨節相&T016114;拄。無以自給。常乏無有儲飢餓寒凍。怔忪愁苦。但坐前世。為人愚痴。無智慳貪。不肯慈哀。為善博愛施与。但欲唐得貪惜飲食独食嗜美。不信施貸後得報償。復不信作善後世当得其福。蒙悾抵佷益作衆悪。如是寿終財物尽索。素無恩徳無所恃怙。入悪道中坐之適苦。然後得出解脱。今生為人。作於下賤。為貧家作子。強像人形状類甚醜。衣被弊壊単空独立。不蔽形体乞丐生耳。飢寒困苦面目羸劣不類人色。坐其前世身之所作。受其殃罰。示衆見之莫誰哀者。棄捐市道曝露痟痩。黒醜悪極不及人耳。所以帝王人中独尊最好者何。皆其前世為人時。作善信受経道。布恩施徳。博愛順義。慈仁憙与。不貪飲食与衆共之。無所匱惜都無違争。得其善福寿終徳随不更悪道。今生為人得生王家。自然尊貴独王典主攬制人民為其雄傑。面目潔白和顔好色。身体端正衆共敬事。美食好衣随心恣意。若楽所欲自然在前都無違争。於人中姝好。無憂快楽面目光沢。故乃爾耳。
「例えば、もし、世間にいる貧しい物乞いが帝王のかたわらに立ったなら、その人の顔や姿は、帝王の顔や姿や顔つきに似ているだろうか?」
阿難は言った。
「たとえ王子でも帝王のかたわらに立ったら、その顔や姿はとても醜く好いものではなく、帝王に百千億万倍もかなわない。なぜかというと。物乞いの者は貧しく、とても疲れていて、食事はいつも悪く、美味しいものを食べたことなどない。粗末な食べ物すら十分には食べられず、食べてもやっと命長らえる程度で、骨と関節が支えあっているという様。自分で生活することができず、常に窮乏していて、蓄えはなく、飢え、こごえ、おびえ、苦悩している。(これは彼が)前世で人であったとき、おろかで、無知で、けちで、慈しみをもって善をなしたり、多くの人々を慈しんで施しをしようとしなかったために他ならない。(彼は)大きな利益ばかり望み、飲食にけちけちし、独りで食べて美味しい味をむさぼり、施したり貸したりすれば後で良い報いがあることを信じず、また善行をなせば来世でその福徳を得るということを信じず、ぼんくらで、人の言うことに耳をかさず、大いに数多くの悪行をなし、このまま命終え、財物は尽き、もともと(他の人に対する)恩徳がなく、頼りになるものがなく、(三)悪道に落ちた。その報いで苦しい目にあい、その後、そこから抜け出て、今生で人間となり、賤しい者となって、貧しい家の子となった。なんとか人間の形はしているが、姿はとても醜い。着ているものはボロボロ、ひとりぼっちのからっけつで孤独、まともに体を覆っておらず、物乞いをして暮らしている。飢えと寒さに苦しみ、顔はやつれきり、人間の様をしていない。その前世の自分の行いによって、その罰を受けている。人々に見せても、誰も憐れまない。町なかの道に捨てられ、丸裸で、痩せこけ、黒く醜く、醜さ極まり、他の人の比ではない。
帝王が人間の中でとりわけ尊く、もっともすばらしいのはなぜか?(彼らは)みな前世で人であったときに、善をなし、(仏の)教えを信じて受け入れ、人々に恩徳を施し、広く慈しみ、道義に従い、思いやりの心をもって喜んで施し、飲食を貪らず、人と分け合い、物惜しみせず、まったく(人と)いざこざがなかった。これらの善根福徳を積んで、命終え、その徳が付き従い、(三)悪道に生まれず、今生で人間になり、王家に生まれることができた。生まれつき尊く、独り、王として(国を)治め、人民を治め、彼らの英雄となる。顔はあくまで白く、なごやかできれいな顔、端正な身体をもち、人々に敬われ仕えられる。美味しい食べ物・きれいな服は、意のまま、望むがままに自ずと目の前に現れる。まったく(人と)いざこざがなく、人々のあいだで目立ってすばらしい。憂いはなく、幸せで、顔は光り輝いている。だからこのようであるのだ。」
仏語阿難。如世間貧窮乞丐人。令在帝王辺住者。其人面目形貌。何等類乎。寧類帝王面目形貌顔色不。阿難言。仮令使子在帝王辺住者。其面目形状甚醜悪不好。不如帝王面目形類姝好。百千億万倍也。所以者何。見乞人貧窮困極。飲食未曽有美食時也。既悪食不能得飽食。食栽支命。骨節相&T016114;拄。無所用自給。常乏無有儲。飢餓寒凍怔忪愁苦。但坐其前世宿命為人時。愚痴無智富益慳。有財不肯慈哀。仁賢為善博愛施与。但欲唐得。貪惜飲食独食嗜美。不信施貸後得償報也。復不信作善後世得其福。蒙籠項佷益作衆悪。如是寿終財物尽索。素無恩徳無所恃怙。入悪道中坐之適苦。然後得出解脱。今生為人。作於下賤貧家作子。強像人形。状貌甚醜。衣被弊壊。単空独立。不蔽形体。乞匃生活耳。飢寒因苦。面目羸劣。不類人色。坐其前世身之所作。受其殃罰。示衆見之莫誰哀者。棄捐市道暴露痟痩。黒醜悪極不及人耳。所以帝王人中独尊最好者何。皆其前世宿命為人時作善。信愛経道。布施恩徳。博愛順義。慈仁喜与。不貪飲食。与衆共之。無所遺惜都無違諍。得其福徳寿終徳随不更悪道。今生為人得生王家自然尊貴。独王典主攬制人民為人雄傑。面目潔白和顔好色。身体端正衆共敬事。美食好衣随心恣意。在楽所欲自然在前都無違諍。於人中姝好。無憂快楽面色光沢。故乃爾耳◎
仏説無量清浄平等覚経巻第一
仏告阿難。譬如世間貧窮乞人在帝王辺。形貌容状寧可類乎。阿難白仏。仮令此人在帝王辺。羸陋醜悪無以為喩。百千万億不可計倍。所以然者。貧窮乞人底極厮下。衣不蔽形食趣支命。飢寒困苦人理殆尽。皆坐前世不殖徳本。積財不施富有益慳。但欲唐得貪求無厭。不信修善犯悪山積。如是寿終財宝消散。苦身積聚為之憂悩。於己無益徒為他有。無善可怙無徳可恃。是故死堕悪趣受此長苦。罪畢得出生為下賤。愚鄙斯極示同人類。所以世間帝王人中独尊。皆由宿世積徳所致。慈恵博施仁愛兼済。履信修善無所違諍。是以寿終福応得昇善道。上生天上享茲福楽。積善余慶今得為人。遇生王家自然尊貴。儀容端正衆所敬事。妙衣珍膳随心服御。宿福所追故能致此
仏告阿難。若言是也。帝王雖於人中好無比者。当令在遮迦越王辺住者。其面形類甚醜悪不好。比如乞人在帝王辺住耳。其帝王面目。尚復不如遮迦越王面色姝好。百千億万倍。如遮迦越王於天下絶好無比。当令在第二天王辺住者。其面甚醜不好。尚復不如帝釈面類端正姝好。百千億万倍。如天帝釈。令在第六天王辺住者。其面類甚醜不好。尚復不如第六天王面類端正姝好。百千億万倍。如第六天王。令在阿弥陀仏国中諸菩薩阿羅漢辺住者。其面甚醜。尚復不如阿弥陀仏国中。菩薩阿羅漢面類端正姝好。百千億万倍。仏言。阿弥陀仏国諸菩薩阿羅漢面類。悉皆端正絶好無比。次於泥洹之道。
「おまえの言う通りだ。
帝王は、人間の中で比肩するものがいないほどすばらしいものだが、もし転輪聖王のかたわらに立ったら、その面貌はとても醜く、きれいでない。あたかも物乞いが帝王のかたわらに立ったようなものである。帝王の面貌も、輪転聖王の面貌のすばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。
輪転聖王は、世界でもっともすばらしく、比肩するものがいないが、もし、(欲界の下から)第二番目の天の王(帝釈)のかたわらに立ったら、その顔はとても醜く、きれいでなく、帝釈の面貌の端正さ・すばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。
神々の王、帝釈が、もし、(欲界の下から)第六番目の天(他化自在天)の王のかたわらに立ったら、その顔はとても醜く、きれいでなく、第六天(他化自在天)の王の面貌の端正さ・すばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。
第六天の王が、もし、阿弥陀仏国の菩薩や阿羅漢たちのかたわらに立ったら、その顔はとても醜く、阿弥陀仏国の菩薩や阿羅漢たちの面貌の端正さ・すばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の菩薩や阿羅漢たちの面貌は、みな端正で比肩するものがないほどすばらしく、涅槃の状態(に入った仏)に次ぐものである。」
仏説無量清浄平等覚経巻第二
後漢月支国三蔵支婁迦讖訳
◎仏告阿難若言是也。如帝王雖於人中好無比当令在遮迦越王辺住者。其面目形貌甚醜悪其状不好。比如乞人在帝王辺住耳。帝王面醜。尚復不如遮迦越王面色姝好。百千億万倍也。如遮迦越王。於天下絶好無比。当令在第二忉利天帝釈辺住者。其面甚醜不好。尚復不如天帝釈面貌端正姝好。百千億万倍也。如天帝釈。令在第六天王辺住者。其面貌甚醜不好。尚復不如第六天王面貌端正姝好。百千億倍也。如第六天王。令在無量清浄仏国中。諸菩薩阿羅漢辺住者。其面甚醜。尚復不如無量清浄仏国中。諸菩薩阿羅漢面貌端正姝好。百千億万倍也。」
仏言。無量清浄仏諸菩薩阿羅漢面貌。悉皆端正絶好無比。次於泥洹之道也。
仏告阿難。汝言是也。計如帝王。雖人中尊貴形色端正。比之転輪聖王。甚為鄙陋。猶彼乞人在帝王辺。転輪聖王威相殊妙天下第一。比忉利天王。又復醜悪不得相喩。万億倍也。仮令天帝比第六天王。百千億倍不相類也。設第六天王。比無量寿仏国菩薩声聞光顔容色不相及逮。百千万億不可計倍
阿難。譬如下賤半挓迦人。対於輪王則無可諭。威光徳望悉皆無有。又如帝釈方第六天。威光等類皆所不及。園苑宮殿衣服雑飾。尊貴自在階位神通。及以変化不可為比。唯受法楽則無差別。阿難応知。彼国有情猶如他化自在天王。
復次阿難。譬如有人少有財宝。対受灌頂位刹帝利王所有威勢悉皆不現。又刹帝利対天帝釈前。所有威勢悉皆不現。又天帝釈対他化自在天。所有威勢悉皆不現。又他化自在天等。及色無色界一切威勢。対無量寿如来極楽国土。悉皆不現。如是彼土功徳荘厳不可思議
sā khalv ānanda sukhāvatī lokadhātuḥ surabhinānāgandhasamīritā nānāpuṣpaphalasamṛddhā ratnavṛkṣasamalaṃkṛtā tathāgatābhinirmitamanojñasvaranānādvijasaṃghaniṣevitā //
te cānanda ratnavṛkṣā nānāvarṇā anekavarṇā anekaśatasahasravarṇāḥ / santi tatra ratnavṛkṣāḥ suvarṇavarṇāḥ suvarṇamayāḥ / santi rūpyavarṇā rūpyamayāḥ / santi vaiḍūryavarṇā vaiḍūryamayāḥ / santi sphaṭikavarṇāḥ sphaṭikamayāḥ / santi musāragalvavarṇā musāragalvamayāḥ / santi lohitamuktāvarṇā lohitamuktāmayāḥ / santy aśmagarbhavarṇā aśmagarbhamayāḥ /
また、アーナンダよ、これら宝石の木々は、種々の色、多くの色、十万もの多くの色をしている。かしこには、金色で金でできた宝石の木々があり、銀色で銀でできたものもあり、瑠璃色で瑠璃でできたものもあり、水晶色で水晶でできたものもあり、琥珀色で琥珀でできたものもあり、赤真珠色で赤真珠でできたものもあり、碼碯色で碼碯でできたものもある。
阿弥陀仏及諸菩薩阿羅漢。講堂精舎所居処舎宅中。内外浴池上。皆有七宝樹。中有淳金樹。淳銀樹。淳水精樹。淳琉璃樹。淳白玉樹。淳珊瑚樹。淳琥珀樹。淳車&T027012;樹。種種各自異行。
