無量寿経 Larger Sukhāvatīvyūha
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sā cāsya prabhā vimalā vipulā kāyasukhasaṃjananī cittaudbilyakaraṇī devāsuranāgayakṣagandharvagaruḍamahoragakinnaramanuṣyāmanuṣyāṇāṃ prītiprāmodyasukhakaraṇī kuśalāśayānāṃ kalyalaghugativicakṣaṇabuddhiprāmodyakaraṇy anyeṣv api anantāparyanteṣu buddhakṣetreṣu / anena cānanda paryāyeṇa tathāgataḥ paripūrṇaṃ kalpaṃ bhāṣeta tasyāmitābhasya tathāgatasya nāmakarmopādāya prabhām ārabhya na ca śakyo guṇaparyanto 'dhigantuṃ tasyāḥ prabhāyāḥ / na ca tathāgatasya vaiśāradyopacchedo bhavet / tat kasya hetoḥ / ubhayam apy etad ānandāprameyam asaṃkhyeyam acintyāparyantaṃ yad idaṃ tasya bhagavato prabhāguṇavibhūtis tathāgatasya cānuttaraṃ prajñāpratibhānam //
また、アーナンダよ、こういうわけで、如来(釈尊)が、かのアミターバ如来の光明について名をあげることによって、満〔一〕劫の間語ろうとしても、その光明の功徳の際限を知ることはできない。しかも、如来(釈尊)の自信(無所畏)は断絶することがないであろう。それはなぜであるか。アーナンダよ、これは、かの世尊〔アミターバ如来〕の光明の功徳のすばらしさと、如来(釈尊)の無上なる智慧の弁才とが、両方ともに無量・無数・不可思議・無際限だからである。
'And in this manner, O Ānanda, the Tathāgata might speak for a whole kalpa on the work of the Tathāgata Amitābha, beginning with his light, and yet he would not be able to reach the end of the virtues of that light of that Tathāgata, neither would there be any failure of the self-confidence in the Tathāgata himself. And why? Because, O Ānanda, both these things are immeasurable, innumerable, inconceivable, and endless, viz. first, the greatness of the excellence of the light of that Tathāgata Amitābha, the Bhagavat, and secondly, the unsurpassed light of the knowledge possessed by the Tathāgata (by myself).
焔照諸無数天下。幽冥之処。皆常大明。諸有人民。蜎飛蠕動之類。莫不見阿弥陀仏光明也。見者莫不慈心歓喜者。世間諸有婬泆瞋怒愚痴者。見阿弥陀仏光明。莫不作善也。諸在泥犁禽獣薜荔。考掠勤苦之処。見阿弥陀仏光明至。皆休止不復治。死後莫不得解脱憂苦者也阿弥陀仏光明。名聞八方上下。無窮無極。無央数諸仏国。諸天人民。莫不聞知。聞知者莫不度脱也。仏言。不独我称誉阿弥陀仏光明也。八方上下。無央数仏。辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉皆如是。仏言。其有人民。善男子善女人。聞阿弥陀仏声。称誉光明。朝暮常称誉其光明好。至心不断絶。在心所願。往生阿弥陀仏国。可得為衆菩薩阿羅漢所尊敬。若其然後作仏者。亦当復為八方上下諸無央数仏。辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉光明如是也。即衆比丘僧。諸菩薩阿羅漢。諸天帝王人民。聞之皆歓喜踊躍。莫不讃歎者。仏言。我道阿弥陀仏光明。姝好巍巍。称誉快善。昼夜一劫。尚未竟也。我但為若曹小説之耳
阿弥陀仏の光明の名声は八方上下にはてしなくひろく広く知れわたっていて、無数の仏国の神々や人々で聞いたことのないものはいないし、聞いて(輪廻から)度脱しないものはいない。」
仏はおっしゃった。
「私一人が阿弥陀仏の光明を称えるのではない。八方上下の無数の仏たち、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちもみな同じように称えているのだ。」
仏はおっしゃった。
「もし人々、善男子、善女人が『阿弥陀仏』という名前を聞き、(その)光明を誉め称え、一日中絶えまなくひたすらその光明のすばらしさを誉め称えれば、(彼らの)願い通りに阿弥陀仏の国に生まれ行き、多くの菩薩、阿羅漢に尊敬されるであろう。もし、そののち仏になれば、(その仏の)光明も八方上下の無数の仏たち、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちに、(阿弥陀仏の光明と)同じように称えられるであろう。」
すると、比丘たち、菩薩、阿羅漢たち、神々、帝王、人々はこれを聞いて、みな飛び上がるほど喜び、讃歎しないものはいなかった。
仏はおっしゃった。
「私が昼夜を問わずまる一劫かけて、阿弥陀仏の光明がすばらしく、すぐれていることを語り、(その)すばらしさを誉め称えつづけたとしても、言い尽くせるものではない。私は君たちにさわりだけ話したにすぎない。」
無量清浄仏光明。焔照諸無央数天下幽冥之処皆常明。諸有人民蜎飛蠕動之類。莫不見無量清浄仏光明。見無量清浄仏光明。莫不慈心歓喜者。世間諸有婬姪瞋怒愚痴。見無量清浄仏光明。莫不作善者。諸泥犁禽獣薛茘。考掠勤苦之処。見無量清浄仏光明至。皆休止不得復治。死後莫不得解脱憂苦者也。無量清浄仏光明名聞八方上下無窮無極無央数仏国。諸天人民莫不聞知。聞知者莫不得過度者。仏言。我不独称誉無量清浄仏光明也。八方上下無央数諸仏。辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉皆如是仏言。其有人民善男子善女人。聞無量清浄仏声。称誉光明。如是朝暮。常称誉其光明明好。至心不断絶。在心所欲願往生無量清浄仏国。可得為諸菩薩阿羅漢所尊敬。智慧勇猛。若其然後作仏者。亦当復為八方上下無央数辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉光明。亦当復如是。則衆比丘僧諸菩薩阿羅漢。諸天帝王人民。聞之皆歓喜踊躍。莫不讃歎者。仏言。我道無量清浄仏光明姝好巍巍称誉快善。昼夜一劫尚未竟也。我但為若曹小説之耳。
其有衆生遇斯光者。三垢消滅身意柔軟。歓喜踊躍善心生焉。若在三塗勤苦之処。見此光明皆得休息無復苦悩。寿終之後皆蒙解脱。無量寿仏光明顕赫照曜十方諸仏国土。莫不聞知。不但我今称其光明。一切諸仏声聞縁覚諸菩薩衆。咸共歎誉亦復如是。若有衆生。聞其光明威神功徳。日夜称説至心不断。随意所願得生其国。為諸菩薩声聞大衆。所共歎誉称其功徳。至其然後得仏道時。普為十方諸仏菩薩。歎其光明亦如今也。仏言。我説無量寿仏光明威神巍巍殊妙。昼夜一劫尚不能尽
彼之光明清浄広大。普令衆生身心悦楽。復令一切余仏刹中。天竜夜叉阿修羅等皆得歓悦。阿難。我今開示彼仏光明。満足一劫説不能尽。
如是光明。普照十方一切世界。天竜薬叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩睺羅伽人非人等。見此光明発菩提心獲利楽故。仏告阿難。我住一劫。説此光明功徳利益。亦不能尽。
仏説阿弥陀仏為菩薩。求索得是二十四願。時阿闇世王太子。与五百長者迦羅越子。各持一金華蓋。倶到仏所。前為作礼仏。以頭面著仏足。皆持金華蓋。前上仏已。悉却坐一面聴経。阿闇世王太子。及五百長者子。聞阿弥陀仏二十四願。皆大歓喜踊躍。心中倶願言。令我等後作仏時。皆如阿弥陀仏。仏即知之。告諸比丘僧。是阿闍世王太子。及五百長者子。却後無数劫。皆当作仏如阿弥陀仏。仏言。是阿闍世王太子。及五百長者子。住菩薩道已来。無央数劫。皆各供養四百億仏已。今復来供養我。阿闍世王太子。及五百長者子。皆前世迦葉仏時。為我作弟子。今皆復会是共相値也。則諸比丘僧。聞仏言皆踊躍。莫不代之歓喜者
阿闍世王の太子と長者の息子たち五百人とは、阿弥陀仏の二十四願を聞いて、みな飛び上がるほど喜び、心の中で同時に願った。「私たちが将来、仏になるときは、みな阿弥陀仏のようになりますように」
仏(釈尊)はすぐに知って、比丘たちにおっしゃった。「これら阿闍世王の太子と長者の息子たち五百人とは、無数劫後にみな阿弥陀仏のような仏になるであろう 」
仏はおっしゃった。
「これら阿闍世王の太子と五百人の長者の息子たちは、菩薩道に身をおいて以来無数劫のあいだ、すでにそれぞれ四百億の仏たちを供養し、いま、さらに私を供養しに来た。阿闍世王の太子と長者の息子たち五百人は、みな過去世で、迦葉仏の時代に、私の弟子であったが、いま皆再会した。たがいにめぐりあったのだ。」
すると比丘たちは仏の話を聞いて、みな飛び上がるほど喜び、だれもが自分のことのように喜んだ。
仏説無量清浄。為菩薩求索。得是二十四願。時阿闍世王太子。与五百大長者迦羅越子。各持一金華蓋。前上仏已。悉却坐一面聴経阿闍世王太子。及五百長者子。聞無量清浄仏二十四願。皆大歓喜踊躍。心中倶願言。令我等後作仏時。皆如無量清浄仏。仏則知之。告諸比丘僧。是阿闍世王太子。及五百長者子。却後無央数劫。皆当作仏如無量清浄仏。仏言。是阿闍世王太子。五百長者子。作菩薩道已来。無央数劫。皆各供養四百億仏已。今復来供養我。是阿闍世王太子。及五百人等。皆前世迦葉仏時。為我作弟子。今皆復会是共相値也。則諸比丘僧。聞仏言皆心踊躍。莫不歓喜者。
