無量寿経 Larger Sukhāvatīvyūha
支婁迦讖訳(T 362) 基準 昇順
絞込検索
現在表示している章あるいは全体について、絞込検索を実施します。 ここでの「絞込検索(フィルター検索)」とは、検索語を含む節を抽出するための機能です。
- 漢訳諸本は、新字体での検索のみに対応しています。
- 空白を挟むことで、AND 検索にも対応しています。
- 「全本対象」検索では、同一節のいずれかの資料に検索語が確認できる場合に抽出します。
- 検索語の強調表示には対応していません。(ブラウザの「ページ内検索」、あるいは、別ページの Full-text Search(試行版)をご活用ください。)
amitā cāsya prabhā yasyā na sukaraṃ pramāṇaṃ paryanto vādhigantum / iyanti buddhakṣetrāṇi iyanti buddhakṣetraśatāni / iyanti buddhakṣetrasahasrāṇi / iyanti buddhakṣetraśatasahasrāṇi / iyanti buddhakṣetrakoṭī / iyanti buddhakṣetrakoṭīśatāni / iyanti buddhakṣetrakoṭīsahasrāṇi / iyanti buddhakṣetrakoṭīśatasahasrāṇi / iyanti buddhakṣetrakoṭīnayutaśatasahasrāṇi sphuritvā tiṣṭhatīti / api tu khalv ānanda saṃkṣiptena pūrvasyāṃ diśi gaṅgānadīvālikāsamāni buddhakṣetrakoṭīnayutaśatasahasrāṇi tayā tasya bhagavato 'mitābhasya tathāgatasya prabhayā sadā sphuṭāni / evaṃ dakṣiṇapaścimottarāsu dikṣv adha ūrdhvam anuvidikṣv ekaikasyāṃ diśi samantād gaṅgānadīvālikāsamāni buddhakṣetrakoṭīnayutaśatasahasrāṇi tasya bhagavato 'mitābhasya tathāgatasya tayā prabhayā sadā sphuṭāni sthāpayitvā buddhān bhagavataḥ pūrvapraṇidhanādhiṣṭhānena ye vyāmaprabhayaikadvitricatuḥpañcadaśaviṃśatitriṃśaccatvāriṃśadyojanaprabhayā yojanaśataprabhayā yojanasahasraprabhayā yojanaśatasahasraprabhayā yāvad anekayojanakoṭīnayutaśatasahasraprabhayā yāval lokaṃ spharitvā tiṣṭhanti / nāsty ānandopamopanyāso yena śakyaṃ tasyāmitābhasya tathāgatasya prabhāyāḥ pramāṇam udgṛhītum //
仏言。阿弥陀仏。光明最尊第一無比。諸仏光明。皆所不及也。八方上下。無央数諸仏中。有仏頂中光明照七丈。有仏頂中光明照一里。有仏頂中光明照二里。有仏頂中光明照五里。有仏頂中光明照十里。有仏頂中光明照二十里。有仏頂中光明照四十里。有仏頂中光明照八十里。有仏頂中光明照百六十里。有仏頂中光明照三百二十里。有仏頂中光明照六百四十里。有仏頂中光明照千三百里。有仏頂中光明照二千六百里。有仏頂中光明照五千二百里。有仏頂中光明照万四百里。有仏頂中光明照二万一千里。有仏頂中光明照四万二千里。有仏頂中光明照八万四千里。有仏頂中光明照十七万里。有仏頂中光明照三十五万里。有仏頂中光明照七十万里。有仏頂中光明照百五十万里。有仏頂中光明照三百万里。有仏頂中光明照六百万里。有仏頂中光明照一仏国。有仏頂中光明照両仏国。有仏頂中光明照四仏国。有仏頂中光明照八仏国。有仏頂中光明照十五仏国。有仏頂中光明照三十仏国。有仏頂中光明照六十仏国。有仏頂中光明照百二十仏国。有仏頂中光明照二百四十仏国。