純金の樹・純銀の樹・純水晶の樹・純琉璃の樹・純白玉の樹・純珊瑚の樹・純琥珀の樹・純車渠の樹があって、種類ごとにそれぞれ列をなしている。
仏告阿難。無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢。講堂精舎所居処舎宅。中外浴池上。皆有七宝樹。中有純銀樹。中有純金樹。中有純水精樹。中有純琉璃樹。中有純白玉樹。中有純珊瑚樹。中有純虎珀樹。中有純車&T027012;樹。種種各自異行。
又其国土。七宝諸樹周満世界。金樹。銀樹。琉璃樹。頗梨樹。珊瑚樹。瑪瑙樹。車&T027012;樹。
有種種香周遍芬馥。種種妙花亦皆充満。有七宝幢周布行列。其宝幢上懸諸幡蓋及衆宝鈴。具足百千諸妙雑色。阿難。彼如来国多諸宝樹。或純黄金白銀琉璃頗梨。赤珠馬瑙玉樹。唯一宝成不雑余宝。
復次阿難。彼仏国土。有種種宝柱。皆以百千珍宝。而用荘厳。所謂金柱銀柱。瑠璃柱。頗梨柱。真珠柱。硨磲柱。瑪瑙柱。
santi kecid dvayo ratnayoḥ suvarṇasya rūpyasya ca / santi trayāṇāṃ ratnānāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya ca / santi caturṇāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya ca / santi pañcānāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya musāragalvasya ca / santi ṣaṇṇāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya musāragalvasya lohitamuktāyāś / ca santi saptānāṃ ratnānāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya musāragalvasya lohitamuktāyā aśmagarbhasya ca saptamasya // tatrānanda sauvarṇamayānāṃ vṛkṣāṇāṃ suvarṇamayāni mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni raupyamayāṇi / raupyamayāṇāṃ vṛkṣāṇāṃ rūpyamayāṇy eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni vaiḍūryamayāṇi / vaiḍūryamayāṇāṃ vṛkṣāṇāṃ vaiḍūryamayāṇi mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni sphaṭikamayāni / sphaṭikamayānāṃ vṛkṣāṇāṃ sphaṭikamayāny eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni musāragalvamayāni / musāragalvamayānāṃ vṛkṣāṇāṃ musāragalvamayāny eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni lohitamuktāmayāni / lohitamuktāmayānāṃ vṛkṣāṇāṃ lohitamuktāmayāny eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāny aśmagarbhamayāṇi / aśmagarbhamayāṇāṃ vṛkṣāṇām aśmagarbhamayāṇy eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni suvarṇamayāni //
アーナンダよ、かしこには、金でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は金でできており、果実は銀でできている。銀でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は銀だけでできており、果実は瑠璃でできている。瑠璃でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は瑠璃でできており、果実は水晶でできている。水晶でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は水晶だけでできており、果実は琥珀でできている。琥珀でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は琥珀だけでできており、果実は赤真珠でできている。赤真珠でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は赤真珠だけでできており、果実は碼碯でできている。碼碯でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は碼碯だけでできており、果実は金でできている。
'And there, O Ānanda, of the trees made of gold, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of gold, and the fruits are made of silver. Of trees made of silver, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of silver only, and the fruits are made of beryl. Of trees made of beryl, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of beryl, and the fruits are made of crystal. Of trees made of crystal, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of crystal only, and the fruits are made of coral. Of trees made of coral, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of coral only, and the fruits are made of red pearls. Of trees made of red pearls, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of red pearls only, and the fruits are made of diamonds. Of trees made of diamonds, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of diamonds only, and the fruits are made of gold.
中有両宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。銀枝金葉。銀華金実。金樹者。金根銀茎。金枝銀葉。金華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。水精枝琉璃葉。水精華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根水精茎。琉璃枝水精葉。琉璃華水精実。是二宝共作一樹。中復有四宝共作一樹者。水精樹。水精根琉璃茎。金枝銀葉。水精華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根水精茎。金枝銀葉。水精華琉璃実。是四宝樹転共相成。各自異行。中復有五宝共作一樹者。銀根金茎。水精枝琉璃葉。銀華金実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝銀葉。金華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。水精枝金葉。銀華珊瑚実。珊瑚樹者。珊瑚根琉璃茎。水精枝金葉。銀華琉璃実。是五宝共作一樹。各自異行。中有六宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華虎珀実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。虎珀華珊瑚実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝虎珀葉。銀華金実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。虎珀枝水精葉。金華銀実。是六宝樹転共相成。各自異行。
四つの宝で出来ている樹もある――水晶の樹には、水晶の根・琉璃の幹・金の枝・銀の葉・水晶の花・琉璃の実がある。琉璃の樹には、琉璃の根・水晶の幹・金の枝・銀の葉・水晶の花・琉璃の実がある。これら四つの宝で出来ている樹は、(四宝が)組み合わさって出来ていて、それぞれ列をなしている。
五つの宝で出来ている樹もある――銀の樹には、銀の根・金の幹・水晶の枝・琉璃の葉・銀の花・金の実がある。金の樹には、金の根・銀の幹・水晶の枝・琉璃の葉・珊瑚の花・銀の実がある。水晶の樹には、水晶の根・琉璃の幹・珊瑚の枝・銀の葉・金の花・琉璃の実がある。琉璃の樹には、琉璃の根・珊瑚の幹・水晶の枝・金の葉・銀の花・珊瑚の実がある。珊瑚の樹には、珊瑚の根・琉璃の幹・水晶の枝・金の葉・銀の花・琉璃の実がある。これら五つの宝で出来ている樹が、それぞれ列をなしている。
六つの宝で出来ている樹もある――銀の樹には、銀の根・金の幹・水晶の枝・琉璃の葉・珊瑚の花・琥珀の実がある。金の樹には、金の根・銀の幹・水晶の枝・琉璃の葉・琥珀の花・珊瑚の実がある。水晶の樹には、水晶の根・琉璃の幹・珊瑚の枝・琥珀の葉・銀の花・金の実がある。琉璃の樹には、琉璃の根・珊瑚の幹・琥珀の枝・水晶の葉・金の花・銀の実がある。これら六つの宝で出来ている樹は、(六宝が)組み合わさって出来ていて、それぞれ列をなしている。
中復有両宝共作一樹者。銀樹銀根金茎銀枝金葉銀華金実。金樹者。金根銀茎金枝銀葉金華銀実。是両宝樹転共相成。各自異行。中復有三宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝銀葉。金華水精実。金樹者。金根銀茎。水精枝金葉。銀華水精実。水精樹者。水精根銀茎。金枝水精葉。銀華金実。是三宝樹転共相成。各自異行中。復有四宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。銀華金実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉金華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。銀枝金葉。水精華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根水精茎。金枝銀葉。琉璃華水精実。是四宝樹転共相成。各自異行中。復有五宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華金実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝銀葉。金華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。水精枝金葉。銀華珊瑚実。珊瑚樹者。珊瑚根琉璃茎水精枝金葉。銀華琉璃実。是五宝樹転共相成。各自異行中。復有六宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉珊瑚華虎珀実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。虎珀華珊瑚実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝銀葉。虎珀華金実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。虎珀枝水精葉。金華銀実。珊瑚樹者。珊瑚根虎珀茎。銀枝金葉。水精華琉璃実。虎珀樹者。虎珀根珊瑚茎。金枝銀葉。琉璃華水精実。是六宝樹転共相成。各自異行中。
或有二宝三宝乃至七宝転共合成。或有金樹。銀葉華果。或有銀樹。金葉華果。或琉璃樹。玻梨為葉華果亦然。或水精樹。琉璃為葉華果亦然。或珊瑚樹。瑪瑙為葉華果亦然。或瑪瑙樹。琉璃為葉華果亦然。或車&T027012;樹。衆宝為葉華果亦然。
或以二宝乃至七宝荘厳。阿難。彼金為樹者。以金為根茎。白銀為葉及以花果。白銀之樹銀為根茎。黄金為葉及以花果。馬瑙之樹馬瑙根茎。美玉為葉及以花果。美玉樹者。玉為根茎七宝為葉及諸花果。
復有金銀二宝柱。金銀瑠璃三宝柱。金銀瑠璃頗梨四宝柱。金銀瑠瓈頗梨真珠五宝柱。金銀瑠璃頗梨真珠硨磲六宝柱。金銀瑠璃頗梨真珠硨磲瑪瑙七宝柱。復次阿難。彼仏国土。復有種種宝樹。根茎枝幹黄金所成。華葉菓実白銀化作。亦有宝樹。根茎枝幹白銀所成。花葉菓実瑠璃化作。亦有宝樹。根茎枝幹瑠璃所成。華葉菓実頗梨化作。亦有宝樹。根茎枝葉頗梨所成。華葉菓実真珠化作。亦有宝樹。根茎枝幹真珠所成。華葉菓実硨磲化作。亦有宝樹。根茎枝幹硨磲所成。花葉菓実璃瑙化作。亦有宝樹。根茎枝幹瑪瑙所成。花葉菓実黄金化作。
keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ suvarṇamayāni mūlāni raupyamayāḥ skandhā vaiḍūryamayā viṭapāḥ sphaṭikamayāḥ śākhā musāragalvamayāni pattrāṇi lohitamuktāmayāni puṣpāṇy aśmagarbhamayāṇi phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ raupyamayāṇi mūlāni vaiḍūryamayāḥ skandhāḥ sphaṭikamayā viṭapā musāragalvamayāḥ śākhā lohitamuktāmayāni pattrāṇy aśmagarbhamayāṇi puṣpāṇi suvarṇamayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ vaiḍūryamayāṇi mūlāni sphaṭikamayāḥ skandhā musāragalvamayā viṭapā lohitamuktāmayāḥ śākhā aśmagarbhamayāṇi pattrāṇi suvarṇamayāni puṣpāṇi raupyamayāṇi phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ sphaṭikamayāni mūlāni musāragalvamayāḥ skandhā lohitamuktāmayā viṭapā aśmagarbhamayāḥ śākhāḥ suvarṇamayāni pattrāṇi raupyamayāṇi puṣpāṇi vaiḍūryamayāṇi phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ musāragalvamayāni mūlāni lohitamuktāmayāḥ skandhā aśmagarbhamayā viṭapāḥ suvarṇamayāḥ śākhā raupyamayāṇi pattrāṇi vaiḍūryamayāṇi puṣpāṇi sphaṭikamayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ lohitamuktāmayāni mūlāny aśmagarbhamayāḥ skandhāḥ suvarṇamayā viṭapā raupyamayāḥ śākhā vaiḍūryamayāṇi pattrāṇi sphaṭikamayāni puṣpāṇi musāragalvamayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇām aśmagarbhamayāṇi mūlāni suvarṇamayāḥ skandhā raupyamayā viṭapā vaiḍūryamayāḥ śākhāḥ sphaṭikamayāni pattrāṇi musāragalvamayāni puṣpāṇi lohitamuktāmayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ saptaratnamayāni mūlāni saptaratnamayāḥ skandhāḥ saptaratnamayā viṭapāḥ saptaratnamayāḥ śākhāḥ saptaratnamayāni pattrāṇi saptaratnamayāni puṣpāṇi saptaratnamayāni phalāni / sarveṣāṃ cānanda teṣāṃ vṛkṣāṇāṃ mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpaphalāni mṛdūni sukhasaṃsparśāni sugandhīni / vātena preritānāṃ ca teṣāṃ valgumanojñanirghoṣo niścaraty asecanako 'pratikūlaḥ śravaṇāya //
アーナンダよ、ある木々には、銀でできた根、瑠璃でできた幹、水晶でできた枝、琥珀でできた梢、赤真珠でできた葉、碼碯でできた花、金でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、瑠璃でできた根、水晶でできた幹、琥珀でできた枝、赤真珠でできた梢、碼碯でできた葉、金でできた花、銀でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、水晶でできた根、琥珀でできた幹、赤真珠でできた枝、碼碯でできた梢、金でできた葉、銀でできた花、瑠璃でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、琥珀でできた根、赤真珠でできた幹、碼碯でできた枝、金でできた梢、銀でできた葉、瑠璃でできた花、水晶でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、赤真珠でできた根、碼碯でできた幹、金でできた枝、銀でできた梢、瑠璃でできた葉、水晶でできた花、琥珀でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、碼碯でできた根、金でできた幹、銀でできた枝、瑠璃でできた梢、水晶でできた葉、琥珀でできた花、赤真珠でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、七つの宝石でできた根、七つの宝石でできた幹、七つの宝石でできた枝、七つの宝石でできた梢、七つの宝石でできた葉、七つの宝石でできた花、七つの宝石でできた果実がある。
また、アーナンダよ、これらすべての木々の根・幹・枝・梢・葉・花・果実は、柔らかで、感触が快く、よい香りがあり、またこれら〔の木々〕が風に吹き動かされるとき、妙なる快い響きが流れ出て、魅力的であり、聞いて不快な思いをさせない。
'And, O Ānanda, the roots, trunks, branches, small branches, leaves, flowers, and fruits of all those trees are pleasant to touch, and fragrant. And, when those (trees) are moved by the wind, a sweet and delightful sound proceeds from them, never tiring, and never disagreeable to hear.
中復有七宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華虎珀実。金樹者。金根水精茎。琉璃枝珊瑚葉。虎珀華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝虎珀葉。車&T027012;華白玉実。珊瑚樹者。珊瑚根虎珀茎。白玉枝琉璃葉。車&T027012;葉明月珠実。虎珀樹者。虎珀根白玉茎。珊瑚枝琉璃葉。水精華金実。白玉樹者。白玉根車&T027012;茎。珊瑚枝虎珀葉。金華摩尼殊実。是七宝樹転共相成。種種各自異。行行相値。茎茎自相准。枝枝自相値。葉葉自相向。華華自相望。実実自相当。仏言。阿弥陀仏。当講堂精舎中。内外七宝浴池繞辺。上諸七宝樹。及諸菩薩阿羅漢。七宝舎宅中。内外七宝浴池。繞池辺諸七宝樹。数千百重行。皆各如是。各自作五音声。音声甚好無比也。