tasya khalu punar ānandāmitābhasya tathāgatasyāprameyaḥ śrāvakasaṃgho yasya na sukaraṃ pramāṇam udgṛhītum / iyatyaḥ śrāvakakoṭyaḥ / iyanti śrāvakakoṭīśatāni / iyanti śrāvakakoṭīsahasrāṇi / iyanti śrāvakakoṭīśatasahasrāṇi / iyanti kaṅkarāṇi / iyanti biṃbarāṇi / iyanti nayutāni / iyanty ayutāni / iyanti akṣobhyaṇi / iyanto vivāhāḥ / iyanti śrotāṃsi / iyantyo jayāḥ / iyanty aprameyāṇi / iyanty asaṃkhyeyāni / iyanty agaṇyāni / iyanty atulyāni / iyanty acintyānīti / tad yathānanda maudgalyāyano bhikṣur ṛddhivaśitāprāptaḥ sa ākāṃkṣaṃs trisāhasramahāsāhasralokadhātau yāvanti tārārūpāṇi tāni sarvāṇy ekarātriṃ divena gaṇayet / evaṃrūpāṇāṃ carddhimatāṃ koṭīnayutaśatasahasraṃ bhavet / te varṣakoṭīnayutaśatasahasram ananyakarmāṇo 'mitābhasya tathāgatasya prathamaṃ śrāvakasannipātaṃ gaṇayeyuḥ / tair gaṇayadbhiḥ śatatamo 'pi bhāgo na gaṇito bhavet / sahasratamo 'pi śatasahasratamo 'pi yāvat kalām apy upamām apy upaniśām api na gaṇito bhavet /
たとえば、アーナンダよ、神通の自在を得たマウドガリヤーヤナ比丘は、彼が欲するならば、三千大千世界において、あるかぎりの星の種類のすべてを一昼夜で数えるであろうが、このような神通をもつ者が十万・百万・千万いたとして、かれらが十万・百万・千万年の間、他のことをしないで、アミターバ如来の最初の声聞の集会を数えたとしても、これらの数え手たちによって、百分の一さえも数えられず、千分の一さえも、十万分の一さえも、ないし、極少分でさえも、譬喩〔で示される数〕さえも、近似〔した数〕さえも数えられないであろう。
仏語阿難。阿弥陀仏。為諸菩薩阿羅漢説経竟。諸天人民中。有未得道者。即得道。未得須陀洹者。即得須陀洹。未得斯陀含者。即得斯陀含。未得阿那含者。即得阿那含。未得阿羅漢者。即得阿羅漢。未得阿惟越致菩薩者。即得阿惟越致菩薩。阿弥陀仏。輒随其宿命時。求道心所憙願。大小随意。為説経授与之即令疾開解得。皆悉明慧。各自好喜。所願経道。莫不喜楽。誦習之者。自諷誦通利。無厭無極。諸菩薩阿羅漢中。有誦経者。其音如三百鐘声。中有説経者。如疾風暴雨時。如是尽一劫竟。終無懈倦時。皆悉智慧勇猛。身体軽便。終無痛痒。極時行歩坐起。悉皆才健勇猛。如師子中王。在深山中。有所趣向。時無有敢当者。無有疑難之意。在心所作。為不可予計。百千億万倍。是猛師子中王。百千億万倍。尚復不如我第二弟子摩訶目揵連勇猛。百千億万倍。如摩訶目揵連。於諸国菩薩阿羅漢中。最為無比。飛行進止。智慧勇猛。洞視徹聴。知八方上下去来現在之事。百千億万倍。共合為一智慧。当令在阿弥陀仏国中諸羅漢辺。其徳尚復不及。百千億万倍。阿逸菩薩。即起前長跪叉手。問仏言。阿弥陀仏国中。諸阿羅漢。寧頗有般泥洹去者無。願欲聞之。仏言。若欲知者。如是四天下星。若見之不。阿逸菩薩言。唯然見之。仏言。如我第二弟子。摩訶目揵連。飛上天上一昼一夜。遍数知星有幾枚。此四天下星甚衆多。不可得計尚復百千億万倍是星也。
「阿弥陀仏が菩薩・阿羅漢のために教えを説き終わると、神々や人々の中にそれまでまだ道を得ていない者がいれば、その場で道を得る。須陀洹道をまだ得ていない者は、その場で須陀洹道を得、まだ斯陀含道を得ていない者は、その場で斯陀含道を得、まだ阿那含道を得ていない者は、その場で阿那含道を得、まだ阿羅漢になっていないものは、その場で阿羅漢になり、まだ不退転の菩薩になっていないものは、その場で不退転の菩薩になる。
阿弥陀仏は、これら(衆生)が前世で道を求めていた時の願いの大きさに応じて、自在に教えを説き与え、その場ですぐにはっきり理解させ、すべてに通じた智慧を得させる。誰もがみな願っていた教えを気に入り、喜ぶ。それを繰り返し読誦するものは、一人でよどみなく暗誦し、飽き疲れることを知らない。
菩薩・阿羅漢たちで、経を読誦する者がいるが、その声は三百箇の鐘の音のようであるし、(また)教えを説くものがいるが、あたかも暴風雨の時のような(響きである?)。このようにまるまる一劫の間、まったく倦むことを知らない。
みな智慧あり、勇敢で、体は軽やかで、痛み・痒みといった感覚を感じたり、疲れることは全くない。行住坐臥において、みな才気と逞しさと勇ましさがあって、それはあたかも獅子の王が深い山の中でどこに向かおうと、面と向かって来る者はなく、ためらいなく、思うがままに行動し、(他の者はその行動を)予測することができない様なものである。この勇敢な獅子の(勇敢さを)百千億万倍にしても、私の第二弟子、摩訶目揵連の勇敢さの百千億万の一にも及ばない。摩訶目揵連は諸仏国の菩薩・阿羅漢のなかで、もっともすぐれていて、空を飛び、進むも止まるも(自在で)、智慧あり、勇敢で、(一切を)見通し、(あらゆる音を)はっきり聞き分け、八方上下の過去・未来・現在のことを知っている。(その摩訶目揵連の智慧を)百千億万倍あわせたほどの智慧を持つ者でも、もし、阿弥陀仏国の阿羅漢たちのかたわらに並べば、彼の徳は(後者の)百千億万の一にも及ばない。」
すると、阿逸菩薩が立ち上がって前に進み出、膝立ちして合掌して、仏に尋ねた。
「阿弥陀仏国の阿羅漢たちの中には、完全な涅槃を遂げて去って行かれる方もおられるのでしょうか。お聞かせ下さい。」
仏は仰った。
「君が知りたいなら、(さて)君にはこの全世界の星が見えるかね。」
阿逸菩薩は答えた。
「はい。見えます。」
仏は仰った。
「私の第二弟子、摩訶目揵連ときたら、天に飛び上がり、(たった)一昼夜で、星が幾つあるかすっかり数え上げることができる。全世界には数え切れないほど沢山星があるが、(阿弥陀仏国の阿羅漢の数は)これら星の百千億万倍もあるのだ。
仏語阿難。無量清浄仏。為諸菩薩阿羅漢説経竟。諸天人民中。有未得須陀洹道者。則得須陀洹道。中有未得斯陀含道者。則得斯陀含道。中有未得阿那含道者。則得阿那含道。中有未得阿羅漢道者。則得阿羅漢道。中有未得阿惟越致菩薩者。則得阿惟越致菩薩。阿弥陀仏。輒随其本宿命求道時。心所喜願大小随意。為説経輒授之。令其疾開解得道。皆悉明慧各自好喜。所願経道莫不喜楽誦習者。則各自諷誦経道。通利無厭無極也。諸菩薩阿羅漢中有誦経者。其音如雷声。中有説経者。如疾風暴雨。時諸菩薩阿羅漢。説経行道皆各如是。尽一劫竟終無懈倦時也。皆悉智慧勇猛。身体皆軽。便終無有痛痒。極時行歩坐起。皆悉才健勇猛。如師子中王。在深林中。当有所趣。向時無有敢当者。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢。説経行道皆勇猛。無有疑難之意。則在心所作。為不予計。百千億万倍。是猛師子中王也。如是猛師子中王。百千億万倍。尚復不如我第二弟子。摩訶目揵連勇猛。百千億万倍也。無量清浄国。諸菩薩阿羅漢。皆勝我第二弟子摩訶目揵連也。仏言。如摩訶目揵連勇猛。於諸仏国諸阿羅漢中。最為無比。如摩訶目揵連。飛行進止。智慧勇猛。洞視徹聴。知八方上下去来現在之事。百千億万倍都合為一智慧勇猛。当在無量清浄仏国諸阿羅漢中者。其徳尚復不如無量清浄仏国。一阿羅漢智慧勇猛者。千億万倍也。是時坐中有一菩薩。字阿逸菩薩。阿逸菩薩。則起前長跪叉手。問仏言。阿弥陀仏国中。諸阿羅漢。寧頗有般泥洹去者不。願欲聞之。仏告阿逸菩薩。若欲知者。如是四天下星。若見之不。阿逸菩薩言。唯然皆見之。仏言。而我第二弟子。摩訶目揵連。飛行四天下。一日一夜遍数星。知有幾枚也。如是四天下。星甚衆多。不可得計。尚為百千億万倍。是四天下星也。
又声聞菩薩。其数難量不可称説。神智洞達威力自在。能於掌中持一切世界。仏語阿難。彼仏初会。声聞衆数不可称計。菩薩亦然。能如大目揵連。百千万億無量無数。於阿僧祇那由他劫。乃至滅度。悉共計挍。不能究了多少之数。
復次阿難。彼無量寿如来。諸声聞衆不可称量知其辺際。仮使比丘満億那由他百千数量。皆如大目揵連神通自在。於晨朝時周歴大千世界。須臾之頃還至本処。彼経億那由他百千歳数。欲共計算無量寿仏初会之中諸声聞衆。尽其神力乃至滅度。於百分中不知其一。於千分百千分乃至鄔波尼殺曇分中。亦不知其一。
復次阿難。無量寿如来。有如是百千万十万百万。一倶胝百倶胝千倶胝。緊迦囉数。頻婆囉数。那由他数。阿由他数。毘婆訶数。嚩娑那数。穣伽数。阿僧祇数。十阿僧祇数。百阿僧祇数。千阿僧祇数。百千阿僧祇数。阿摩儞野数。不可思議数。如是無量無数声聞之衆。譬喩算数数不能及。阿難。彼大目乾連神通第一。三千大千世界所有一切童男童女。於一昼夜悉知其数。仮使百千倶胝声聞神通之力。皆如大目乾連。又一一声聞。寿百千倶胝那由他歳。尽其寿命数。彼声聞百分之中。不及一分。
tad yathānanda mahāsamudrāc caturaśītiyojanasahasrāṇy āvedhena tiryag aprameyāt kaścid eva puruṣaḥ śatadhābhinnayā vālāgrakoṭyaikam udakabindum abhyutkṣipet / tat kiṃ manyasa ānanda katamo bahutaro yo vā śatadhābhinnayā vālāgrakoṭyābhyutkṣipta eka udakabindur yo vā mahāsamudre 'pskandho 'vaśiṣṭa iti / āha / yojanasahasram api tāvad bhagavan mahāsamudrasya parīttaṃ bhavet kim aṅga punar yaḥ śatadhābhinnayā vālāgrakoṭyābhyutkṣipta eka udakabinduḥ /
〔アーナンダは〕言った。
「世尊よ、千ヨージャナ〔の深さの水〕でさえも、なお、大海の少量にすぎません。まして、〔一〕毛を百に裂いた先端ですくいあげられた一滴の水では、なおさらのことであります。」
Ānanda said: 'Even a thousand yojanas, O Bhagavat, would be a small portion of the great ocean, how much more then one drop of water thrown out by the sharp pointed hair divided a hundred times!'