有仏頂中光明照五百仏国。有仏頂中光明照千仏国。有仏頂中光明照二千仏国。有仏頂中光明照四千仏国。有仏頂中光明照八千仏国。有仏頂中光明照万六千仏国。有仏頂中光明照三万二千仏国。有仏頂中光明照六万四千仏国。有仏頂中光明照十三万仏国。有仏頂中光明照二十六万仏国。有仏頂中光明照五十万仏国。有仏頂中光明照百万仏国。有仏頂中光明照二百万仏国。仏言。諸八方上下。無央数仏頂中光明所焔照皆如是也。阿弥陀仏頂中光明所焔照。千万仏国。所以諸仏光明所照有近遠者何。本其前世宿命求道。為菩薩時。所願功徳。各自有大小。至其然後作仏時。各自得之。是故。令光明転不同等。諸仏威神同等爾。自在意所欲作為不予計。阿弥陀仏光明。所照最大。諸仏光明。皆所不能及也
「阿弥陀仏の光明は最もすぐれ、第一で、比肩するものがなく、(他の)仏たちの光明はみな及ばない。八方上下の無数の仏たちのなかには、その頭頂(から発する)光が七丈を照らす仏もおられるし、その頭頂の光が一里を照らす仏もおられるし、その頭頂の光が二里を照らす仏もおられるし、その頭頂の光が一里を照らす仏もおられるし、その頭頂の光が一里を照らす仏もおられるし、(以下、同様に、五里、十里、二十里、四十里、八十里、百六十里、三百二十里、六百四十里、千三百里、二千六百里、五千二百里、一万四百里、二万一千里、四万二千里、八万四千里、十七万里、三十五万里、七十万里、百五十万里、三百万里、)六百万里を照らす仏もおられるし、その頭頂の光が一仏国を照らす仏もおられるし、(以下、同様に、四仏国、八仏国、十五仏国、三十仏国、六十仏国、百二十仏国、二百四十仏国、五百仏国、千仏国、二千仏国、四千仏国、八千仏国、一万六千仏国、三万二千仏国、六万四千仏国、十三万仏国、二十六万仏国、五十万仏国、百万仏国、)その頭頂の光が二百万仏国を照らすも仏もおられる。」
仏はおっしゃった。
「八方上下の無数の仏の頭頂の光明が照らすのはこの程度である。阿弥陀仏の頭頂の光明は千万仏国を照らす。
仏たちの光明が照らす距離に違いがあるのはなぜかというと、彼らが前世、過去世に菩薩として道を求めていたときに願った(仏になってからの)功徳に本来それぞれ大小の区別があり、彼らが後に仏になったときに、それぞれ(願った功徳を)実現する。だから、(仏たちの)光明は少しずつ異なるのである。仏たちの超人的な力は等しいのである。(彼らは)自由自在思い通りに行動し、(衆生が)前もって予測することができない。阿弥陀仏の光明は最も遠くまで照らすことができ、(他の)仏たちの光明はいずれもかなわない。」
仏言。無量清浄仏光明最尊第一無比。諸仏光明皆所不及也。八方上下無央数諸仏中。有仏項中光明照七丈。中有仏項中光照一里。中有仏項中光明照五里。中有仏項中光明照二十里。中有仏項中光明照四十里。中有仏項中光明照八十里。中有仏項中光明照百六十里。中有仏項中光明照三百二十里。中有仏項中光明照六百四十里。中有仏項中光明照千三百里。中有仏項中光明照二千六百里。中有仏項中光明照五千二百里。中有仏項中光明照万四百里。中有仏項中光明照二万一千里。中有仏項中光明照四万二千里。中有仏項中光明照八万四千里。中有仏項中光明照十七万里。中有仏項中光明照三十五万里。中有仏項中光明照七十万里。中有仏項中光明照百五十万里。中有仏項中光明照三百万里。中有仏項中光明照六百万里。中有仏項中光明照千二百万里。中有仏項中光明照一仏国。中有仏項中光明照両仏国。中有仏項中光明照四仏国。中有仏項中光明照八仏国。中有仏項中光明照十五仏国。中有仏項中光明照三十仏国。中有仏項中光明照六十仏国。中有仏項中光明照百二十仏国。中有仏項中光明照五百仏国。中有仏項中光明照千仏国。中有仏項中光明照二千仏国。中有仏項中光明照四千仏国。中有仏項中光明照八千仏国。中有仏項中光明照万六千仏国。中有仏項中光明照三万二千仏国。中有仏項中光明照六万四千仏国。中有仏項中光明照十三万仏国。中有仏項中光明照二十六万仏国。中有仏項中光明照五十万仏国。中有仏項中光明照百万仏国。中有仏項中光明照二百万仏国。仏言。八方上下無央数諸仏。其項中光明所照。皆如是也。無量清浄仏項中光明。焔照千万仏国。所以諸仏光明所照有遠近者何。本前世宿命。求道為菩薩時。所願功徳。各自有大小。至其然後作仏時。悉各自得之。是故令光明転不同等。諸仏威神同等耳。自在意所欲作為不予計。無量清浄仏光明。所照最大。諸仏光明。皆所不能及也