列と列が(並行して)ぴったり向かい合い、幹と幹がきちんと向かい合い、枝と枝がぴったり向かい合い、葉と葉が向かい合い、花と花が向かい合い、実と実が向かい合っている。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏御自身の講堂・精舎(の敷地)内や(その)内と外にある七宝の浴池の周辺にある七宝樹、および菩薩や阿羅漢たちの七宝の住まい(の敷地)内や(その)内と外にある七宝の浴池の周辺にある七宝樹は、数百千の列に並んでいて、すべてが上に述べた様になっている。(それらは)みな自ずと様々な音色を発していて、その音はたとえようもなくすばらしい。」
復有七宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精節琉璃枝珊瑚葉。虎珀華車&T027012;実。金樹者。金根水精茎。琉璃節珊瑚枝虎珀葉。車&T027012;華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚節虎珀枝車&T027012;葉。白玉華金実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。虎珀節白玉枝車&T027012;葉。水精華銀実。珊瑚樹者。珊瑚根虎珀茎。白玉節銀枝明月珠葉。金華水精実。虎珀樹者。虎珀根白玉茎。珊瑚節琉璃枝車&T027012;葉。水精華金実。白玉樹者。白玉根車&T027012;茎。琉璃節珊瑚枝虎珀葉。金華摩尼珠実。是七宝樹転共相成。種種各自異行。行行自相値。茎茎自相准。枝枝自相値。葉葉自相向。華華自相望。極自軟好。実実自相当。仏言。無量清浄仏。講堂精舎中。外内七宝浴池繞辺。上諸七宝樹。及諸菩薩阿羅漢。七宝舎宅中。外七宝浴池繞。池辺七宝樹。数千百重行。皆各各如是行行。自作五音。声甚好無比。
或有宝樹。紫金為本。白銀為茎。琉璃為枝。水精為条。珊瑚為葉。瑪瑙為華。車&T027012;為実。或有宝樹。白銀為本。琉璃為茎。水精為枝。珊瑚為条。瑪瑙為葉。車&T027012;為華。紫金為実。或有宝樹。琉璃為本。水精為茎。珊瑚為枝。瑪瑙為条。車&T027012;為葉。紫金為華。白銀為実。或有宝樹。水精為本。珊瑚為茎。瑪瑙為枝。車&T027012;為条。紫金為葉。白銀為華。琉璃為実。或有宝樹。珊瑚為本。瑪瑙為茎。車&T027012;為枝。紫金為条。白銀為葉。琉璃為華。水精為実。或有宝樹。瑪瑙為本。車&T027012;為茎。紫金為枝。白銀為条。琉璃為葉。水精為華。珊瑚為実。或有宝樹。車&T027012;為本。紫金為茎。白銀為枝。琉璃為条。水精為葉。珊瑚為華。瑪瑙為実。行行相値。茎茎相望。枝枝相準。葉葉相向。華華相順。実実相当。栄色光曜不可勝視。清風時発出五音声。微妙宮商自然相和。
或有金樹。黄金為根。白銀為茎。琉璃為枝。頗梨為条。赤珠為葉。馬瑙為花。美玉為果。或有銀樹。以銀為根黄金為茎。余枝果等飾同金樹。琉璃樹者。琉璃為根黄金為茎。白銀為枝頗梨為条。赤珠為葉馬瑙為花美玉為果。頗梨真珠馬瑙等樹。諸宝転飾皆若琉璃。復有玉樹。玉為其根黄金為茎。白銀為枝琉璃為条。頗梨為葉赤珠為花馬瑙為果。復有無量摩尼珠等宝荘厳樹周遍其国。是諸宝樹光輝赫奕世無能比。以七宝羅網而覆其上。其網柔軟如兜羅綿。
亦有宝樹。黄金為根。白銀為身。瑠瓈為枝。頗梨為梢。真珠為葉。硨磲為花。瑪瑙為菓。亦有宝樹。白銀為根。琉璃為身。頗梨為枝。真珠為梢。硨磲為葉。瑪瑙為花。黄金為菓。亦有宝樹。瑠璃為根。頗梨為身。真珠為枝。硨磲為梢。瑪瑙為葉。黄金為花。白銀為菓。亦有宝樹。頗梨為根。真珠為身。硨磲為枝。瑪瑙為梢。黄金為葉。白銀為花。瑠璃為菓。亦有宝樹。真珠為根。硨磲為身。瑪瑙為枝。黄金為梢。白銀為葉。瑠璃為花。頗梨為菓。亦有宝樹。硨磲為根。瑪瑙為身。黄金為枝。白銀為梢。瑠璃為葉。頗梨為花。真珠為菓。亦有宝樹。瑪瑙為根。黄金為身。白銀為枝。瑠璃為梢。頗梨為葉。真珠為花。硨磲為菓。如是極楽世界。七宝行樹。
sarvāś ca nadyaḥ sukhavāhinyo nānāsurabhigandhavārivāhinyo nānāratnaluḍitapuṣpasaṃghātavāhinyo nānāmadhurasvaranirghoṣāḥ / tāsāṃ cānanda koṭīśatasahasrāṅgasaṃprayuktasya divyasaṃgītisaṃmūrcchitasya tūryasya kuśalaiḥ saṃpravāditasya tāvan manojñanirghoṣo niścarati / yathārūpas tāsāṃ mahānadīnāṃ nirghoṣo niścarati gambhīra ājñeyo vijñeyo 'nelaḥ karṇasukho hṛdayaṃgamaḥ premaṇīyo valgumanojño 'secanako 'pratikūlaḥ śravaṇāyācintyaśāntam anātmeti sukhaśravaṇīyo yas teṣāṃ sattvānāṃ śrotrendriyābhāsam āgacchati //
仏告阿難。如世間帝王有百種伎楽音声。不如遮迦越王諸伎楽音声好。百千億万倍。如遮迦越王万種伎楽音声。尚復不如第二忉利天上諸伎楽一音声。百千億万倍。如忉利天上万種伎楽之声。尚復不如第六天上一音声好。百千億万倍。如第六天上万種音楽之声。尚復不如阿弥陀仏国中七宝樹一音声好。百千億万倍。阿弥陀仏国中。亦有万種自然伎楽。甚楽無極。
「人間世界の帝王には百種の音楽の音色があるが、輪転聖王の音楽の(一つ)の音色のすばらしさには百千億万倍も及ばない。輪転聖王の万種の音楽の音色も(欲界の下から)第二番目の忉利天の音楽の一つの音色には百千億万倍も及ばない。忉利天の万種の音楽の音色も(欲界の下から)第六番目の天(他化自在天)の音楽の一つの音色のすばらしさには百千億万倍も及ばない。第六天の万種の音楽の音色も阿弥陀仏国の七宝樹の一つの音のすばらしさには百千億万倍も及ばない。阿弥陀仏国には、他にも万種の自然に(生じる)音楽があって、きわまりなく心地よい。」
仏語阿難。如世間帝王。万種伎楽音声。不如遮迦越王。諸伎楽一音声好。百千億万倍也。如遮迦越王。万種伎楽音声。尚復不如第二忉利天上。諸伎楽一音声好。百千億万倍也。如忉利天上。万種伎楽之声。尚復不如第六天上。諸伎楽一音声好。百千億万倍也。如第六天上。万種音楽之声。尚復不如無量清浄仏国中。七宝樹一音声好。百千億万倍也。無量清浄仏国。亦有万種自然之伎楽無極也。
仏告阿難。世間帝王有百千音楽。自転輪聖王。乃至第六天上伎楽音声。展転相勝千億万倍。第六天上万種楽音。不如無量寿国諸七宝樹一種音声。千億倍也。亦有自然万種伎楽。又其楽声無非法音。清暢哀亮微妙和雅。十方世界音声之中最為第一
其水清冷具八功徳。濬流恒激出微妙音。譬若諸天百千伎楽。安楽世界其声普聞。有諸名花沿流而下。和風微動出種種香。
其水清浄具八功徳出微妙声。譬如百千万種音楽之声。遍諸仏刹。一切衆生聞者適悦得大快楽。
tasyāṃ khalu punar ānanda sukhāvatyāṃ lokadhātau pūrvāhṇakālasamaye pratyupasthite samantāc caturdiśam ākulasamākulā vāyavo vānti ye tān ratnavṛkṣāṃś citrān darśanīyān nānāvarṇān anekavarṇān nānāsurabhidivyagandhaparivāsitān kṣobhayanti saṃkṣobhayantīrayanti samīrayanti yato bahūni puṣpaśatāni tasyāṃ ratnamayyāṃ pṛthivyāṃ prapatanti manojñagandhāni darśanīyāni / taiś ca puṣpais tad buddhakṣetraṃ samantāt saptapauruṣaṃ saṃskṛtaṃ rūpaṃ bhavati / tad yathāpi nāma kaścid eva puruṣaḥ kuśalaḥ pṛthivyāṃ puṣpasaṃstaraṃ saṃstṛṇuyād ubhābhyāṃ pāṇibhyāṃ samaṃ racayet sucitraṃ darśanīyam evam etad buddhakṣetraṃ taiḥ puṣpair nānāgandhavarṇaiḥ samantāt saptapauruṣaṃ sphuṭaṃ bhavati tāni ca puṣpajātāni mṛdūni kācalindikasukhasaṃsparśāny aupamyamātreṇa yāni nikṣipte pāde caturaṅgulam avanamanty utkṣipte pāde caturaṅgulam evonnamanti / nirgate punaḥ pūrvāhṇakālasamaye tāni puṣpāṇi niravaśeṣam antardhīyante / atha tad buddhakṣetraṃ viviktaṃ ramyaṃ śubhaṃ bhavaty aparikliṣṭais taiḥ pūrvapuṣpaiḥ / tataḥ punar api samantāc caturdiśaṃ vāyavo vānti ye pūrvavad abhinavāni puṣpāṇy abhiprakiranti / yathā pūrvāhṇa evaṃ madhyāhne 'parāhṇe kālasamaye rātryāḥ prathame yāme madhyame paścime ca yāme / taiś ca vātair vāyadbhir nānāgandhaparivāsitais te sattvāḥ spṛṣṭāḥ santa evaṃ sukhasamarpitā bhavanti sma tad yathāpi nāma nirodhasamāpanno bhikṣuḥ //
そして、かれら衆生たちが、これら種々の香りをかおらせて吹く風に触れるとき、あたかも滅尽定に入った比丘のように、安楽に満たされるのである。
仏言。阿弥陀及諸菩薩阿羅漢皆浴已。悉自於一大蓮華上坐。即四方自然乱風起。其乱風者。亦非世間之風。亦非天上之風。都八方上下衆風中精。自然合会化生耳。不寒不熱。常和調中適。甚清涼好無比也。徐起不遅不駃。適得中宜。吹七宝樹。皆作五音声。以七宝樹華。悉覆其国中。皆散仏及諸菩薩阿羅漢上。華随堕地。皆厚四寸。極自軟好無比。即自然乱風吹萎華。悉自然去。即復四方自然乱風吹七宝樹。樹皆復作五音声。樹華皆自然散仏及諸菩薩阿羅漢上。華小萎堕地。即自然去。即復四方乱風起吹七宝樹。如是四反。