如天下大海水減去一渧。寧能令海水為減。知少不耶。対曰。減去百千億万斗石。尚不能令減知少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢中。雖有般泥洹去者。如大海減一渧水爾。不能令在諸阿羅漢為減知少也。仏言。大海減去一渓水。寧令減少不。対曰。減去百千億万渓水。尚不能減知少也。仏言。減大海一恒水。寧能令減知少不。対曰。減去百千億万恒水。不能令減知少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢。般泥洹去者無央数。其在者新得道者亦無央数。都不為増減也。仏言。令天下諸水。都流入大海水中。寧能令海水増多不。対曰。不能令増多也。所以者何。是大海為天下諸水衆善中王。故能爾耳。
(阿逸菩薩は)答えた。
「百千億万斗(と)石(こく)汲んでも、減少したと分かるほど減らせるものではありません。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の阿羅漢たちの中には、完全な涅槃を遂げて去って行くものもいるが、それは大海の水が一滴減ったようなもので、減少したと分かるほど、そこにいる阿羅漢たちの数が減るものではない。」
仏は仰った。
「大海から谷川一つ分の水を減らしたならば、(大海の水を目に見えて)減らせるだろうか。」
(阿逸菩薩は)答えた。
「谷川百千億万本分の水を減らしても、減少したと分かるほど減らせるものではありません。」
仏は仰った。
「大海からガンジス河一つ分の水を減らしたならば、(大海の水を)目に見えて減らせるだろうか。」
(阿逸菩薩は)答えた。
「ガンジス河百千億万本分の水を減らしても、減少したかと分かるほど減らせるものではありません。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の阿羅漢で、完全な涅槃を遂げて去って行く者は無数にいるが、そこにいる者で新たに(阿羅漢)道を得る者も無数だから、増減はまったくないのだ。」
仏は仰った。
「世界のあらゆる河川の水を大海の中に流し込んで、大海の水を増やすことが出来るか。」
(阿逸菩薩は)答えた。
「増やせません。なぜなら、大海は世界のあらゆるすぐれた河川の中の王者だからそうなのです。」
仏言。如天下大海水。減去一渧水。寧能令海水為減不。阿逸菩薩言。減大海水。百千億万斗石。水尚復不能令海減少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢中。雖有般泥洹去者。如是大海。減一小水耳。不能令諸在阿羅漢為減知少也。仏言。減大海水一渓水。寧能減海水不。阿逸菩薩言。減大海百千万億渓水。尚復不能減海水。令知減少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢中。有般泥曰去者。如是大海減一渓水耳。不能減諸在阿羅漢。為減知少也。仏言。而大海減一恒水。寧能減海水不。阿逸菩薩言。減大海水百千万億恒水。尚復不能減大海水。令減知少也。仏言。阿弥陀仏国。諸阿羅漢。般泥曰去者無央数。其在者。新得阿羅漢者。亦無央数。都不為増減也。仏言。令天下諸水。都流行入大海中。寧能令海水為増多不。阿逸菩薩言。不能令海水増多也。所以者何。是大海為天下諸水衆善中王也。故能爾耳。
譬如大海深広無量。仮使有人。析其一毛。以為百分。以一分毛沾取一渧。於意云何。其所渧者於彼大海何所為多。阿難白仏。彼所渧水比於大海。多少之量非巧歴算数言辞譬類所能知也。
阿難。譬如大海深八万四千由旬。以目極観不知辺際。若有丈夫。析一毛端為五十分。以其一分於大海中霑取一滴。阿難。彼之水滴比於大海。何者為多。阿難白言。仮使取千由旬水。猶以為少。況以毛端一分而可方之。
復次阿難。譬如大海。深八万四千由旬。広闊無辺。仮使有人出身一毛。砕為百倶胝細如微塵。以一一塵投海出水。水在塵上形量亦爾。如是投尽毛塵。於意云何。毛塵水多海中水多。阿難白仏言。世尊。毛塵出水未及半合。海水無量。
bhagavān āha / tad yathā sa eka udakabinduḥ / iyantaḥ sa prathamasannipāto 'bhūt / tair maudgalyāyanasadṛśair bhikṣubhir gaṇayadbhis tena varṣakoṭīnayutaśatasahasreṇa gaṇitaṃ bhavet / yathā mahāsamudre 'pskandho 'vaśiṣṭa evam agaṇitaṃ draṣṭavyam / kaḥ punar vādo dvitīyatṛtīyādīnāṃ śrāvakasannipātādīnām / evam anantāparyantas tasya bhagavataḥ śrāvakasaṃgho yo 'prameyāsaṃkhyeya ity eva saṃkhyāṃ gacchati //
「マウドガリヤーヤナのような比丘であるかの数え手たちによって、十万・百万・千万年の間、かの最初の集会がこれほどであったと、数えられたとしても、そ〔の集会〕は、あたかも一滴の水のようであり、このように数えられなかったものは、大海に残された水の容量のようである、と見なければならない。まして、第二・第三などの声聞の集会などについても、言うまでもない。このように、かの世尊の声聞の僧団は無限・無際限であり、それは〈無量・無数である〉と称されるだけである。
仏言。阿弥陀仏国亦如是。悉令八方上下。無央数仏国。諸無央数天人民。蜎飛蠕動之類都往生。甚大衆多不可復計。阿弥陀仏国。諸菩薩阿羅漢衆比丘僧。故如常一法不異為増多。所以者何。阿弥陀仏国為最快。八方上下無央数。諸仏国中衆善之王。諸仏国中之雄。諸仏国中之宝。諸仏国中寿之極長久也。諸仏国中之衆傑也。諸仏国中之広大也。諸仏国中之都。自然之無為。最快明好甚楽之無極。所以者何。阿弥陀仏本為菩薩時。所願勇猛。精進不懈。累徳所致。故能爾耳。阿逸菩薩即大歓喜。長跪叉手言。仏説阿弥陀仏国土。快善明好最姝無比。乃独爾乎。仏言。阿弥陀仏国。諸菩薩阿羅漢所居。七宝舎宅中。有在虚空中者。有在地者。中有欲令舎宅最高者。舎宅即高中。有欲令舎宅最大者。舎宅即大中。有欲令舎宅在虚空中者。舎宅即在虚空中。皆自然随意在所作為。中有殊不能令舎宅随意者。所以者何。中有能令舎宅随意者。皆是前世宿命求道時。慈心精進。益作諸善。徳重所致。中有殊不能者。皆是前世宿命求道時。不慈心精進益作諸善。徳薄所致。其所衣被飯食。倶自然平等。徳有大小。別知其勇猛。令衆見之耳。仏言。若見第六天王所居処不。唯然見之。仏言。阿弥陀仏国講堂舎宅。都復勝第六天王所居処。百千億万倍。諸菩薩阿羅漢。悉皆洞視徹聴。見知八方上下去来現在之事。復無数天上天下人民。及蜎飛蠕動之類。心意所念善悪。口所欲言。皆知当何歳何劫。得度脱得人道。往生阿弥陀仏国。知当作菩薩阿羅漢。皆予知之。
「阿弥陀仏国も(大海と)同様である。八方上下のそれぞれの(方角の)無数の仏国の神々や人々や飛ぶ虫・這う虫などをみなそこに生まれさせ、その数は計り知れないほど多い。(しかし)阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢たちや比丘たち(の数)は、やはり常に一定で、とくに増えるということはない。どうしてこうなのか。阿弥陀仏国はもっともすばらしく、八方上下のそれぞれの(方角の)無数の仏国の中でも最高にすぐれた王者であり、諸仏国の中の雄、諸仏国の中の宝、諸仏国の中で(衆生が)最も長寿な国であり、諸仏国の中で傑出したものであり、諸仏国の中で(もっとも)広大であり、諸仏国の中の都(のようなもの)であり、無為自然という点で、もっともすばらしく、明るく美しく、心地よいことこの上ないからだ。どうしてこうなのか。阿弥陀仏が菩薩だった時、いさましい願を立て、怠ることなく精進し、徳を重ねた結果、こうなったのだ。」
すると阿逸菩薩は大変歓喜し、膝立ちし合掌して言った。
「仏は阿弥陀仏の国がすばらしく、明るく美しく、比べるものがないほど立派なことを説かれました。なんと(阿弥陀仏国)だけがこうなんですね!」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢の七宝の住所には、空中にあるものも地上にあるものもある。(菩薩・阿羅漢の)中で、住居が最も高いことを望む者がいれば、住居は高く、住居が最も大きいことを望む者がいれば、住居は大きい。住居が空中にあることを望む者がいれば、住居は空中に浮かぶ。すべて自由自在、彼らの思うがままである。中には住居が全く思いのままにならない者もいる。どうしてそうなるのか。住居を思いのままにすることが出来る者は、みな前世・過去世で道を求めていた時、慈しみの心をいだいて精進し、大いに数多くの善行をなして、功徳を多く積んだからである。全く思いのままにならない者は、みな前世・過去世で道を求めていた時、慈しみの心をいだいて精進したり、大いに数多くの善行をなすということをせず、徳をあまり積まなかったのである。(阿弥陀仏国の衆生の)着る物、食べ物はいずれも自然(に現れ)、平等である。(しかし、積んだ)徳には違いがあるから、(徳の)優れた者を区別し、(住居の違いでそのことを)衆生に示すのである。」
仏は仰った。
「君は第六天王(他化自在天)の住まいを見たことがあるか。」
「はい見たことがあります。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の講堂と住居はみな第六天王の住まいよりも百千億万倍もすぐれている。
(阿弥陀仏国の)菩薩・阿羅漢はみな(一切を)見通し、(あらゆる音を)はっきり聞き分け、八方上下の過去・未来・現在のことを知っている。また無数の天上天下の人々や飛ぶ虫・這う虫が心に思っている善悪や言いたいことを知っているし、(これら衆生が)いったい何年後、何劫後、(輪廻から)度脱でき、人間となって、阿弥陀仏国に生まれることができるのかを知っているし、(誰が)いったい菩薩・阿羅漢になるのか、すべて予知している。
仏言。無量清浄仏国亦如是。悉令八方上下無央数仏国。無央数諸天人民。蜎飛蠕動之類。都往生無量清浄仏国者。其輩甚大衆多。不可復計。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢衆比丘僧。都如常一法不異為増多也。所以者何。無量清浄仏国為最快。八方上下無央数諸仏国中。衆菩薩中王也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之雄国也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之珍宝也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之極長久也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国之衆傑也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中之広大也。無量清浄仏国。為諸無央数仏国中都自然之無為也。無量清浄仏国。為最快明好甚楽之無極也。無量清浄仏国独勝者何。本為菩薩求道時。所願勇猛。精進不懈。累徳所致。故乃爾耳。阿逸菩薩則大歓喜。長跪叉手言。仏説無量清浄仏国。諸阿羅漢。般泥洹去者甚衆多。無央数国土快善之極。明好最姝無比。乃独爾乎。仏言。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢所居。七宝舎宅中。有在虚空中居者。中有在地居者。中有意欲令舎宅最高者。舎宅則高。中有意欲令舎宅最大者。舎宅則大。中有意欲令舎宅在虚空中者。舎宅則在虚空中。皆自然随意在所作為。中有殊不能令其舎宅。随意所作為者。所以者何。中有能者。皆是前世宿命求道時。慈心精進益作諸善。徳重所能致也。中有不能致者。皆是前世宿命求道時。不慈心精進。作善少徳小。悉各自然得之。所衣被服飲食。倶自然平等耳。是故不同。徳有大小別。知勇猛令衆見耳。仏告阿逸菩薩。若見是第六天上天王所居処不耶。阿逸菩薩言唯然皆見之。仏言。無量清浄仏国土。講堂舎宅。倍復勝第六天王所居処。百千億万倍也。無量清浄仏国。其諸菩薩阿羅漢。悉皆洞視徹聴。悉復見知八方上下去来現在之事。復知諸無央数。天上天下人民。及蜎飛蠕動之類。皆悉知心意所念善悪。口所欲言。皆知当何歳何劫中。得度脱得人道。当往生無量清浄仏国。知当作菩薩道得阿羅漢道。皆予知之。
仏語阿難。如目連等。於百千万億那由他劫。計彼初会声聞菩薩。所知数者猶如一渧。其所不知如大海水。
仏告阿難。仮使比丘満億那由他百千数量。皆如大目揵連。経百千億那由他歳。皆共算数彼無量寿如来初会声聞。所知数量如彼毛端一滴之水。余不測者猶如大海。諸菩薩摩訶薩衆亦復如是。非以算計之所能知。
仏言阿難。彼目乾連等声聞之衆。尽其形寿。数知数者如毛塵之水。数未尽者如海中水。如是彼仏。有如是無量不可算数声聞弟子。
aparimitaṃ cānanda tasya bhagavato 'mitābhasyatathāgatasyāyuṣpramāṇaṃ yasya na sukaraṃ pramāṇam adhigantum / iyanto vā kalpāḥ / iyanti vā kalpaśatāni / iyanti vā kalpasahasrāṇi / iyanti vā kalpaśatasahasrāṇi / iyatyo vā kalpakoṭyaḥ / iyanti vā kalpakoṭīśatāni / iyanti vā kalpakoṭīsahasrāṇi / iyanti vā kalpakoṭīśatasahasrāṇi / iyanti vā kalpakoṭīnayutaśatasahasrāṇīti / atha tarhy ānandāparimitam eva tasya bhagavata āyuṣpramāṇam aparyantam / tena sa tathāgato 'mitāyur ity ucyate /
仏告阿逸菩薩。若欲知阿弥陀仏寿命無極時不。対曰。願皆欲聞知之。仏言。明聴。悉令八方上下。諸無央数仏国中。諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆使得入道。悉令作辟支仏阿羅漢。共坐禅一心。都合其智慧為一勇猛。共欲計知阿弥陀仏寿命。幾千億万劫歳数。皆無有能計知者。復令他方面各千須弥山仏国中。諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆復使得入道。悉令作辟支仏阿羅漢。皆令坐禅一心。合其智慧為一勇猛。共欲数阿弥陀仏国中。諸菩薩阿羅漢。知有幾千億万人。皆無有能知数者。阿弥陀年寿甚長久。浩浩照照。明善甚深。無極無底誰当能知信其者。独仏自信知爾。阿逸菩薩聞仏言大歓喜。長跪叉手言。仏説阿弥陀仏寿命甚長。威神尊大。智慧光明巍巍快善。乃独如是。仏言。阿弥陀仏。至其然後。般泥洹者。其蓋楼亘菩薩。便当作仏。総領道智。典主教授。世間及八方上下。所過度諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆令得仏泥洹之道。其善福徳。当復如大師阿弥陀仏。住止無央数劫。無央数劫不可復計劫。准法大師。爾乃般泥洹。其次摩訶那鉢菩薩。当復作仏。典主智慧。総領教授。所過度福徳。当復如大師阿弥陀仏。止住無央数劫。尚復不般泥洹。展転相承受。経道甚明。国土極善其法如是。終無有断絶。不可極也