仏告阿難。無量寿仏威神光明最尊第一。諸仏光明所不能及。或有仏光照百仏世界。或千仏世界。取要言之。乃照東方恒沙仏刹。南西北方四維上下亦復如是。或有仏光照于七尺。或照一由旬二三四五由旬。如是転倍乃至照一仏刹。
阿難。彼仏光明普照仏刹。無量無数不可思議。我今略説。光照東方如恒河沙等国土。南西北方四維上下亦復如是。唯除諸仏本願威神所加。悉皆照燭。是諸仏光。或有加一尋者。或有加一由旬乃至億那由他百千由旬光者。或普照仏刹者。
彼仏光明。照於東方恒河沙数百千倶胝那由他不可称量仏刹。如是南西北方四維上下。亦復如是。復次阿難彼仏無量寿。若化円光。或一由旬二由旬三由旬。或百由旬千由旬百千由旬。或倶胝那由他百千由旬。乃至遍満無量無辺無数仏刹。
tad anenānanda paryāyeṇa sa tathāgato 'mitābha ity ucyate amitaprabho 'mitaprabhāso 'samāptaprabho 'saṅgaprabho 'pratihataprabho nityotsṛṣṭaprabho divyamaṇiprabho 'pratihataraśmirājaprabho rañjanīyaprabhaḥ premaṇīyaprabhaḥ pramodanīyaprabhaḥ prahlādanīyaprabha ullokanīyaprabho nibandhanīyaprabho 'cintyaprabho 'tulyaprabho 'bhibhūyanarendrāsurendraprabho 'bhibhūyacandrasūryajihmīkaraṇaprabho 'bhibhūyalokapālaśakrabrahmaśuddhāvāsamaheśvarasarvadevajihmīkaraṇaprabhaḥ sarvaprabhāpāragata ity ucyate //
仏称誉阿弥陀仏光明極善。阿弥陀仏光明極善。善中明好。甚快無比。絶殊無極也。阿弥陀仏光明。清潔無瑕穢。無欠減也。阿弥陀仏光明姝好。勝於日月之明。百千億万倍。諸仏光明中之極明也。光明中之極好也。光明中之極雄傑也。光明中之快善也。諸仏中之王也。光明中之極尊也。光明中之最明無極也。
仏称誉無量清浄仏光明。無量清浄仏光明極善。善中明好甚快無比。絶殊無極也。無量清浄仏光明殊好。勝於日月之明。百億万倍也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之極明也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之極好也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之極雄傑也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之快善也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之王也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之最極尊也。無量清浄仏光明。諸仏光明中之寿明無極。
是故無量寿仏。号無量光仏。無辺光仏。無礙光仏。無対光仏。炎王光仏。清浄光仏。歓喜光仏。智慧光仏。不断光仏。難思光仏。無称光仏。超日月光仏。
阿難。以是義故。無量寿仏復有異名。謂無量光。無辺光。無著光。無礙光。光照王端厳光。愛光。喜光。可観光。不思議光。無等光。不可称量光。映蔽日光。映蔽月光。掩奪日月光。
復次阿難。今此光明名無量光。無礙光。常照光。不空光。利益光。愛楽光。安隠光。解脱光。無等光。不思議光。過日月光。奪一切世間光。無垢清浄光。
sā cāsya prabhā vimalā vipulā kāyasukhasaṃjananī cittaudbilyakaraṇī devāsuranāgayakṣagandharvagaruḍamahoragakinnaramanuṣyāmanuṣyāṇāṃ prītiprāmodyasukhakaraṇī kuśalāśayānāṃ kalyalaghugativicakṣaṇabuddhiprāmodyakaraṇy anyeṣv api anantāparyanteṣu buddhakṣetreṣu / anena cānanda paryāyeṇa tathāgataḥ paripūrṇaṃ kalpaṃ bhāṣeta tasyāmitābhasya tathāgatasya nāmakarmopādāya prabhām ārabhya na ca śakyo guṇaparyanto 'dhigantuṃ tasyāḥ prabhāyāḥ / na ca tathāgatasya vaiśāradyopacchedo bhavet / tat kasya hetoḥ / ubhayam apy etad ānandāprameyam asaṃkhyeyam acintyāparyantaṃ yad idaṃ tasya bhagavato prabhāguṇavibhūtis tathāgatasya cānuttaraṃ prajñāpratibhānam //
また、アーナンダよ、こういうわけで、如来(釈尊)が、かのアミターバ如来の光明について名をあげることによって、満〔一〕劫の間語ろうとしても、その光明の功徳の際限を知ることはできない。しかも、如来(釈尊)の自信(無所畏)は断絶することがないであろう。それはなぜであるか。アーナンダよ、これは、かの世尊〔アミターバ如来〕の光明の功徳のすばらしさと、如来(釈尊)の無上なる智慧の弁才とが、両方ともに無量・無数・不可思議・無際限だからである。
'And in this manner, O Ānanda, the Tathāgata might speak for a whole kalpa on the work of the Tathāgata Amitābha, beginning with his light, and yet he would not be able to reach the end of the virtues of that light of that Tathāgata, neither would there be any failure of the self-confidence in the Tathāgata himself. And why? Because, O Ānanda, both these things are immeasurable, innumerable, inconceivable, and endless, viz. first, the greatness of the excellence of the light of that Tathāgata Amitābha, the Bhagavat, and secondly, the unsurpassed light of the knowledge possessed by the Tathāgata (by myself).
焔照諸無数天下。幽冥之処。皆常大明。諸有人民。蜎飛蠕動之類。莫不見阿弥陀仏光明也。見者莫不慈心歓喜者。世間諸有婬泆瞋怒愚痴者。見阿弥陀仏光明。莫不作善也。諸在泥犁禽獣薜荔。考掠勤苦之処。見阿弥陀仏光明至。皆休止不復治。死後莫不得解脱憂苦者也阿弥陀仏光明。名聞八方上下。無窮無極。無央数諸仏国。諸天人民。莫不聞知。聞知者莫不度脱也。仏言。不独我称誉阿弥陀仏光明也。八方上下。無央数仏。辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉皆如是。仏言。其有人民。善男子善女人。聞阿弥陀仏声。称誉光明。朝暮常称誉其光明好。至心不断絶。在心所願。往生阿弥陀仏国。可得為衆菩薩阿羅漢所尊敬。若其然後作仏者。亦当復為八方上下諸無央数仏。辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉光明如是也。即衆比丘僧。諸菩薩阿羅漢。諸天帝王人民。聞之皆歓喜踊躍。莫不讃歎者。仏言。我道阿弥陀仏光明。姝好巍巍。称誉快善。昼夜一劫。尚未竟也。我但為若曹小説之耳
阿弥陀仏の光明の名声は八方上下にはてしなくひろく広く知れわたっていて、無数の仏国の神々や人々で聞いたことのないものはいないし、聞いて(輪廻から)度脱しないものはいない。」
仏はおっしゃった。
「私一人が阿弥陀仏の光明を称えるのではない。八方上下の無数の仏たち、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちもみな同じように称えているのだ。」
仏はおっしゃった。