「阿弥陀仏と菩薩・阿羅漢たちは、水浴びが終わると、みな(それぞれ?)一つの大きな蓮華の上に坐る。(すると)すぐさま四方から自然のつむじ風が起こる。そのつむじ風はこの世界の風でもないし、天界の風でもない。八方上下(の世界)の風のなかで最高のものがみな自然に集まってあらわれたものだ。冷たくも熱くもなく、常に調和してほどよい。とてもさわやかで、この上なくすばらしい。ゆるやかに起こり、弱すぎも強すぎもせず、ちょうどのほどよさである。(その風が)七宝樹に吹くと、みな様々な音色をたてる。(風は)七宝樹の花でその国中をすっかり覆い、仏や菩薩・阿羅漢たちみんなの上に撒く。花はそのまま地に落ち、厚さ四寸にもなり、とてもすばらしく、たとえようもない。すぐさま自然のつむじ風がしおれた花に吹き、自ずとみな消え去る。すぐにまた、四方から自然のつむじ風が(起きて)七宝樹に吹き、樹はみなまた様々な音色をたてる。樹の花はみな自然に仏や菩薩・阿羅漢たちの上に散る。花が少ししおれて地に落ちれば、すぐさま自ずと消え去る。すぐにまた、四方からつむじ風が起きて七宝樹に吹き、(……)このように、四度くり返す。
仏言。無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢皆浴已。悉自於一蓮華上坐。則四方自然乱風起。其乱風者。亦非世間之風也。亦復非天上之風也。是乱風者。都為八方上下衆風中之自然。都相合会共化生耳。其乱風亦不大寒。亦不大温。常和調中適其涼好無比。乱風徐起。亦不遅亦不疾。適得中宜。吹国中七宝樹。七宝樹皆復自作五音声。乱風吹華。悉覆蓋其国中。華皆自散無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢上。華適堕地。華皆厚四寸。極自軟好無比。華小萎。則自然乱風吹萎華。悉自然去。則復四方。復自然乱風起。吹七宝樹。七宝樹。皆復自作五音声。乱風吹華。悉復自然。散無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢上。華堕地則自然乱風。復吹萎華。悉自然去。則復四方自然乱風起。吹七宝樹華。如是者四反。
自然徳風徐起微動。其風調和不寒不暑。温涼柔軟不遅不疾。吹諸羅網及衆宝樹。演発無量微妙法音流布万種温雅徳香。其有聞者塵労垢習自然不起。風触其身皆得快楽。譬如比丘得滅尽三昧。又風吹散華遍満仏土。随色次第而不雑乱。柔軟光沢馨香芬烈。足履其上陥下四寸。随挙足已還復如故。華用已訖地輒開裂。以次化没清浄無遺。随其時節風吹散華。如是六反。
阿難。彼極楽界。於晨朝時周遍四方。和風微動不逆不乱。吹諸雑花種種香気。其香普熏周遍国界。一切有情為風触身。安和調適猶如比丘得滅尽定。其風吹動七宝樹林。華飄成聚高七人量。種種色光照曜仏土。譬如有人以花布地手按令平。随雑色花間錯分布。彼諸花聚亦復如是。其花微妙広大柔軟如兜羅綿。若諸有情足蹈彼花没深四指。随其挙足還復如初。過晨朝已其花自然没入於地。旧花既没大地清浄。更雨新花還復周遍。如是中時晡時。初中後夜飄花成聚亦復如是。
復次阿難。彼仏国土毎於食時。香風自起吹動宝樹。樹相掁触出微妙音。演説苦空無常無我諸波羅蜜。復吹樹花落於地上。周遍仏刹高七人量。平正荘厳柔軟光潔。行人往来足躡其地深四指量。如迦隣那触身安楽。過食時後。是諸宝花隠地不現。経須臾間復有風生。吹樹落花布地面上。如前無異。初夜後夜亦復如是
諸菩薩阿羅漢中。有但欲聞経者。中有但欲聞音楽者。中有但欲聞華香者。有不欲聞経者。有不欲聞音楽声者。有不欲聞華香者。其所欲聞者。輒即独聞之。不欲聞者。則独不聞。随意所欲喜楽。不違其願也。浴訖各自去。行道中有在地講経者。誦経者。説経者。口受経者。聴経者。念経者。思道者。坐禅者。経行者。中有在虚空中講経者。誦経者。説経者。口受経者。聴経者。念経者。思道者。坐禅一心者。経行者。未得須陀洹道者。即得須陀洹道。未得斯陀含道者。即得斯陀含道。未得阿那含道者。即得阿那含道。未得阿羅漢道者。即得阿羅漢道。未得阿惟越致菩薩者。即得阿惟越致。各自説経行道。悉皆得道。莫不歓喜踊躍者也。
水浴しおわると、それぞれ(七宝池を)去って、修行をする。
地上で、経を講じる者、経を暗誦する者、経を説く者、経を口授する者、経を聴く者、経を念じるもの、仏道を思念する者、坐禅をする者、経行(きんひん)をする者がいる。空中で、経を講じる者、経を暗誦する者、経を説く者、経を口授する者、経を聴く者、経を念じるもの、仏道を思念する者、坐禅で心を集中する者、経行をする者もいる。(このように修行して)須陀洹道をまだ得ていない者は、すぐに須陀洹道を得、まだ斯陀含道を得ていない者は、すぐに斯陀含道を得、まだ阿那含道を得ていない者は、すぐに阿那含道を得、まだ阿羅漢道を得ていないものは、すぐに阿羅漢道を得、まだ不退転の菩薩になっていないものは、すぐに不退転を得る。(このように)それぞれ教えを説き、仏道を行い、みな仏道を成就して、みな飛び上がるほど喜ぶ。
諸菩薩阿羅漢中。有但欲聞経者。中有但欲聞音楽声者。中有但欲聞華香者。中有不欲聞経者。中有不欲聞五音者。中有不欲聞華香者。其所欲聞者。輒則独聞之。其所不欲聞者。了独不聞也。則皆自然随意在所欲憙楽。不違其心中所欲願也。無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢。皆浴訖已各自去。其諸菩薩阿羅漢。各自行道。中有在地講経者。中有在地誦経者。中有在地説経者。中有在地口受経者。中有在地聴経者。中有在地念経者。中有在地思道者。中有在地坐禅一心者。中有在地経行者。中有在虚空中講経者。中有在虚空中誦経者。中有在虚空中説経者。中有在虚空中口受経者。中有在虚空中聴経者。中有在虚空中念経者。中有在虚空中思念道者。中有在虚空中坐禅一心者。中有在虚空中経行者。中有未得須陀洹道者。則得須陀洹道。中有未得斯陀含道者。則得斯陀含道。中有未得阿那含道者。則得阿那含道。中有未得阿羅漢道者。則得阿羅漢道。中有未得阿惟越致菩薩者。則得阿惟越致菩薩。菩薩阿羅漢各自説経行道。皆悉得道。莫不歓喜踊躍者。
tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre ye bodhisattvāḥ pratyājātāḥ sarve ta ekapurobhaktenānyāṃl lokadhātūn gatvānekāni buddhakoṭīnayutaśatasahasrāṇy upatiṣṭhanti yāvac cākāṃkṣanti buddhānubhāvena / te yathā cittam utpādayanty evaṃrūpaiḥ puṣpadīpadhūpagandhamālyavilepanacūrṇacīvaracchatradhvajapatākāvaijayantītūryasaṃgītivādyaiḥ pūjāṃ kuryāma iti teṣāṃ sahacittotpādāt tathārūpāṇy eva sarvapūjāvidhānāni pāṇau prādurbhavanti /
諸菩薩中。有意欲供養八方上下無央数諸仏。即皆倶前為仏作礼。白仏辞行。供養八方上下無央数仏。仏即然可之。即使行諸菩薩皆大歓喜。数千億万人無央数不可復計。皆当智慧勇猛。各自幡輩飛相追。倶共散飛。則到八方上下無央数諸仏所。皆前為諸仏作礼。即便供養。意欲得万種自然之物。在前即自然。百種雑色華。百種雑繒綵。百種劫波育衣。七宝灯火。万種伎楽。悉皆在前。其華香万種自然之物。亦非世間之物。亦非天上之物也。是万種物。都八方上下。衆自然合会化生耳。意欲得者。即自然化生。意不用者。即化去。諸菩薩便共持。供養諸仏及諸菩薩阿羅漢。辺傍前後迴遶周匝。在意所欲即輒皆至。当是之時。快楽不可言也。
『おいとまして、八方上下の無数の仏たちを供養しに行ってきます。』
仏はすぐに許可を与え、行かせる。菩薩たちはみな大変喜ぶ。
数千億万、無数、無量の彼らは、みな智慧あり、勇敢である。その彼らが群をなして飛び立ち、次々にあとを追い、みな(四方八方に)飛び散り、八方上下の無数の仏たちのもとに到る。みな前に進んで、仏たちを礼拝し、すぐさま供養をする。自然に(生じる)あらゆる種類の物が目の前に現れることを望むと、すぐさま自然の百種の色とりどりの花、百種の色とりどりの綾綿、百種の木綿の衣、七宝のランプ、あらゆる音楽と舞、なんでも目の前に現われる。これら花とその香りなど、あらゆる種類の自然に生じた物は、この世界の物でもないし、天界の物でもない。これらあらゆる種類の物は八方上下(の世界)の(最高の)物がみな自然に集まってあらわれたものだ。欲しいと思えば、さっと現れ、用がないと思えば、すっと消える。そこで菩薩たちはみんなでそれらを仏たちと菩薩・阿羅漢たちに供養する。(それら供物は、仏たちの)傍らであれ、前後であれ、ぐるりと周り全体であれ、望むがままに、みなさっと現れる。その時の心地よさは、えも言われない。
諸菩薩中。有意欲供養八方上下無央数諸仏。即皆倶前。為無量清浄仏作礼。却長跪叉手白仏辞行。欲供養八方上下諸無央数仏。無量清浄仏則然可之。則使其行供養諸菩薩等。皆大歓喜。数千億万人。無央数不可復計。皆智慧勇猛。各自翻飛等輩相追倶共散飛則行即到八方上下無央数諸仏所。皆前為仏作礼便則供養諸仏。其諸菩薩。意欲得万種自然之物在前。則自然百雑色華百種。自然雑繒幡綵百種物。自然劫波育衣。自然七宝。自然灯火。自然万種伎楽悉皆在前。其華香万種自然之物者。亦非世間之物也。亦復非天上之物也。是万種之物。都為八方上下衆物。自然共合会化生耳。意欲得者。則自然化生在前。意不用者。便則自化去。諸菩薩便共持供養諸仏及諸菩薩阿羅漢上。辺傍前後徊繞周匝。自在意所欲得。則輒皆至。当爾之時。快楽不可言也。
仏語阿難。彼国菩薩承仏威神。一食之頃往詣十方無量世界。恭敬供養諸仏世尊。随心所念。華香伎楽繒蓋幢幡。無数無量供養之具。自然化生応念即至。
阿難。彼国菩薩皆於晨朝。供養他方無量百千諸仏。随所希求種種花鬘塗香末香。幢幡繒蓋及諸音楽。以仏神力皆現手中供養諸仏。
te taiḥ puṣpair yāvad vādyais teṣu buddheṣu bhagavatsu pūjāṃ kurvanto bahv aparimāṇāsaṃkhyeyaṃ kuśalamūlam upacinvanti / sacet punar ākāṃkṣanty evaṃrūpāḥ puṣpapuṭāḥ pāṇau prādurbhavantv iti teṣāṃ sahacittotpādān nānāvarṇā anekavarṇā nānāgandhā divyāḥ puṣpapuṭāḥ pāṇau prādurbhavanti / te tais tathārūpaiḥ puṣpapuṭais tān buddhān bhagavato 'vakiranti smābhyavakiranty abhiprakiranti / teṣāṃ ca yaḥ sarvaparīttaḥ puṣpapuṭa utsṛṣṭo daśayojanavistāraṃ puṣpacchatraṃ prādurbhavaty upary antarīkṣe / dvitīye cānutsṛṣṭe na prathamo dharaṇyāṃ prapatati / santi tatra puṣpapuṭā ya utsṛṣṭāḥ santo viṃśatiyojanavistārāṇi puṣpacchatrāṇy upary antarīkṣe prādurbhavanti / santi triṃśaccatvāriṃśatpañcāśat / santi yāvad yojanaśatasahasravistārāṇi puṣpacchatrāṇy upary antarīkṣe prādurbhavanti /