「君は阿弥陀仏の寿命が無限であることを知りたいか。」
(阿逸菩薩は)応えた。
「願わくば、それについてすべて聞きたく存じます。」
仏は仰った。
「よく聞きなさい。八方上下の無数の仏国の神々や人々・飛ぶ虫・這う虫みなを人間にならせ、みな独覚・阿羅漢にならせて、みんなで一緒に坐禅して心を集中して、その智慧を合わせて、精神力を一つにして、阿弥陀仏の寿命が幾千億万劫歳であるかを計ろうとしても、全く計り知ることができない。
さらに、他方のそれぞれ千の須弥山仏国の神々や人々・飛ぶ虫・這う虫みなを人間にならせ、みな独覚・阿羅漢にならせて、みな一緒に坐禅して心を集中させ、皆でその智慧を合わせ、精神力を一つにして、阿弥陀仏国の菩薩・阿羅漢が幾千億万人いるかを数えようとしても、その数を知ることは全く出来ない。
阿弥陀の寿命はとても長く、ひろびろあかあか、明るくすばらしく、奥深く、果てしない。それを一体誰が知り信じることができよう。ただ仏だけがはっきり知っているのである。」
阿逸菩薩は仏の言葉を聞いて、大変歓喜し、膝立ちし合掌して言った。
「仏は、阿弥陀仏の寿命が大変長く、偉大な超人的力をもち、智慧の光は明々として、すばらしいことを説かれました。なんと(阿弥陀仏)だけがこうなんですね!」
仏は仰った。
「阿弥陀仏がやがて完全な涅槃に入れば、廅楼亘菩薩がすぐに仏になる。さとりへの智慧を把握し、教えることを把握して、世間や八方上下で神々や人々・飛ぶ虫・這う虫を(輪廻から)救済し、さらに皆に仏の涅槃への道を得させる。そのすばらしい福徳は、偉大な師、阿弥陀仏と同じであるはずだ。無数劫、無数劫、数え切れないほどの劫の間留まって、偉大な師(阿弥陀仏)のした通りに行った後、やっと完全な涅槃に入る。
その次に摩訶那鉢菩薩が仏になる。智慧を把握し、教えることを把握して、(衆生を輪廻から)救済することの福徳は、偉大な師、阿弥陀仏と同じであるはずだ。無数劫のあいだ留まっても、やはり完全な涅槃に入らず、次々と(教えを)伝えてゆく。教えはとても輝き、国土はとてもすばらしい。
(阿弥陀仏の)法は、このように断絶することなく、極まることがない。」
仏告阿逸菩薩。若欲知無量清浄仏寿命無極時不也。阿逸菩薩言。願皆欲聞知之。仏言明聴。悉令八方上下。諸無央数仏国中。諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆使得人道。悉令作辟支仏阿羅漢。共坐禅一心。都合其智慧。為一勇猛。共欲計知無量清浄仏寿命。知寿幾千億万劫歳数。皆無有能計知極無量清浄仏寿者也。仏言。復令他方面各千須弥山仏国中。諸天人民。及蜎飛蠕動之類。皆復得人道。悉令作辟支仏阿羅漢。皆令坐禅一心。共合其智慧。都為一勇猛。共欲数無量清浄仏国中。諸菩薩阿羅漢。計千億万人。皆無有能数者也。仏言。無量清浄仏。年寿甚長久浩浩。浩浩照明善甚深無極無底。誰当能信知其者乎。独仏自知耳。阿逸菩薩聞仏言。即大歓喜。長跪叉手言。仏説無量清浄仏寿命甚長。威神大智慧光明。巍巍快善。乃独如是乎。仏言。無量清浄仏。至其然後般泥洹者。其廅楼亘菩薩。便当作仏総領道智典主教授。世間八方上下。所過度諸天人民。蜎飛蠕動之類。皆令得仏泥洹之道。其善福徳。当得復如大師無量清浄仏。住止無央数劫。無央数劫不可復計劫。不可復計劫。准法大師。爾乃般泥曰。其次摩訶那鉢菩薩。当復作仏典主智慧都総教授。所過度福徳。当復如大師無量清浄仏。止住無央数劫。常復不般泥洹。展転相承。受経道甚明。国土極善。其法如是。終無有断絶。不可極也
仏語阿難。無量寿仏。寿命長久不可称計。汝寧知乎。仮使十方世界無量衆生皆得人身。悉令成就声聞縁覚。都共集会禅思一心竭其智力。於百千万劫悉共推算。計其寿命長遠劫数。不能窮尽知其限極。声聞菩薩天人之衆。寿命長短亦復如是。非算数譬喩所能知也。
阿難。彼仏寿命無量無辺。不可知其劫数多少。声聞菩薩及諸天人寿量亦爾。
yathā cānandeha lokadhātau kalpasaṃkhyā kalpagaṇanā prajñaptikasaṃketas tathā sāṃprataṃ daśa kalpās tasya bhagavato 'mitāyuṣas tathāgatasyotpannasyānuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbuddhasya //
仏告阿難。阿弥陀作仏已来。凡十小劫。
「阿弥陀仏が仏になられてから全部で十小劫になる。
仏告阿難。無量清浄仏作仏已来。凡十八劫。
阿難又問。其仏成道已来為経幾時。仏言。成仏已来凡歴十劫。
阿難白仏言。世尊。彼仏出世于今幾時。能得如是無量寿命。仏告阿難。彼仏受生経今十劫。
成仏已来於今十劫。
tasya khalu punar ānanda bhagavato 'mitābhasya sukhāvatī nāma lokadhātur ṛddhā ca sphītā ca kṣemā ca subhikṣā ca ramaṇīyā ca bahudevamanuṣyākīrṇā ca / tatra khalv apy ānanda lokadhātau na nirayāḥ santi na tiryagyonir na pretaviṣayo nāsurāḥ kāyā nākṣaṇopapattayaḥ / na ca tāni ratnāni loke pracaranti yāni sukhāvatyāṃ lokadhātau saṃvidyante /
また、アーナンダよ、かしこの世界には、もろもろの地獄もなく、畜生もなく、餓鬼の境遇もなく、もろもろの阿修羅の群れもなく、もろもろの不運な生まれもない。
また、極楽世界に存在するもろもろの宝石は、〔この〕世間において現出することがない。
T0362_.12.0303c01-03
其国地皆自然七宝。其一宝者白銀。二宝者黄金。三宝者水精。四宝者琉璃。五宝者珊瑚。六宝者琥珀。七宝者車渠。是為七宝。皆以自共為地。曠蕩甚大無極。皆自相参。転相入中。各自焜煌参明。極自軟好。甚姝無比。其七宝地。諸八方上下。衆宝中精味。自然合会。其化生耳。其宝皆比第六天上之七宝也。
無有泥犁禽獣薜茘。蜎飛蠕動之類。無有阿須倫諸竜鬼神。
地獄・鳥獣・餓鬼や飛ぶ虫・這う虫などはいない。阿修羅や竜たち、鬼神はいない。
T0361_.12.0283a13-14
其国地皆自然七宝。其一宝者名白銀。二宝者名黄金。三宝者水精。四宝者琉璃。五宝者珊瑚。六宝者虎珀。七宝者車&T027012;。是七宝皆以自共為地曠蕩甚大無極。皆自相参転相入中。各自焜煌参光極明。自然軟甚姝好無比。如其七宝地。諸八方上下衆宝中精。都自然之合会共化生耳。其宝比如第六天上之七宝也。
無有泥犁禽獣餓鬼。蜎飛蠕動之類也。無阿須倫諸竜鬼神也。
T0360_.12.0270a14
其仏国土自然七宝。金銀琉璃珊瑚琥珀車&T027012;瑪瑙合成為地。恢廓曠蕩不可限極。悉相雑厠転相入間。光赫焜耀微妙奇麗。清浄荘厳超踰十方一切世界。衆宝中精。其宝猶如第六天宝。
亦無地獄餓鬼畜生諸難之趣。
復次阿難。彼極楽界無量功徳具足荘厳。国土豊稔天人熾盛。志意和適常得安隠。無有地獄畜生及琰魔王界。
又彼仏国土大富無量。唯受快楽無有衆苦。無地獄餓鬼畜生焔魔羅界及八難之報。唯有清浄菩薩摩訶薩及声聞之衆
sā khalv ānanda sukhāvatī lokadhātuḥ surabhinānāgandhasamīritā nānāpuṣpaphalasamṛddhā ratnavṛkṣasamalaṃkṛtā tathāgatābhinirmitamanojñasvaranānādvijasaṃghaniṣevitā //
te cānanda ratnavṛkṣā nānāvarṇā anekavarṇā anekaśatasahasravarṇāḥ / santi tatra ratnavṛkṣāḥ suvarṇavarṇāḥ suvarṇamayāḥ / santi rūpyavarṇā rūpyamayāḥ / santi vaiḍūryavarṇā vaiḍūryamayāḥ / santi sphaṭikavarṇāḥ sphaṭikamayāḥ / santi musāragalvavarṇā musāragalvamayāḥ / santi lohitamuktāvarṇā lohitamuktāmayāḥ / santy aśmagarbhavarṇā aśmagarbhamayāḥ /
また、アーナンダよ、これら宝石の木々は、種々の色、多くの色、十万もの多くの色をしている。かしこには、金色で金でできた宝石の木々があり、銀色で銀でできたものもあり、瑠璃色で瑠璃でできたものもあり、水晶色で水晶でできたものもあり、琥珀色で琥珀でできたものもあり、赤真珠色で赤真珠でできたものもあり、碼碯色で碼碯でできたものもある。
阿弥陀仏及諸菩薩阿羅漢。講堂精舎所居処舎宅中。内外浴池上。皆有七宝樹。中有淳金樹。淳銀樹。淳水精樹。淳琉璃樹。淳白玉樹。淳珊瑚樹。淳琥珀樹。淳車&T027012;樹。種種各自異行。
純金の樹・純銀の樹・純水晶の樹・純琉璃の樹・純白玉の樹・純珊瑚の樹・純琥珀の樹・純車渠の樹があって、種類ごとにそれぞれ列をなしている。
仏告阿難。無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢。講堂精舎所居処舎宅。中外浴池上。皆有七宝樹。中有純銀樹。中有純金樹。中有純水精樹。中有純琉璃樹。中有純白玉樹。中有純珊瑚樹。中有純虎珀樹。中有純車&T027012;樹。種種各自異行。
又其国土。七宝諸樹周満世界。金樹。銀樹。琉璃樹。頗梨樹。珊瑚樹。瑪瑙樹。車&T027012;樹。
有種種香周遍芬馥。種種妙花亦皆充満。有七宝幢周布行列。其宝幢上懸諸幡蓋及衆宝鈴。具足百千諸妙雑色。阿難。彼如来国多諸宝樹。或純黄金白銀琉璃頗梨。赤珠馬瑙玉樹。唯一宝成不雑余宝。
復次阿難。彼仏国土。有種種宝柱。皆以百千珍宝。而用荘厳。所謂金柱銀柱。瑠璃柱。頗梨柱。真珠柱。硨磲柱。瑪瑙柱。
santi kecid dvayo ratnayoḥ suvarṇasya rūpyasya ca / santi trayāṇāṃ ratnānāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya ca / santi caturṇāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya ca / santi pañcānāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya musāragalvasya ca / santi ṣaṇṇāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya musāragalvasya lohitamuktāyāś / ca santi saptānāṃ ratnānāṃ suvarṇasya rūpyasya vaiḍūryasya sphaṭikasya musāragalvasya lohitamuktāyā aśmagarbhasya ca saptamasya // tatrānanda sauvarṇamayānāṃ vṛkṣāṇāṃ suvarṇamayāni mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni raupyamayāṇi / raupyamayāṇāṃ vṛkṣāṇāṃ rūpyamayāṇy eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni vaiḍūryamayāṇi / vaiḍūryamayāṇāṃ vṛkṣāṇāṃ vaiḍūryamayāṇi mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni sphaṭikamayāni / sphaṭikamayānāṃ vṛkṣāṇāṃ sphaṭikamayāny eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni musāragalvamayāni / musāragalvamayānāṃ vṛkṣāṇāṃ musāragalvamayāny eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni lohitamuktāmayāni / lohitamuktāmayānāṃ vṛkṣāṇāṃ lohitamuktāmayāny eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāny aśmagarbhamayāṇi / aśmagarbhamayāṇāṃ vṛkṣāṇām aśmagarbhamayāṇy eva mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpāṇi phalāni suvarṇamayāni //
アーナンダよ、かしこには、金でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は金でできており、果実は銀でできている。銀でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は銀だけでできており、果実は瑠璃でできている。瑠璃でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は瑠璃でできており、果実は水晶でできている。水晶でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は水晶だけでできており、果実は琥珀でできている。琥珀でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は琥珀だけでできており、果実は赤真珠でできている。赤真珠でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は赤真珠だけでできており、果実は碼碯でできている。碼碯でできている木々があって、根・幹・枝・梢・葉・花は碼碯だけでできており、果実は金でできている。