「もし人々、善男子、善女人が『阿弥陀仏』という名前を聞き、(その)光明を誉め称え、一日中絶えまなくひたすらその光明のすばらしさを誉め称えれば、(彼らの)願い通りに阿弥陀仏の国に生まれ行き、多くの菩薩、阿羅漢に尊敬されるであろう。もし、そののち仏になれば、(その仏の)光明も八方上下の無数の仏たち、辟支仏、菩薩、阿羅漢たちに、(阿弥陀仏の光明と)同じように称えられるであろう。」
すると、比丘たち、菩薩、阿羅漢たち、神々、帝王、人々はこれを聞いて、みな飛び上がるほど喜び、讃歎しないものはいなかった。
仏はおっしゃった。
「私が昼夜を問わずまる一劫かけて、阿弥陀仏の光明がすばらしく、すぐれていることを語り、(その)すばらしさを誉め称えつづけたとしても、言い尽くせるものではない。私は君たちにさわりだけ話したにすぎない。」
無量清浄仏光明。焔照諸無央数天下幽冥之処皆常明。諸有人民蜎飛蠕動之類。莫不見無量清浄仏光明。見無量清浄仏光明。莫不慈心歓喜者。世間諸有婬姪瞋怒愚痴。見無量清浄仏光明。莫不作善者。諸泥犁禽獣薛茘。考掠勤苦之処。見無量清浄仏光明至。皆休止不得復治。死後莫不得解脱憂苦者也。無量清浄仏光明名聞八方上下無窮無極無央数仏国。諸天人民莫不聞知。聞知者莫不得過度者。仏言。我不独称誉無量清浄仏光明也。八方上下無央数諸仏。辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉皆如是仏言。其有人民善男子善女人。聞無量清浄仏声。称誉光明。如是朝暮。常称誉其光明明好。至心不断絶。在心所欲願往生無量清浄仏国。可得為諸菩薩阿羅漢所尊敬。智慧勇猛。若其然後作仏者。亦当復為八方上下無央数辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉光明。亦当復如是。則衆比丘僧諸菩薩阿羅漢。諸天帝王人民。聞之皆歓喜踊躍。莫不讃歎者。仏言。我道無量清浄仏光明姝好巍巍称誉快善。昼夜一劫尚未竟也。我但為若曹小説之耳。
其有衆生遇斯光者。三垢消滅身意柔軟。歓喜踊躍善心生焉。若在三塗勤苦之処。見此光明皆得休息無復苦悩。寿終之後皆蒙解脱。無量寿仏光明顕赫照曜十方諸仏国土。莫不聞知。不但我今称其光明。一切諸仏声聞縁覚諸菩薩衆。咸共歎誉亦復如是。若有衆生。聞其光明威神功徳。日夜称説至心不断。随意所願得生其国。為諸菩薩声聞大衆。所共歎誉称其功徳。至其然後得仏道時。普為十方諸仏菩薩。歎其光明亦如今也。仏言。我説無量寿仏光明威神巍巍殊妙。昼夜一劫尚不能尽
彼之光明清浄広大。普令衆生身心悦楽。復令一切余仏刹中。天竜夜叉阿修羅等皆得歓悦。阿難。我今開示彼仏光明。満足一劫説不能尽。
如是光明。普照十方一切世界。天竜薬叉乾闥婆阿修羅迦楼羅緊那羅摩睺羅伽人非人等。見此光明発菩提心獲利楽故。仏告阿難。我住一劫。説此光明功徳利益。亦不能尽。
仏説阿弥陀仏為菩薩。求索得是二十四願。時阿闇世王太子。与五百長者迦羅越子。各持一金華蓋。倶到仏所。前為作礼仏。以頭面著仏足。皆持金華蓋。前上仏已。悉却坐一面聴経。阿闇世王太子。及五百長者子。聞阿弥陀仏二十四願。皆大歓喜踊躍。心中倶願言。令我等後作仏時。皆如阿弥陀仏。仏即知之。告諸比丘僧。是阿闍世王太子。及五百長者子。却後無数劫。皆当作仏如阿弥陀仏。仏言。是阿闍世王太子。及五百長者子。住菩薩道已来。無央数劫。皆各供養四百億仏已。今復来供養我。阿闍世王太子。及五百長者子。皆前世迦葉仏時。為我作弟子。今皆復会是共相値也。則諸比丘僧。聞仏言皆踊躍。莫不代之歓喜者
阿闍世王の太子と長者の息子たち五百人とは、阿弥陀仏の二十四願を聞いて、みな飛び上がるほど喜び、心の中で同時に願った。「私たちが将来、仏になるときは、みな阿弥陀仏のようになりますように」
仏(釈尊)はすぐに知って、比丘たちにおっしゃった。「これら阿闍世王の太子と長者の息子たち五百人とは、無数劫後にみな阿弥陀仏のような仏になるであろう 」
仏はおっしゃった。
「これら阿闍世王の太子と五百人の長者の息子たちは、菩薩道に身をおいて以来無数劫のあいだ、すでにそれぞれ四百億の仏たちを供養し、いま、さらに私を供養しに来た。阿闍世王の太子と長者の息子たち五百人は、みな過去世で、迦葉仏の時代に、私の弟子であったが、いま皆再会した。たがいにめぐりあったのだ。」
すると比丘たちは仏の話を聞いて、みな飛び上がるほど喜び、だれもが自分のことのように喜んだ。