諸菩薩意。各欲得四十里華。即自然在前。便於虚空中。共持散諸仏及菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。華甚香好。小萎堕地。即自然乱風吹。萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得八十里華。即自然在前。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。小萎堕地。即自然乱風吹。萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得百六十里華。即自然在前。便於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復於虚空中下向。小萎堕地。即自然乱風吹。萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得三百二十里華。即自然在前。復於虚空中。持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華於虚空中下向。小萎堕地。即自然乱風吹。萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得六百四十里華。即自然在前。復以散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風自然吹萎華去。諸菩薩意。各復欲得千二百八十里華。即自然在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風自然吹。萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得二千五百六十里華。即自然在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得五千一百二十里華。即自然在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得万二百四十里華。即皆自然在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得二万四百八十里華。即皆在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得五万里華。即皆在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得十万里華。即皆在前。諸菩薩復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得二十万里華。即皆在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得四十万里華。即皆在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得八十万里華。即皆在前。復於虚空中。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。皆在虚空中下向。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各欲得百六十万里華。即皆在前。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。小萎堕地。乱風吹萎華悉自然去。諸菩薩意。各欲得三百万里華。即皆在前。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。小萎堕地。乱風吹萎華自然去。諸菩薩意。各欲得六百万里華。即皆在前。共持散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華都自然合為一華。華正端円周匝各適等。華転倍前。華極自軟好。勝於前華数千百倍。色色異。香香不可言。
諸菩薩意。各欲得四十里華。則自然四十里華在前。諸菩薩皆於虚空中共持華。則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華甚香好。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。萎華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得八十里華。則自然八十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華散諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華小萎便自堕地。則自然乱風吹萎華去。諸菩薩意。各復欲得百六十里華。則自然百六十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復於虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得三百二十里華則自然三百二十里華在前。諸菩薩皆復於虚空共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得六百四十里華。則自然六百四十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹華悉自然去。諸菩薩意各復欲得千二百八十里華。則自然千二百八十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得二千五百六十里華。則自然二千五百六十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得五千一百二十里華。則自然五千一百二十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得万二百四十里華。則自然万二百四十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華則自然去。諸菩薩意。各腹欲得二万四百八十里華。則自然二万四百八十里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。持華散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆復在虚空中下向。華適小萎便自堕地。自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得五万里華。則自然五万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得十万里華。則自然十万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得二十万里華。則自然二十万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得四十万里華。則自然四十万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得八十万里華。則自然八十万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華則自然去。諸菩薩意。各復欲得百六十万里華。則自然百六十万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得三百万里華。則自然三百万里華在前。諸菩薩皆復於虚空中。共持華則散諸仏。及諸菩薩阿羅漢上。華皆在虚空中下向。華適小萎便自堕地。則自然乱風吹。華悉自然去。諸菩薩意。各復欲得四百万里華。則自然四百万里華在前。諸菩薩心意。倶大歓喜踊躍。皆在虚空中。共持華則散諸仏及諸菩薩阿羅漢上。華都自然合為一華。華正団円周匝各適等。華転倍前極自軟好。転勝於前華好。数百千色。色色異香。甚香不可言。
珍妙殊特非世所有。転以奉散諸仏菩薩声聞大衆。在虚空中化成華蓋。光色晃耀香気普熏。其華周円四百里者。如是転倍。乃覆三千大千世界。随其前後以次化没。
如是供具広大甚多。無数無辺不可思議。若復楽求種種名花。花有無量百千光色。皆現手中奉散諸仏阿難。其所散花。即於空中変成花蓋。蓋之小者満十由旬。若不更以新花重散。前所散花終不堕落。阿難。或有花蓋満二十由旬。如是三十四十乃至千由旬。或等四洲或遍小千中千。乃至三千大千世界。
tatra ya udāraṃ prītiprāmodyaṃ saṃjanayanty udāraṃ ca cittaudbilyaṃ pratilabhyante te bahv aparimitam asaṃkhyeyaṃ ca kuśalamūlam avaropya bahūni buddhakoṭīnayutaśatasahasrāṇy upasthāyaikapūrvāhṇena punar api sukhāvatyāṃ lokadhātau pratiṣṭhante tasyaivāmitāyuṣas tathāgatasya pūrvapraṇidhānādhiṣṭhānaparigraheṇa pūrvadattadharmaśravaṇena pūrvajināvaropitakuśalamūlatayā pūrvapraṇidhānasamṛddhiparipūryānūnayā suvibhaktabhāvitayā //
諸菩薩皆大歓喜。倶於虚空中。大共作衆音自然伎楽。楽諸仏及諸菩薩阿羅漢当此之時。快楽不可言。諸菩薩皆悉却坐聴経。聴経竟即悉諷誦通。重知経道。益明智慧。即諸仏国中。従第一四天上。至三十三天上。諸天人皆共持天上万種自然之物来下。供養諸菩薩阿羅漢。天人皆復於虚空中。大共作衆音伎楽。諸天人前来者。転去避後来者。後来者転復供養如前。更相開避。諸天人歓喜聴経。大共作音楽。当是時快楽無極。諸菩薩供養聴経訖竟。便皆起為仏作礼而去。即復飛到八方上下。無央数諸仏所。供養聴経。皆各如前。悉遍已後。日未中時。各飛還其国。為阿弥陀仏作礼。皆却坐聴経竟大歓喜。
菩薩たちはみな後ろに下がって坐って、教えを聴く。教えを聴き終わると、すぐにみな暗誦し、理解し、ますます(仏の)教えを知り、ますます智慧が磨かれる。