'And there, O Ānanda, of the trees made of gold, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of gold, and the fruits are made of silver. Of trees made of silver, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of silver only, and the fruits are made of beryl. Of trees made of beryl, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of beryl, and the fruits are made of crystal. Of trees made of crystal, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of crystal only, and the fruits are made of coral. Of trees made of coral, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of coral only, and the fruits are made of red pearls. Of trees made of red pearls, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of red pearls only, and the fruits are made of diamonds. Of trees made of diamonds, the flowers, leaves, small branches, branches, trunks, and roots are made of diamonds only, and the fruits are made of gold.
中有両宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。銀枝金葉。銀華金実。金樹者。金根銀茎。金枝銀葉。金華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。水精枝琉璃葉。水精華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根水精茎。琉璃枝水精葉。琉璃華水精実。是二宝共作一樹。中復有四宝共作一樹者。水精樹。水精根琉璃茎。金枝銀葉。水精華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根水精茎。金枝銀葉。水精華琉璃実。是四宝樹転共相成。各自異行。中復有五宝共作一樹者。銀根金茎。水精枝琉璃葉。銀華金実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝銀葉。金華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。水精枝金葉。銀華珊瑚実。珊瑚樹者。珊瑚根琉璃茎。水精枝金葉。銀華琉璃実。是五宝共作一樹。各自異行。中有六宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華虎珀実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。虎珀華珊瑚実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝虎珀葉。銀華金実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。虎珀枝水精葉。金華銀実。是六宝樹転共相成。各自異行。
四つの宝で出来ている樹もある――水晶の樹には、水晶の根・琉璃の幹・金の枝・銀の葉・水晶の花・琉璃の実がある。琉璃の樹には、琉璃の根・水晶の幹・金の枝・銀の葉・水晶の花・琉璃の実がある。これら四つの宝で出来ている樹は、(四宝が)組み合わさって出来ていて、それぞれ列をなしている。
五つの宝で出来ている樹もある――銀の樹には、銀の根・金の幹・水晶の枝・琉璃の葉・銀の花・金の実がある。金の樹には、金の根・銀の幹・水晶の枝・琉璃の葉・珊瑚の花・銀の実がある。水晶の樹には、水晶の根・琉璃の幹・珊瑚の枝・銀の葉・金の花・琉璃の実がある。琉璃の樹には、琉璃の根・珊瑚の幹・水晶の枝・金の葉・銀の花・珊瑚の実がある。珊瑚の樹には、珊瑚の根・琉璃の幹・水晶の枝・金の葉・銀の花・琉璃の実がある。これら五つの宝で出来ている樹が、それぞれ列をなしている。
六つの宝で出来ている樹もある――銀の樹には、銀の根・金の幹・水晶の枝・琉璃の葉・珊瑚の花・琥珀の実がある。金の樹には、金の根・銀の幹・水晶の枝・琉璃の葉・琥珀の花・珊瑚の実がある。水晶の樹には、水晶の根・琉璃の幹・珊瑚の枝・琥珀の葉・銀の花・金の実がある。琉璃の樹には、琉璃の根・珊瑚の幹・琥珀の枝・水晶の葉・金の花・銀の実がある。これら六つの宝で出来ている樹は、(六宝が)組み合わさって出来ていて、それぞれ列をなしている。
中復有両宝共作一樹者。銀樹銀根金茎銀枝金葉銀華金実。金樹者。金根銀茎金枝銀葉金華銀実。是両宝樹転共相成。各自異行。中復有三宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝銀葉。金華水精実。金樹者。金根銀茎。水精枝金葉。銀華水精実。水精樹者。水精根銀茎。金枝水精葉。銀華金実。是三宝樹転共相成。各自異行中。復有四宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。銀華金実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉金華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。銀枝金葉。水精華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根水精茎。金枝銀葉。琉璃華水精実。是四宝樹転共相成。各自異行中。復有五宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華金実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝銀葉。金華琉璃実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。水精枝金葉。銀華珊瑚実。珊瑚樹者。珊瑚根琉璃茎水精枝金葉。銀華琉璃実。是五宝樹転共相成。各自異行中。復有六宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉珊瑚華虎珀実。金樹者。金根銀茎。水精枝琉璃葉。虎珀華珊瑚実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝銀葉。虎珀華金実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。虎珀枝水精葉。金華銀実。珊瑚樹者。珊瑚根虎珀茎。銀枝金葉。水精華琉璃実。虎珀樹者。虎珀根珊瑚茎。金枝銀葉。琉璃華水精実。是六宝樹転共相成。各自異行中。
或有二宝三宝乃至七宝転共合成。或有金樹。銀葉華果。或有銀樹。金葉華果。或琉璃樹。玻梨為葉華果亦然。或水精樹。琉璃為葉華果亦然。或珊瑚樹。瑪瑙為葉華果亦然。或瑪瑙樹。琉璃為葉華果亦然。或車&T027012;樹。衆宝為葉華果亦然。
或以二宝乃至七宝荘厳。阿難。彼金為樹者。以金為根茎。白銀為葉及以花果。白銀之樹銀為根茎。黄金為葉及以花果。馬瑙之樹馬瑙根茎。美玉為葉及以花果。美玉樹者。玉為根茎七宝為葉及諸花果。
復有金銀二宝柱。金銀瑠璃三宝柱。金銀瑠璃頗梨四宝柱。金銀瑠瓈頗梨真珠五宝柱。金銀瑠璃頗梨真珠硨磲六宝柱。金銀瑠璃頗梨真珠硨磲瑪瑙七宝柱。復次阿難。彼仏国土。復有種種宝樹。根茎枝幹黄金所成。華葉菓実白銀化作。亦有宝樹。根茎枝幹白銀所成。花葉菓実瑠璃化作。亦有宝樹。根茎枝幹瑠璃所成。華葉菓実頗梨化作。亦有宝樹。根茎枝葉頗梨所成。華葉菓実真珠化作。亦有宝樹。根茎枝幹真珠所成。華葉菓実硨磲化作。亦有宝樹。根茎枝幹硨磲所成。花葉菓実璃瑙化作。亦有宝樹。根茎枝幹瑪瑙所成。花葉菓実黄金化作。
keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ suvarṇamayāni mūlāni raupyamayāḥ skandhā vaiḍūryamayā viṭapāḥ sphaṭikamayāḥ śākhā musāragalvamayāni pattrāṇi lohitamuktāmayāni puṣpāṇy aśmagarbhamayāṇi phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ raupyamayāṇi mūlāni vaiḍūryamayāḥ skandhāḥ sphaṭikamayā viṭapā musāragalvamayāḥ śākhā lohitamuktāmayāni pattrāṇy aśmagarbhamayāṇi puṣpāṇi suvarṇamayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ vaiḍūryamayāṇi mūlāni sphaṭikamayāḥ skandhā musāragalvamayā viṭapā lohitamuktāmayāḥ śākhā aśmagarbhamayāṇi pattrāṇi suvarṇamayāni puṣpāṇi raupyamayāṇi phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ sphaṭikamayāni mūlāni musāragalvamayāḥ skandhā lohitamuktāmayā viṭapā aśmagarbhamayāḥ śākhāḥ suvarṇamayāni pattrāṇi raupyamayāṇi puṣpāṇi vaiḍūryamayāṇi phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ musāragalvamayāni mūlāni lohitamuktāmayāḥ skandhā aśmagarbhamayā viṭapāḥ suvarṇamayāḥ śākhā raupyamayāṇi pattrāṇi vaiḍūryamayāṇi puṣpāṇi sphaṭikamayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ lohitamuktāmayāni mūlāny aśmagarbhamayāḥ skandhāḥ suvarṇamayā viṭapā raupyamayāḥ śākhā vaiḍūryamayāṇi pattrāṇi sphaṭikamayāni puṣpāṇi musāragalvamayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇām aśmagarbhamayāṇi mūlāni suvarṇamayāḥ skandhā raupyamayā viṭapā vaiḍūryamayāḥ śākhāḥ sphaṭikamayāni pattrāṇi musāragalvamayāni puṣpāṇi lohitamuktāmayāni phalāni / keṣāṃcid ānanda vṛkṣāṇāṃ saptaratnamayāni mūlāni saptaratnamayāḥ skandhāḥ saptaratnamayā viṭapāḥ saptaratnamayāḥ śākhāḥ saptaratnamayāni pattrāṇi saptaratnamayāni puṣpāṇi saptaratnamayāni phalāni / sarveṣāṃ cānanda teṣāṃ vṛkṣāṇāṃ mūlaskandhaviṭapaśākhāpattrapuṣpaphalāni mṛdūni sukhasaṃsparśāni sugandhīni / vātena preritānāṃ ca teṣāṃ valgumanojñanirghoṣo niścaraty asecanako 'pratikūlaḥ śravaṇāya //
アーナンダよ、ある木々には、銀でできた根、瑠璃でできた幹、水晶でできた枝、琥珀でできた梢、赤真珠でできた葉、碼碯でできた花、金でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、瑠璃でできた根、水晶でできた幹、琥珀でできた枝、赤真珠でできた梢、碼碯でできた葉、金でできた花、銀でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、水晶でできた根、琥珀でできた幹、赤真珠でできた枝、碼碯でできた梢、金でできた葉、銀でできた花、瑠璃でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、琥珀でできた根、赤真珠でできた幹、碼碯でできた枝、金でできた梢、銀でできた葉、瑠璃でできた花、水晶でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、赤真珠でできた根、碼碯でできた幹、金でできた枝、銀でできた梢、瑠璃でできた葉、水晶でできた花、琥珀でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、碼碯でできた根、金でできた幹、銀でできた枝、瑠璃でできた梢、水晶でできた葉、琥珀でできた花、赤真珠でできた果実がある。
アーナンダよ、ある木々には、七つの宝石でできた根、七つの宝石でできた幹、七つの宝石でできた枝、七つの宝石でできた梢、七つの宝石でできた葉、七つの宝石でできた花、七つの宝石でできた果実がある。
また、アーナンダよ、これらすべての木々の根・幹・枝・梢・葉・花・果実は、柔らかで、感触が快く、よい香りがあり、またこれら〔の木々〕が風に吹き動かされるとき、妙なる快い響きが流れ出て、魅力的であり、聞いて不快な思いをさせない。
'And, O Ānanda, the roots, trunks, branches, small branches, leaves, flowers, and fruits of all those trees are pleasant to touch, and fragrant. And, when those (trees) are moved by the wind, a sweet and delightful sound proceeds from them, never tiring, and never disagreeable to hear.