すぐさま、それぞれの仏国の(下から)一番の四天王天から(二番の)三十三天までの神々がみな天上(に生じた)あらゆる種類の自然の物をもって降りてきて、菩薩・阿羅漢たちを供養する。神々はみな空中で一緒に様々な音や舞・音楽を演じる。先に来た神々は順にその場を去り、後から来る神々の邪魔にならないようにする。後から来た者たちも前の者たち同様に、順々に供養して、お互い邪魔にならないようにする。神々は歓喜し、教えを聴き、大勢で一緒に音楽を奏でる。この時の心地よさは極まりない。
菩薩たちは供養をして、教えを聴きおわると、みな立ち上がって、(それぞれの仏国土の)仏を礼拝し、(その仏国土から)去り、すぐさまさらに飛んで八方上下の無数の仏たちのもとにいたり、みな上述のように(仏たちを)供養し、教えを聴く。(こうして諸仏国を)すっかり一巡りして後、お昼前に、みなその(阿弥陀の)国に戻り、阿弥陀仏を礼拝して、後ろに下がって坐って、教えを(聴く。教えを)聴きおわって、大いに歓喜する。」
諸菩薩皆大歓喜。倶於虚空中。大共作衆音自然伎楽。楽仏及諸菩薩阿羅漢。当是之時。快楽不可言。諸菩薩皆悉却坐聴経。聴経竟則悉皆諷誦通利。重知経道益明智慧。其諸華香。小萎便自堕地。則自然乱風吹華。悉皆自然去。則諸仏国中。従第一四天王上。至三十六天上。諸菩薩阿羅漢天人。皆復於虚空中。大共作衆音伎楽。諸天人前来者。転去避後来者。後来者転復供養如前。更相開避。諸天人歓喜聴経。皆大共作音楽。当是之時。快楽無極。諸菩薩供養聴経訖竟。便皆起為諸仏作礼而去。則復飛到八方上下。無央数諸仏所。則復供養聴経。皆各如前時悉遍。以後日未中時。諸菩薩則皆飛而去。則還其国。悉前為無量清浄仏作礼。皆却坐一面聴経。聴経竟皆大歓喜◎
其諸菩薩僉然欣悦。於虚空中共奏天楽。以微妙音歌歎仏徳。聴受経法歓喜無量。供養仏已未食之前。忽然軽挙還其本国。
此諸菩薩生希有心得大喜愛。於晨朝時。奉事供養尊重讃歎無量百千億那由他仏。及種諸善根已。即於晨朝還到本国。此皆由無量寿仏本願加威及曽供如来。善根相続無欠減故。善修習故。善摂取故。善成就故
na khalu punar ānanda sukhāvatyāṃ lokadhātau sattvā audārikaṃ kavaḍīkārāhāram āharanti / api tu khalu punar yathārūpam evāhāram ākāṃkṣanti tathārūpam āhṛtam eva saṃjānanti / prīṇitakāyāś ca bhavanti prīṇitagātrāḥ / na teṣāṃ bhūyaḥ kāye prakṣepaḥ karaṇīyaḥ /
仏言。阿弥陀仏及諸菩薩阿羅漢欲食時。即自然七宝机。劫波育罽畳以為座。仏及菩薩皆坐前。悉有自然七宝。鉢中有百味飲食。飲食者亦不類世間。亦非天上。此百味飲食。八方上下。衆自然飲食中精味。甚香美無比。自然化生耳。欲得甜酢在所欲得。諸菩薩阿羅漢中。有欲得金鉢者。有欲得銀鉢者。有欲得水精鉢者。有欲得珊瑚鉢者。有欲得虎珀鉢者。有欲得白玉鉢者。有欲得車&T027012;鉢者。有欲得馬瑙鉢者。有欲得明月珠鉢者。有欲得摩尼珠鉢者。有欲得紫磨金鉢者。随意即至。亦無所従来。亦無供養者。自然化生耳。諸菩薩阿羅漢皆食。食亦不多亦不少悉平等。亦不言美悪。亦不以美故喜。食訖諸飯具鉢机座。皆自然化去。欲食時乃復化生耳。諸菩薩阿羅漢。皆心浄潔。所飲食但用作気力爾。皆自然消散摩尽化去
「阿弥陀仏や菩薩・阿羅漢たちが食事をしたいと思うと、自然の七宝で出来た机と木綿の敷物が(現れ)座席となる。
仏と菩薩が皆坐ると、それぞれの前に自然の七宝の鉢が現れる。(鉢の)中には百味の食べ物・飲み物がある。(その)食べ物・飲み物は、この世の物とも異なるし、天上の物でもない。これら百味の食べ物・飲み物は、八方上下(の世界)のあらゆる自然の食べ物・飲み物の中で最高の味をもち、比べようのないほどとても香しく美味しいものが、自然に生じたものなのである。甘いものでも酸っぱいものでも思いのままに得られる。
菩薩・阿羅漢たちの中には、金の鉢が欲しい者もいるし、銀の鉢が欲しい者もいるし、水晶の鉢が欲しい者もいるし、珊瑚の鉢が欲しい者もいるし、琥珀の鉢が欲しい者もいるし、白玉の鉢が欲しい者もいるし、車渠の鉢が欲しい者もいるし、瑪瑙の鉢が欲しい者もいるし、明月珠の鉢が欲しい者もいるし、摩尼珠の鉢が欲しい者もいるし、紫磨金の鉢が欲しい者もいるが、それぞれの思いのままにすぐさま現れる。それらはどこから(持って)来るのでもなく、誰かが供養するのでもない。自然にすっと現れるのである。
菩薩・阿羅漢たちはみな食事をする。その食事は多からず、少なからず、全く平等である。(彼らは食事の)善し悪しを言わないし、美味しいからといって喜んだりはしない。食べ終われば、食事の道具・鉢・机・座席はみなすっと消え去り、食べたくなると、またすっと現れる。
菩薩・阿羅漢たちはみな心が清らかで、飲食物も(本当に食べる訳でなく)ただ気力を出させるためのもので、(口にいれた飲食物も)みなすっと消え去り、なくなってしまう。」
◎仏言無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢欲食時。則自然七宝机。自然劫波育。自然罽&T073554;以為座。無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢皆坐已。前悉有自然七宝鉢。中皆有自然百味飲食。飲食者。亦不類世間飲食之味也。亦復非天上飲食之味也。此百味飲食者。都為八方上下衆。自然之飲食中精味。甚香美無有比。都自然化生耳。其飲食自在所欲得味甜酢。鉢自在所欲得。諸菩薩阿羅漢中有欲得銀鉢者。中有欲得金鉢者。中有欲得水精鉢者。中有欲得琉璃鉢者。中有欲得珊瑚鉢者。中有欲得虎珀鉢者。中有欲得白玉鉢者。中有欲得車&T027012;鉢者。中有欲得瑪瑙鉢者。中有欲得明月珠鉢者。中有欲得摩尼珠鉢者。中有欲得紫磨金鉢者。皆満其中百味飲食。自恣若随意則至。亦無所従来。亦無有供作者。自然化生耳。諸菩薩阿羅漢皆食。食亦不多亦不少。悉自然平等。諸菩薩阿羅漢食。亦不言美悪。亦不以美故喜。食已諸飯具鉢机坐。皆自然化去。欲食時乃復化生耳。諸菩薩阿羅漢。皆心清潔不慕飯食。但用作気力耳。皆自然消散糜尽化去」
若欲食時。七宝応器自然在前。金銀琉璃車&T027012;瑪瑙珊瑚虎珀明月真珠。如是衆鉢随意而至。百味飲食自然盈満。雖有此食実無食者。但見色聞香。意以為食。自然飽足。身心柔軟無所味著。事已化去時至復現。
復次阿難。彼仏国中有微細食。諸有情類嘗無噉者。如第六天随所思念。如是飲食即同食已。色力増長而無便穢。
仏告阿難。阿弥陀仏。為諸菩薩阿羅漢説経時。都悉大会講堂上。諸菩薩阿羅漢。及諸天人民無央数。都不可復計。皆飛到阿弥陀仏所。為仏作礼却坐聴経。其仏広説道智大経。皆悉聞知。莫不歓喜踊躍心開解者。即四方自然乱風起。吹七宝樹。皆作五音声。七宝樹華。覆蓋其国。皆在虚空中下向。其華之香遍一国中。皆散阿弥陀仏。及諸菩薩阿羅漢上。華堕地皆厚四寸。小萎即乱風吹。萎華自然去。四方乱風。吹七宝樹華。如是四反。即第一四天王。第二忉利天上。至三十二天上。諸天人皆持天上万種自然之物。百種雑色華。百種雑香。百種雑繒綵。百種劫波育畳衣。万種伎楽転倍好相勝。各持来下。為阿弥陀仏作礼。供養仏及諸菩薩阿羅漢。諸天人皆復大作伎楽。楽阿弥陀仏及諸菩薩阿羅漢。当是時。快楽不可言。諸天更相開避後来者。転復供養如前。
「阿弥陀仏が菩薩・阿羅漢に教えを説くとき、みな大挙して講堂に集まる。無数で全く数えられないほどの菩薩・阿羅漢、神々や人々が、みな阿弥陀仏のもとへ飛んできて、仏に礼拝し、退いて坐り、教えを聴く。仏は、さとりへの智慧に関する大いなる教えを詳しく説く。みな(その教えを)聴聞して、誰もが踊らんばかりに歓喜し、はっきり理解する。(すると)すぐさま四方から自然のつむじ風が起き、七宝樹に吹くと、(七宝樹は)みな様々な音色をたてる。(風に吹かれた)七宝樹の花はその国中をすっかり覆い、みな空中で下を向いて留まる。その花の香りは国中に満ちる。(花は)みな阿弥陀仏と菩薩・阿羅漢の上に散る。花は地面に落ち、厚さ四寸にもなる。少ししおれると、すぐさまつむじ風が吹き、しおれた花はふっとなくなる。(するとまた)四方からつむじ風が起きて七宝樹に吹き、(…………)このように、四度くり返す。
すぐさま、(下から)第一番の四天王、第二番の忉利天、さらに三十三天までの神々が、みな天上(に生じた)あらゆる種類の自然の物、あまたの種類の色とりどりの花、あまたの種類の香、あまたの種類の綾綿、あまたの種類の木綿製の衣、あらゆる音楽と舞い――(これらは天が上方になるにつれて)倍々にすばらしく、すぐれたものになるのだが――、これらをそれぞれたずさえて降りてきて、阿弥陀仏を礼拝した後、(阿弥陀)仏と菩薩・阿羅漢たちに供養する。
神々はみな盛んに音楽と舞いを演じ、阿弥陀仏と菩薩・阿羅漢たちを楽しませる。この時の快さは何とも言えない。神々は、(お互い邪魔にならぬよう)順々に場を明け渡し、後から来る者も次々と前の者同様に供養する。
仏告阿難。阿弥陀仏。為諸菩薩阿羅漢説法時。都悉大会講堂上。其国諸菩薩阿羅漢。及諸天人民無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。悉前為無量清浄仏作礼。却坐聴経。無量清浄仏。便則為諸比丘僧。諸菩薩阿羅漢。諸天人民。広説道智大経。皆悉聞知経道。莫不歓喜踊躍心開解者。即四方自然乱風起。吹国中七宝樹。七宝樹皆復作五音声。乱風吹七宝華華覆蓋其国。皆在虚空中下向。華甚香極自軟好。香遍国中。華皆自散無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢上。華堕地皆厚四寸。華適小萎。則自然乱風吹。萎華自然去。則四方倶復自然乱風起。吹七宝樹。七宝樹皆復自作五音声。乱風吹七宝樹華。華復如前。皆自然散無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢上。華堕地復厚四寸。華小萎。則自然乱風吹。萎華悉自然去。乱風吹華。如是四反。則第一四天王諸天人。第二忉利天上諸天人。第三天上諸天人。第四天上諸天人。第五天上諸天人。第六天上諸天人。第七梵天上諸天人。上至第十六天上諸天人。上至三十六天上諸天人。皆持天上万種自然之物。百種雑色華。百種雑香。百種雑繒綵。百種劫波育畳衣。万種伎楽。転倍好相勝。各持来下。為無量清浄仏作礼。則供養無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢。諸天人皆復大作伎楽。楽無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢。当是之時。快楽不可言。諸天人前来者。転去避後来者。後来者転復供養如前。更相開避。
仏語阿難。無量寿仏。為諸声聞菩薩大衆頒宣法時。都悉集会七宝講堂。広宣道教演暢妙法。莫不歓喜心解得道。即時四方自然風起。普吹宝樹出五音声。雨無量妙華随風周遍。自然供養如是不絶。一切諸天皆齎天上百千華香万種伎楽。供養其仏及諸菩薩声聞大衆。普散華香奏諸音楽。前後来往更相開避。当斯之時。熈然快楽不可勝言。
imaṃ khalv ānandārthavaśaṃ saṃpaśyantas te tathāgatā daśasu dikṣv aprameyāsaṃkhyeyāsu lokadhātuṣu tasyāmitābhasya tathāgatasya nāmadheyaṃ parikīrtayanto varṇaṃ ghoṣayantaḥ praśaṃsām abhyudīrayanti tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre daśabhyo digbhya ekaikasyāṃ diśi gaṅgānadīvālukopamā bodhisattvās tam amitābhaṃ tathāgatam upasaṃkrāmanti darśanāya vandanāya paryupāsanāya paripraśnīkaraṇāya taṃ ca bodhisattvagaṇaṃ tāṃś ca buddhakṣetraguṇālaṃkāravyūhasaṃpadviśeṣān draṣṭum //
即東方無央数仏国。其数不可復計。如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各遣諸菩薩無央数。不可復計。皆飛到阿弥陀仏所。作礼聴経。皆大歓喜。悉起為作礼如去。西方北方南方四角諸仏。其数各如恒水辺流沙。各遣諸菩薩無央数。飛到阿弥陀仏所。作礼聴経亦復如是。即下方上方諸仏。其数各如恒水辺流沙。皆遣諸菩薩。都不可復計。飛到阿弥陀仏所。作礼聴経。更相開避。如是終無休絶時也。仏言。所以諸仏以恒水辺流沙為数者。八方上下無央数仏。甚大衆多。都各不可復計。故以恒水辺流沙為数耳
同様に、西方・北方・南方および(北東・南東など)四隅の仏たち――それぞれの(方角に)ガンジス河の岸辺の砂の数ほどおられるが――それぞれが、無数の菩薩を遣わし、彼らは阿弥陀仏のもとへ飛んで来て、礼拝し、教えを聴く。すると、下方・上方の菩薩たち――それぞれの(方角に)ガンジス河の岸辺の砂の数ほどおられるが――それぞれが、まったく数え切れないほどの菩薩を遣わし、彼らは阿弥陀仏のもとへ飛んで来て、礼拝し、教えを聴き、(お互い邪魔にならぬよう)順々に場を明け渡す。このように絶え間がない。」
仏は仰った。
「諸仏をガンジス河の岸辺の砂の数で喩えるのは、八方上下の無数の仏たちは大変数多く、全てを数えるのは不可能。だからガンジス河の岸辺の砂の数で喩えるのだ。」
則東方無央数仏国。不可復計。如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各遣諸菩薩無央数。不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則為無量清浄仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。悉起為無量清浄仏作礼而去。則西方無央数諸仏国。復如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則前為無量清浄仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。則北方無央数諸仏国。復如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則前為無量清浄仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。南方無央数諸仏国。復如恒水辺流沙。一沙一仏其数如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。則前為無量清浄仏作礼而去。則復四角無央数諸仏国。各復如恒水辺流沙。一沙一仏其数各如是。諸仏各復遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。前為無量清浄仏作礼已。頭面著仏足。悉却坐一面聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。仏言。八方上下諸無央数仏。更遣諸菩薩。飛到無量清浄仏所。聴経供養。転更相開避。如是則下面。諸八方無央数仏国。一方者各復如恒水辺流沙。一沙一仏其数復如是。諸仏各遣諸菩薩無央数。都不可復計。皆飛到無量清浄仏所。前為阿弥陀仏作礼。以頭面著仏足。悉却坐聴経。聴経竟。諸菩薩皆大歓喜。起為無量清浄仏作礼而去。上方諸仏。更遣諸菩薩。飛到無量清浄仏所。聴経供養相開避。前来者則去避後来者。後来者供養亦復如是。終無休絶極時
仏告阿難。無量寿仏威神無極。十方世界無量無辺不可思議諸仏如来。莫不称歎於彼東方恒沙仏国。無量無数諸菩薩衆。皆悉往詣無量寿仏所。恭敬供養及諸菩薩声聞大衆。聴受経法宣布道化。南西北方四維上下亦復如是。
阿難。以此義利故。無量無数不可思議無有等等無辺世界諸仏如来。皆共称讃無量寿仏所有功徳
仏告阿難。東方如恒河沙界。一一界中有如恒沙菩薩。為欲瞻礼供養無量寿仏及諸聖衆来詣仏所。南西北方四維上下。亦復如是。
仏説大乗無量寿荘厳経巻下
西天訳経三蔵朝散大夫試光禄卿明教大師臣法賢奉 詔訳
復次阿難。東方恒河沙数仏刹。一一刹中。有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。南方恒河沙数仏刹。一一刹中。亦有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。西方恒河沙数世界。一一仏刹。亦有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。北方恒河沙数仏刹。一一仏刹。亦有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。以諸香花幢幡宝蓋。持用供養極楽世界無量寿仏。四維上下亦復如是。各礼仏足。称讃仏土功徳荘厳。
atha khalu bhagavāṃs tasyāṃ velāyām imam evārthaṃ bhūyasyā mātrayā paridīpayann imā gāthā abhāṣata //
yathaiva gaṅgāya nadīya vālikā
buddhāna kṣetrā purimeṇa tāttakāḥ /
yato hi te agāmi buddha vandituṃ
saṃbodhisattvā amitāyu nāyakaṃ // 1 //
bahupuṣpapuṭāṃ gṛhītvā te
nānavarṇa surabhī manoramān /
okiranti naranāyakottamaṃ
amita-āyu naradevapūjitaṃ // 2 //
tatha dakṣiṇāpaścima-uttarāsu
buddhāna kṣetrā daśatāsu tattakāḥ /
yato yato āgami buddha vandituṃ
saṃbodhisattvā amitāyu nāyakaṃ // 3 //
bahugandhapuṭāṃ gṛhītvā te
nānavarṇa surabhī manoramān /
okiranti naranāyakottamaṃ
amita-āyu naradevapūjitaṃ // 4 //
「(一)東方に、ガンジス河の砂のように、
それだけ多くの、もろもろの仏の国土がある。
そこから、実にかれら菩薩たちは、
導師アミターユ〔ス〕仏を礼拝するためにやってきた。
(二)かれらは、種々の色があり、かぐわしく、愛らしい、
多くの花の包みをたずさえて、
人間の最上の導師であり、
人間と神々に供養されたアミターユ〔ス〕にふり撒く。
(三)同様に、南・西・北の諸方角に、
それだけ多くの、もろもろの仏の国土がある。
その各々から、菩薩たちが、
導師アミターユ〔ス〕仏を礼拝するためにやってきた。
(四)かれらは、種々の色があり、かぐわしく、愛らしい、
多くの香りの包みをたずさえて、
人間の最上の導師であり、
人間と神々に供養されたアミターユ〔ス〕にふり撒く。
1. 'As there are Buddha countries equal to the sand of the river Gaṅgā in the eastern quarter, whence all the Bodhisattvas come to worship the Buddha, the lord Amitāyu;
2. 'And they having taken many bunches of flowers of different colours, sweetly-scented and delightful, shower them down on the best leader of men, on Amitāyu, worshipped by gods and men;—
3. 'In the same manner there are as many Buddha countries in the southern, western, and northern quarters, whence they come with the Bodhisattvas to worship the Buddha, the lord Amitāyu.
4. 'And they having taken many handfulls of scents of different colours, sweetly scented and delightful, shower them down on the best leader of men, on Amitāyu, worshipped by gods and men.
T0361_.12.0288b01-02
T0361_.12.0288a28-29
譬若如恒沙刹 東方仏国如是
各各遣諸菩薩 稽首礼無量覚
此十方菩薩飛 皆以衣裓諸華
天拘蚕種種具 往供養無量覚
西南北面皆爾 如是恒沙数土
是諸仏遣菩薩 稽首礼無量覚
T0360_.12.0272c21-22
T0360_.12.0272c19-20
爾時世尊而説頌曰
東方諸仏国 其数如恒沙
彼土諸菩薩 往覲無量覚
一切諸菩薩 各齎天妙華
宝香無価衣 供養無量覚
南西北四維 上下亦復然
彼土菩薩衆 往覲無量覚
T0310_.11.0098b01
T0310_.11.0098a27-29
爾時世尊。而説頌曰
東方諸仏刹 数如恒河沙
如是仏土中 恒沙菩薩衆
皆現神通来 礼無量寿仏
各齎衆妙花 名香皆可悦
三方諸聖衆 礼覲亦同帰
彼於沙界中 道光諸弁論
住深禅定楽 四無所畏心
T0363_.12.0323c25-0324a01
T0363_.12.0324a02-03
爾時世尊即説頌曰
東方世界恒河沙 一一刹中無数量
菩薩声聞発勝心
各以香花宝蓋等 持至荘厳仏刹中
供養如来無量寿 供已礼足而称讃
最上希有大福田
如是西南及北方 四維上下恒沙界
声聞菩薩数亦然