中復有七宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精枝琉璃葉。珊瑚華虎珀実。金樹者。金根水精茎。琉璃枝珊瑚葉。虎珀華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚枝虎珀葉。車&T027012;華白玉実。珊瑚樹者。珊瑚根虎珀茎。白玉枝琉璃葉。車&T027012;葉明月珠実。虎珀樹者。虎珀根白玉茎。珊瑚枝琉璃葉。水精華金実。白玉樹者。白玉根車&T027012;茎。珊瑚枝虎珀葉。金華摩尼殊実。是七宝樹転共相成。種種各自異。行行相値。茎茎自相准。枝枝自相値。葉葉自相向。華華自相望。実実自相当。仏言。阿弥陀仏。当講堂精舎中。内外七宝浴池繞辺。上諸七宝樹。及諸菩薩阿羅漢。七宝舎宅中。内外七宝浴池。繞池辺諸七宝樹。数千百重行。皆各如是。各自作五音声。音声甚好無比也。
列と列が(並行して)ぴったり向かい合い、幹と幹がきちんと向かい合い、枝と枝がぴったり向かい合い、葉と葉が向かい合い、花と花が向かい合い、実と実が向かい合っている。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏御自身の講堂・精舎(の敷地)内や(その)内と外にある七宝の浴池の周辺にある七宝樹、および菩薩や阿羅漢たちの七宝の住まい(の敷地)内や(その)内と外にある七宝の浴池の周辺にある七宝樹は、数百千の列に並んでいて、すべてが上に述べた様になっている。(それらは)みな自ずと様々な音色を発していて、その音はたとえようもなくすばらしい。」
復有七宝共作一樹者。銀樹。銀根金茎。水精節琉璃枝珊瑚葉。虎珀華車&T027012;実。金樹者。金根水精茎。琉璃節珊瑚枝虎珀葉。車&T027012;華銀実。水精樹者。水精根琉璃茎。珊瑚節虎珀枝車&T027012;葉。白玉華金実。琉璃樹者。琉璃根珊瑚茎。虎珀節白玉枝車&T027012;葉。水精華銀実。珊瑚樹者。珊瑚根虎珀茎。白玉節銀枝明月珠葉。金華水精実。虎珀樹者。虎珀根白玉茎。珊瑚節琉璃枝車&T027012;葉。水精華金実。白玉樹者。白玉根車&T027012;茎。琉璃節珊瑚枝虎珀葉。金華摩尼珠実。是七宝樹転共相成。種種各自異行。行行自相値。茎茎自相准。枝枝自相値。葉葉自相向。華華自相望。極自軟好。実実自相当。仏言。無量清浄仏。講堂精舎中。外内七宝浴池繞辺。上諸七宝樹。及諸菩薩阿羅漢。七宝舎宅中。外七宝浴池繞。池辺七宝樹。数千百重行。皆各各如是行行。自作五音。声甚好無比。
或有宝樹。紫金為本。白銀為茎。琉璃為枝。水精為条。珊瑚為葉。瑪瑙為華。車&T027012;為実。或有宝樹。白銀為本。琉璃為茎。水精為枝。珊瑚為条。瑪瑙為葉。車&T027012;為華。紫金為実。或有宝樹。琉璃為本。水精為茎。珊瑚為枝。瑪瑙為条。車&T027012;為葉。紫金為華。白銀為実。或有宝樹。水精為本。珊瑚為茎。瑪瑙為枝。車&T027012;為条。紫金為葉。白銀為華。琉璃為実。或有宝樹。珊瑚為本。瑪瑙為茎。車&T027012;為枝。紫金為条。白銀為葉。琉璃為華。水精為実。或有宝樹。瑪瑙為本。車&T027012;為茎。紫金為枝。白銀為条。琉璃為葉。水精為華。珊瑚為実。或有宝樹。車&T027012;為本。紫金為茎。白銀為枝。琉璃為条。水精為葉。珊瑚為華。瑪瑙為実。行行相値。茎茎相望。枝枝相準。葉葉相向。華華相順。実実相当。栄色光曜不可勝視。清風時発出五音声。微妙宮商自然相和。
或有金樹。黄金為根。白銀為茎。琉璃為枝。頗梨為条。赤珠為葉。馬瑙為花。美玉為果。或有銀樹。以銀為根黄金為茎。余枝果等飾同金樹。琉璃樹者。琉璃為根黄金為茎。白銀為枝頗梨為条。赤珠為葉馬瑙為花美玉為果。頗梨真珠馬瑙等樹。諸宝転飾皆若琉璃。復有玉樹。玉為其根黄金為茎。白銀為枝琉璃為条。頗梨為葉赤珠為花馬瑙為果。復有無量摩尼珠等宝荘厳樹周遍其国。是諸宝樹光輝赫奕世無能比。以七宝羅網而覆其上。其網柔軟如兜羅綿。
亦有宝樹。黄金為根。白銀為身。瑠瓈為枝。頗梨為梢。真珠為葉。硨磲為花。瑪瑙為菓。亦有宝樹。白銀為根。琉璃為身。頗梨為枝。真珠為梢。硨磲為葉。瑪瑙為花。黄金為菓。亦有宝樹。瑠璃為根。頗梨為身。真珠為枝。硨磲為梢。瑪瑙為葉。黄金為花。白銀為菓。亦有宝樹。頗梨為根。真珠為身。硨磲為枝。瑪瑙為梢。黄金為葉。白銀為花。瑠璃為菓。亦有宝樹。真珠為根。硨磲為身。瑪瑙為枝。黄金為梢。白銀為葉。瑠璃為花。頗梨為菓。亦有宝樹。硨磲為根。瑪瑙為身。黄金為枝。白銀為梢。瑠璃為葉。頗梨為花。真珠為菓。亦有宝樹。瑪瑙為根。黄金為身。白銀為枝。瑠璃為梢。頗梨為葉。真珠為花。硨磲為菓。如是極楽世界。七宝行樹。
evaṃrūpair ānanda saptaratnamayair vṛkṣaiḥ saṃtataṃ tad buddhakṣetraṃ samantāc ca kadalīstambhaiḥ saptaratnamayairatnatālapaṅktibhiś cānuparikṣiptaṃ sarvataś ca hemajālapraticchannaṃ samantataś ca saptaratnamayaiḥ padmaiḥ saṃcchannam / santi tatra padmāny ardhayojanapramāṇāni / santi yojanapramāṇāni / santi dvitricatuḥpañcayojanapramāṇāni / santi yāvad daśayojanapramāṇāni / sarvataś ca ratnapadmāt ṣaṭtriṃśadraśmikoṭīsahasrāṇi niścaranti / sarvataś ca raśmimukhāt ṣaṭtriṃśadbuddhakoṭīsahasrāṇi niścaranti / suvarṇavarṇaiḥ kāyair dvātriṃśanmahāpuruṣalakṣaṇadharair yāni pūrvasyāṃ diśy aprameyāsaṃkhyeyāsu lokadhātuṣu gatvā sattvebhyo dharmaṃ deśayanti / evaṃ dakṣiṇapaścimottarāsu dikṣv adha ūrdhvam anuvidikṣv aprameyāsaṃkhyeyāṃl lokadhātūn gatvā sattvebhyo dharmaṃ deśayanti //
又衆宝蓮華周満世界。一一宝華百千億葉。其葉光明無量種色。青色青光。白色白光。玄黄朱紫光色亦然。煒燁煥爛明曜日月。一一華中。出三十六百千億光。一一光中。出三十六百千億仏。身色紫金相好殊特。一一諸仏。又放百千光明。普為十方説微妙法。如是諸仏。各各安立無量衆生於仏正道
無量寿経巻上
阿難。一切広大珍奇之宝。無有不生極楽界者。阿難。彼仏国中有七宝蓮花。一一蓮花有無量百千億葉。其葉有無量百千珍奇異色。以百千摩尼妙宝荘厳。覆以宝網。転相映飾。阿難。彼蓮花量或半由旬。或一二三四乃至百千由旬者。是一一花出三十六億那由他百千光明。一一光中出三十六億那由他百千諸仏。身如金色具三十二大丈夫相。八十随好殊勝荘厳。放百千光普照世界。是諸仏等。現往東方為衆説法。皆為安立無量有情於仏法中。南西北方四維上下亦復如是。
tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre sarvaśaḥ kālaparvatā na santi sarvato ratnaparvatāḥ sarvaśaḥ sumeravaḥ parvatarājānaḥ sarvaśaś cakravāḍamahācakravāḍāḥ parvatarājānaḥ / mahāsamudrāś ca na santi / samantāc ca tad buddhakṣetraṃ samaṃ ramaṇīyaṃ pāṇitalajātaṃ nānāvidharatnasaṃnicitabhūmibhāgam //
T0362_.12.0303c03-05
其国中無有須弥山。其日月星辰。第一四天王。第二忉利天。皆在虚空中。其国土無有大海。亦無有小海水。亦無江河恒水也。亦無有山林渓谷。無有幽冥之処。其国七宝地皆平正。
終無天雨時。亦無有春夏秋冬。亦無大寒。亦無大熱。常和調中適。甚快善無比。
雨期はなく、春夏秋冬もなく、厳しい寒さ、厳しい暑さもない。つねに温和でほどよく、たとえようのないほど心地よい。
T0361_.12.0283a14-16
其国中無有須弥山。其日月星辰。第一四天王。第二忉利天。皆在虚空中。其国土無有大海水。亦無小海水。無江河洹水也。亦無山林渓谷。無有幽冥之処。其国七宝地皆平正。
終無有大雨時。亦無春夏秋冬也。亦無有大寒。亦不大熱。常和調中適甚快善無比。
T0360_.12.0270a14-15
又其国土無須弥山及金剛囲一切諸山。亦無大海小海渓渠井谷。仏神力故欲見則見。
亦無四時春秋冬夏。不寒不熱常和調適。
大宝積経巻第十八
大唐三蔵菩提流志奉 詔訳
無量寿会第五之二
復次阿難。彼極楽界。無諸黒山。鉄囲山。大鉄囲山。妙高山等。
復次阿難。彼仏国土清浄厳飾寛広平正。無有丘陵坑坎荊棘沙礫土石等山。黒山雪山宝山金山須弥山鉄囲山大鉄囲山。唯以黄金為地
evam ukta āyuṣmān ānando bhagavantam etad avocat / ye punas te bhagavaṃś cāturmahārājakāyikā devāḥ sumerupārśvanivāsinas trāyastriṃśā vā sumerumūrdhni nivāsinas te kutra pratiṣṭhitāḥ / bhagavān āha / tat kiṃ manyasa ānanda ye ta iha sumeroḥ parvatarājasyopari yāmā devās tuṣitā devā nirmāṇaratayo devāḥ paranirmitavaśavartino devā brahmakāyikā devā brahmapurohitā devā mahābrahmaṇo devā yāvad akaniṣṭhā devāḥ kutra te pratiṣṭhitā iti / āha / acintyo bhagavan karmāṇāṃ vipākaḥ karmābhisaṃskāraḥ / bhagavān āha / labdhas tvayānandehācintyaḥ karmāṇāṃ vipākaḥ karmābhisaṃskāro na punar buddhānāṃ bhagavatām acintyaṃ buddhādhiṣṭhānam / kṛtapuṇyānāṃ ca sattvānām avaropitakuśalamūlānāṃ tatrācintyā puṇyā vibhūtiḥ / āha / na me 'tra bhagavan kācit kāṃkṣā vā vimatir vā vicikitsā vā / api tu khalv aham anāgatānāṃ sattvānāṃ kāṃkṣāvimativicikitsāṃ nirghātāya tathāgatam etam arthaṃ paripṛcchāmi / bhagavān āha / sādhu sādhv ānandaivaṃ te karaṇīyam //
「世尊よ、では、スメール〔山〕の中腹に住むチャートゥル・マハーラージャ・カーイカ(四大王衆)天や、あるいはスメール〔山〕の頂に住むトラーヤス・トリンシャ(三十三)〔天〕の神々は、どこにいるのでしょうか。」
世尊は言われた。
「アーナンダよ、これをどう思うか——ここで、山の王であるスメール〔山〕の上の、ヤーマ(夜摩)天、トゥシタ(兜率)天、ニルマーナ・ラティ(化楽)天、パラニルミタ・ヴァシャヴァルティン(他化自在)天、ブラフマ・カーイカ(梵身)天、ブラフマ・プローヒタ(梵輔)天、マハー・ブラフマン(大梵)天、ないしアカニシュタ(色究竟)天の神々は、どこにいるのであろうか。」
〔アーナンダは〕言った。
「世尊よ、もろもろの業の果報、業の形成は不可思議であります。」
世尊は言われた。
「アーナンダよ、ここで、そなたはもろもろの業の果報、業の形成が不可思議であることを会得している。しかし、仏・世尊たちの仏の加護が不可思議であることを〔会得して〕いない。また、かしこでは、福徳を積み、善根を植えた衆生たちの福徳のすばらしさは、不可思議なのである。」
〔アーナンダは〕言った。
「世尊よ、わたくしには、このことについて、なんらの疑惑も疑念も疑いもありません。そうではなくて、わたくしは未来の衆生たちの疑惑・疑念・疑いを除き去るために、如来にこのことをお尋ねしているのです。」
世尊は言われた。
「善いかな、善いかな、アーナンダよ、そのようなことが、そなたの為すべきことなのである。
Bhagavat said: 'What do you think, O Ānanda, where do these other beings find their place, who in this world dwell above the king of mountains, Sumeru, namely, the Yāmadevas, Tushitas, Nirmāṇaratis, Paranirmitavaśavartins, Brahmakāyikas, Brahmapurohitas, Mahābrahmans, as far as the Akanishṭhas?'
Ānanda replied: 'O Bhagavat the result of works and the outcome of works are inconceivable.' (i.e. I do not understand it).
Bhagavat said: 'Here, you see, the result of works and the outcome of works are inconceivable. But to the blessed Buddhas the position of Buddhas is not inconceivable, while to thee the holy and miraculous power of virtuous beings, whose stock of merit has become ripened, seems inconceivable.'
Ānanda said: 'I had no doubt on this, no difference of opinion, or hesitation; on the contrary, I ask only the Tathāgata about this matter in order to destroy the doubts, the differences of opinion, and the hesitations of future beings.'
Bhagavat said: 'All right, Ānanda, this is what you ought to do.
阿難長跪叉手。問仏言。阿弥陀仏国中。無有須弥山。其第一四天。第二忉利天。皆依因何等住止。願欲聞之。仏告阿難。若有疑意於仏所耶。八方上下。無窮無極。無辺無量。諸天下大海水。一人斗量之。尚可枯尽得其底泥。仏智不如是。仏言。我所見知。諸已過去仏。如我名字釈迦文仏者。復如恒水辺流沙。一沙一仏。諸当来仏。如我名字。亦如恒水辺流沙。甫始欲求作仏者。如我名字。亦如恒水辺流沙。仏正坐直南向。視見南方。今現在仏。如我名字者。復如恒水辺流沙。八方上下。去来現在諸仏。如我名字者。各如十恒水辺流沙。一沙一仏。其数如是。仏皆悉予見知之。仏言。往昔過去無数劫已来。一劫十劫。百劫千劫。万劫億劫。億万億劫中有仏。諸已過去仏。一仏十仏百仏千仏。万仏億仏。億万億仏。各自有名字不同。無有如我名字者。甫始当来劫。一劫十劫。百劫千劫。万劫億劫。億万億劫。劫中有仏。一仏十仏。百仏千仏。万仏億仏。億万億仏。各各自有名字不同。時時乃有一仏如我名字耳。諸八方上下。無央数仏国。今現在仏。次他方異国。一仏国十仏国。百仏国千仏国。万仏国億仏国。億万億仏国中有仏。各自有名字。多多復不同。無如我名字者。八方上下。無央数諸仏中。時時乃有如我名字爾。八方上下。去来現在。其中間曠絶甚遠。悠悠迢迢。無窮無極。仏智亘然甚明。探古知今。前知無窮却覩未然。予知無極。都不可復計。甚無央数仏。威神尊明。皆悉知之。仏智慧道徳合明。都無能問仏経道窮極者。仏智慧終不可称量尽也。阿難聞仏言。即大恐怖衣毛皆起。白仏言。我不敢有疑意於仏所。所以問仏者。他方仏国。皆有須弥山。第一四天。第二忉利天。皆依因之住止。我恐仏般泥洹後。儻有諸天人民。若比丘僧比丘尼優婆塞優婆夷来問我。阿弥陀仏国。何以独無有須弥山。其第一四天王。第二忉利天。皆依因何等住止。我当応答之。今不問仏者。仏去後。当持何等語報答之。独仏自知之爾。余人無有能為我解者。以是故問仏耳。仏言阿難。是第三焔天。第四兜術天上。至第七梵天。皆依因何等住止乎。阿難言。是諸天皆自然在虚空中住在虚空中住止。無所依因。仏威神甚重。自然所欲作為。意欲有所作。為不予計。是諸天皆尚在虚空中住止。何況仏威神尊重。欲有所作為耶。阿難聞仏言。即大歓喜。長跪叉手言。仏智慧知八方上下去来現在之事。無窮無極無有辺幅甚高大妙絶快善。極明好甚無比。威神尊重不可当
阿弥陀経巻上
「阿弥陀仏国には須弥山はありませんが、(天界の下から)第一番目の四天王天と第二番目の忉利天は何に支えられているのでしょうか。お聞かせ下さい。」
仏は阿難に仰った。
「君は仏(わたし)に対して疑念を持つのか。八方上下のはてしなく無量無数の諸世界にある大海の水を、一人の人がますで量ろうとするなら、まだ汲み尽くして底にある泥に至ることが出来るが、仏の智慧はそうはいかない。」
仏は仰った。
「私が見るところでは、過去の仏で、私と同じ釈迦文仏という名前の者は、ガンジス河の岸辺の砂の数ほどいる――砂の一粒が一人の(釈迦文)仏にあたる――。未来の仏で、私と同じ名前の者はガンジス河の岸辺の砂の数ほどいる。将来、仏となろうという願いを持つ者で、私と同じ名前の者はガンジス河の岸辺の砂の数ほどいる。」
仏は正座して、まっすぐ南を向いて見た。
「南の方角の現在の仏で、私と同じ名前の者はガンジス河の岸辺の砂の数ほどいる。八方上下の過去・未来・現在の仏で、私と同じ名前の者は、それぞれガンジス河の岸辺の砂の数の十倍もいる――砂の一粒が一人の(釈迦文)仏にあたる――。(私と同じ名前の仏の)数はこれほどであるが、仏(わたし)はそれらを皆予め見て分かっている。」
仏は仰った。
「(この娑婆世界では)過去無数劫以来、一劫、十劫、百劫、千劫、万劫、億劫、億万億劫それぞれの劫に仏がいた。(従って)過去仏たちは、一仏、十仏、百仏、千仏、万仏、億仏、億万憶仏いるわけだが、それぞれ名前が異なっていて、私と同じ名前の者はいない。
(この娑婆世界の)未来の劫、一劫、十劫、百劫、千劫、万劫、億劫、億万億劫のそれぞれの劫に仏がいるあろう。(従って)一仏、十仏、百仏、千仏、万仏、億仏、億万憶仏いて、それぞれ名前が異なっているが、まれに私と同じ名前の者が現れる。
八方上下の無数の仏国の現在仏だが――次に他方仏国に(関して言うのだが)――、一仏国、十仏国、百仏国、千仏国、万仏国、億仏国、億万憶仏国に仏がいて、それぞれ名前があり、数多いが皆異なっていて、私と同じ名前の者はいない。(しかし)八方上下の無数の仏のうちに、まれに私と同じ名前の者がいる。
八方上下・過去・未来・現在の間は、遥かに隔たり、悠遠と離れ、はるかに果てしない。しかし、仏の智慧は完璧にはっきりしていて、古今を知り、無窮の過去を知り、未来に関してもまだ起きてないことを見、果てしなき(未来)を予知する。
全く計り知れず、全く数え切れないほどの数の仏の超人的な力と気高さ賢さを、(私は)すべて知っている。明晰さという点において仏の智慧はさとりの本質と等しい、仏の教えを尋ねてそれを窮めつくすことの出来る者など決していない。仏の智慧は決して量りつくすことはできないのだ。」
阿難は仏の言葉を聞いて、大変おそれ、総毛立ち、仏に申し上げた。
「私が仏に対して疑念などもつはずがありません。仏にお尋ねした理由は、(次の通りです)。(阿弥陀仏国以外の)他の仏国には、みな須弥山があり、(天界の下から)第一番目の四天王天、第二番目の忉利天はいずれもそれに支えられています。(釈迦文)仏が完全に涅槃に入られた後、もし神々や人々、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷が私の許へ来て、『阿弥陀仏国だけにはなぜ須弥山がないのですか。そこの第一番目の四天王天、第二番目の忉利天は何に支えられているのですか』と尋ねられたら、私はこれに答えねばなりません。今、仏にお尋ねしておかねば、仏がいらっしゃらなくなってから、どう答えればよいのでしょうか。仏だけがご存知です。他に私に説明できる人はいません。だから仏にお尋ねしたのです。」
仏は仰った。
「阿難よ、この(世界の)(天界の下から)第三番目の焔天、第四番目の兜術天から第七番目の梵天に至る諸天はみな何に支えられているのか。」
阿難は申し上げた。
「これら天はみな自然に空中に浮かんでいます。空中で浮かぶのに、何の支えもいりません。」
(仏は仰った。)
「仏は大変すぐれた超人的な力をもち、自由自在思い通りに行動し、その行おうとする行動は(他の者には)予測ができない。これらの天でさえ、みな空中に浮かんでいる。まして、(阿弥陀)仏の超人的な力がすばらしく、(そうなるように)しようと思っているのだから、(四天王天も忉利天も空中に浮かんでいるのは)言うまでもない。」
阿難は、仏の言葉を聞いて、大変歓喜し、膝立ちし合掌して申し上げた。
「仏はその智慧で、八方上下の過去・未来・現在のことを窮まりなく果てしなく知っておられる。(その智慧は)すぐれていて、卓越し、すばらしく、明るく美しく、全く比べるものとてありません。(その)超人的な力は優れていて、かなうものはいません。」
『阿弥陀経』巻上
阿難長跪叉手問仏言。仏説無量清浄仏国中。無有須弥山者。其第一四天王。第二忉利天。皆依因何等住止乎。願欲聞之。仏告阿難。若有疑意於仏所耶。八方上下無窮無極無有辺幅。其諸天下大海水。一人升量之。尚可枯尽得其底。仏智亦如是。八方上下。無窮無極。無有辺幅。仏言。我智慧所知見。諸已過去仏。如我名字釈迦文仏者。復如恒水辺流沙。一沙一仏。甫始諸来欲求作仏者。如我名字釈迦文仏者。復如恒水辺流沙。一沙一仏。仏正坐直南向。視見南方今現在仏。如我名字釈迦文仏者。復如恒水辺流沙。一沙一仏。八方上下。去来現在諸仏。如我名字釈迦文仏者。各如十恒水辺流沙。一沙一仏。其数如是。仏皆悉予見知之。仏言。往昔過去無央数劫已来。一劫十劫。百劫千劫。万劫億劫。万億劫億万劫。劫中有仏。諸已過去仏。一仏十仏。百仏千仏。万仏億仏。億万仏中有仏仏。各各自有名字。名字不相同類。無有如我名字者。甫始当来劫。諸当来仏。一劫十劫。百劫千劫。万劫億劫。万億劫億万劫。劫中有一仏十仏。百仏千仏。万仏万億仏。億万仏中有仏。仏各自有名字。名字各異。不同諸仏名字。時乃有一仏。如我名字釈迦文仏耳。諸八方上下。無央数仏国。今現在仏。次他方異仏国。一仏国十仏国。百仏国千仏国。万仏国億仏国。万億仏国億万仏国。仏国中有仏。各各自有名字。名字各異多多。復不可同。無有如我名字者。八方上下。無央数諸仏中。時時乃有如我名字釈迦文仏耳。八方上下去来現在。其中間曠絶甚遠悠悠。無窮無極。仏智亘然甚明。採古知今。前知無窮却覩未然。予知無極。都不可復計。甚無央数仏。威神尊明。皆悉知之。仏智慧道徳合明。都無有能問仏経道窮極者。仏智慧終不可斗量尽也。阿難聞仏言。則大恐怖衣毛皆起。阿難白仏言。我不敢有疑意於仏所也。所以問仏者。他方仏国皆有須弥山。其第一四王天。第二忉利天。皆依因之住止。我恐仏般泥曰後。儻有諸天人民。若比丘僧比丘尼優婆塞優婆夷。来問我無量清浄仏国。何以独無須弥山。其第一四王天。第二忉利天。皆依因何等住止乎。我等応答之。今我不問仏者。仏去後。我当持何等語答報之乎。独仏自知之耳。其余人無有能為解之者。以是故問仏耳。仏言阿難。若言是也。第三焔天。第四兜率天。上至第七梵天。皆依因何等住止乎。阿難言。是諸天皆自然在虚空中住止。無所依因也。仏言。無量清浄仏国。無有須弥山者亦如是。第一四王天。第二忉利天。皆自然在虚空中住止。無所依因也。仏言。仏威神甚重自在所欲作為。意欲有所作不予計也。是諸天皆常自然在虚空中住止。何況仏威神尊重。自在所欲作為乎。阿難聞仏言。則大歓喜。長跪叉手言。仏智慧知八方上下去来現在之事。無窮無極無有辺幅。甚高大妙絶。快善極明好甚無比。威神尊重不可当也。
爾時阿難白仏言。世尊。若彼国土無須弥山。其四天王及忉利天。依何而住。仏語阿難。第三炎天。乃至色究竟天。皆依何住。阿難白仏。行業果報不可思議。仏語阿難。行業果報不可思議。諸仏世界亦不可思議。其諸衆生功徳善力。住行業之地。故能爾耳。阿難白仏。我不疑此法。但為将来衆生。欲除其疑惑。故問斯義。
阿難白仏言。世尊。其四天王天三十三天既無。諸山依何而住。仏告阿難。於汝意云何。妙高已上有夜摩天。乃至他化自在天及色界諸天等。依何而住。阿難白仏言。世尊。不可思議業力所致。仏語阿難。不思議業汝可知耶。答言不也。仏告阿難。諸仏及衆生善根業力。汝可知耶。答言不也。世尊。我今於此法中実無所惑。為破未来疑網故発斯問。
爾時阿難。聞是語已。白世尊言。四大王天忉利天。依須弥山王住。夜摩天等当依何住。仏告阿難。夜摩兜率乃至色無色界一切諸天。皆依空界而住。阿難白言。空界無礙云何依住。業因果報不可思議。仏告阿難。汝身果報亦不可思議。衆生業報亦不可思議。諸仏聖力不可思議。
tasyāṃ khalv ānanda sukhāvatyāṃ lokadhātau nānāprakārā nadyaḥ pravahanti / santi tatra mahānadyo yojanavistārāḥ / santi yāvad viṃśatitriṃśaticatvāriṃśatpañcāśad yāvad yojanaśatasahasravistārā dvādaśayojanāvedhāḥ /
阿弥陀仏講堂精舎。及諸菩薩阿羅漢。所居舎宅中。内外処処。皆復有自然流泉浴池。皆与自然七宝倶生。金銀水精琉璃虎珀車渠。転共相成。淳金池者。其水底沙白銀也。淳白銀池者。其水底沙黄金也。淳水精池者。其水底沙琉璃也。淳琉璃池者。其水底沙水精也。淳珊瑚池者。其水底沙虎珀也。淳虎珀池者。其水底沙珊瑚也。淳車渠池者。其水底沙馬瑙也。淳馬瑙池者。其水底沙車渠也。淳白玉池者。其水底沙紫磨金也。淳紫磨金池者。其水底沙白玉也。中復有両宝共作一池者。其水底沙金銀也。中復有三宝共作一池者。其水底沙金銀水精也。中復有四宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃也。中有五宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃珊瑚也。中有六宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃珊瑚虎珀也。中有七宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃珊瑚虎珀車渠也。中有浴池長四十里者。有長八十里者。有長百六十里者。有長三百二十里者。有長六百四十里者。有長千二百八十里者。有長二千五百六十里者。有長五千一百二十里者。有長万二百四十里者。有長二万四百八十里者。其池縦広適等是池者皆諸菩薩阿羅漢。常所可浴池。仏言。弥陀仏浴池長四万八千里。広亦四万八千里。其池皆以七宝転共相成。其水底沙白珠明月珠摩尼珠也。
さらに二つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀である。さらに三つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶である。さらに四つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃である。さらに五つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃・珊瑚である。さらに六つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・琥珀である。さらに七宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・琥珀・車渠はである。
長さ四十里の浴池もあり、長さ八十里のもの、長さ百六十里のもの、長さ三百二十里のもの、長さ六百四十里のもの、長さ千二百八十里のもの、長さ二千五百六十里のもの、長さ五千一百二十里のもの、長さ一万二百四十里のもの、長さ二万四百八十里のものもあった。これら池の縦横の長さは等しい。
これらの池はいずれも菩薩や阿羅漢たちがいつも水浴びするところである。」
仏は語られた。
「阿弥陀仏の浴池は長さ四万八千里、幅も四万八千里あり、その池は七宝がすべて組み合わさって出来ている。その水底の砂は白珠・明月珠・摩尼珠である。
無量清浄仏講堂精舎。及諸菩薩阿羅漢所居。七宝舎宅中外内処処。皆復自然流泉水浴池。其浴池者。皆復以自然七宝。七宝倶生金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;。転共相成也。水底沙皆復以七宝金銀水精琉璃珊瑚虎珀事&T027012;也。有純白銀池者。其底沙皆黄金也。中有純黄金池者。其水底沙皆白銀也。中有純水精池者。其水底沙皆琉璃也。中有純琉璃池者。其水底沙皆水精也。中有純珊瑚池者。其水底沙皆虎珀也。中有純虎珀池者。其水底沙皆珊瑚也。中有純車&T027012;池者。其水底沙皆馬瑙也。中有純馬瑙池者。其水底沙者皆車&T027012;也。中有純白玉池者。其水底沙者皆紫磨金也。中有純紫磨金池者。其水底沙者皆白玉也。中復有二宝共作一池者。其水底沙者皆金銀也。中復有三宝共作一池者。其水底沙者皆金銀水精也。中復有四宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃也。中復有五宝共作一池者。其水底沙皆金銀水精琉璃珊瑚虎珀也。中復有六宝共作一池者。其水底沙皆金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;也。中復有七宝共作一池者。其水底沙皆金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;馬碯也。其浴池中有長四十里者。中有池長八十里者。中有池長百六十里者。中有池長三百二十里者。中有池長六百四十里者。中有池長千二百八十里者。中有浴池長二千五百六十里者。中有浴池長五千一百二十里者。中有浴池長万二百四十里者。中有浴池長二万四百八十里者。其縦広各適等。是浴池者。皆諸菩薩阿羅漢常所可浴池。仏言。無量清浄仏浴池。長四万八千里。広亦四万八千里。其浴池皆七宝転自共相成。其池水底沙。皆復以七宝白珠明月珠摩尼珠也。
又講堂精舎宮殿楼観皆七宝荘厳自然化成。復以真珠明月摩尼衆宝。以為交露覆蓋其上。内外左右有諸浴池。或十由旬。或二十三十。乃至百千由旬。縦広深浅各皆一等。八功徳水湛然盈満。清浄香潔味如甘露。黄金池者底白銀沙。白銀池者底黄金沙。水精池者底琉璃沙。琉璃池者底水精沙。珊瑚池者底琥珀沙。琥珀池者底珊瑚沙。車&T027012;池者底瑪瑙沙。瑪瑙池者底車&T027012;沙。白玉池者底紫金沙。紫金池者底白玉沙。或二宝三宝。乃至七宝転共合成。
仏告阿難。彼極楽界其地無海而有諸河。河之狭者満十由旬。水之浅者十二由旬。如是諸河深広之量。或二十三十乃至百数。或有極深広者至千由旬。
彼仏国土雖無大海。而有泉河処処交流。其水或闊十由旬。二十由旬。三十由旬。乃至百千由旬。深十二由旬。