仏説無量清浄。為菩薩求索。得是二十四願。時阿闍世王太子。与五百大長者迦羅越子。各持一金華蓋。前上仏已。悉却坐一面聴経阿闍世王太子。及五百長者子。聞無量清浄仏二十四願。皆大歓喜踊躍。心中倶願言。令我等後作仏時。皆如無量清浄仏。仏則知之。告諸比丘僧。是阿闍世王太子。及五百長者子。却後無央数劫。皆当作仏如無量清浄仏。仏言。是阿闍世王太子。五百長者子。作菩薩道已来。無央数劫。皆各供養四百億仏已。今復来供養我。是阿闍世王太子。及五百人等。皆前世迦葉仏時。為我作弟子。今皆復会是共相値也。則諸比丘僧。聞仏言皆心踊躍。莫不歓喜者。
yathā cānandeha lokadhātau kalpasaṃkhyā kalpagaṇanā prajñaptikasaṃketas tathā sāṃprataṃ daśa kalpās tasya bhagavato 'mitāyuṣas tathāgatasyotpannasyānuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbuddhasya //
仏告阿難。阿弥陀作仏已来。凡十小劫。
「阿弥陀仏が仏になられてから全部で十小劫になる。
仏告阿難。無量清浄仏作仏已来。凡十八劫。
阿難又問。其仏成道已来為経幾時。仏言。成仏已来凡歴十劫。
阿難白仏言。世尊。彼仏出世于今幾時。能得如是無量寿命。仏告阿難。彼仏受生経今十劫。
成仏已来於今十劫。
evam ukta āyuṣmān ānando bhagavantam etad avocat / kiṃ punar bhagavan sa dharmākaro bodhisattvo mahāsattvo 'nuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbudhyātītaḥ parinirvṛta utāho 'nabhisaṃbuddho 'tha pratyutpanno 'bhisaṃbuddha etarhi tiṣṭhati dhriyate yāpayati dharmaṃ ca deśayati / bhagavān āha / na khalu punar ānanda sa tathāgato 'tīto nānāgataḥ / api tv eva sa tathāgato 'nuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbuddha etarhi tiṣṭhati dhriyate yāpayati dharmaṃ ca deśayati / paścimāyāṃ diśītaḥ koṭīnayutaśatasahasratame buddhakṣetre sukhāvatyāṃ lokadhatāv amitābho nāma tathāgato 'rhan samyaksaṃbuddho 'parimāṇair bodhisattvaiḥ parivṛtaḥ puraskṛto 'nantaiḥ śrāvakair anantayā buddhakṣetrasaṃpadā samanvāgataḥ //
「世尊よ、かのダルマーカラ菩薩・大士は、無上なる正等覚をさとって、過ぎ去り、般涅槃されたのでしょうか。それとも、未ださとってはおられないのでしょうか。もしくは、現にさとって、今、住し、とどまり、時を過ごし、そして法を説いておられるのでしょうか。」
世尊は言われた。
「まことにアーナンダよ、かの如来は、過ぎ去ったのでもなく、未だ来られないのでもない。そうではなくて、かの如来は、無上なる正等覚をさとって、今、住し、とどまり、時を過ごし、そして法を説いておられる。〔かの如来は〕ここより西方に、十万・百万・千万番目の仏国土である極楽世界において、アミターバと名づけられる如来・応供・正等覚者であり、無量の菩薩たちや無限の声聞たちによってとりまかれ、恭敬され、無限の、仏国土の成就をそなえておられる。
The Bhagavat said: 'Not indeed, O Ānanda, has that Tathāgata passed away, nor has he not yet come, but the Tathāgata, the holy, after having obtained the highest perfect knowledge, dwells now, remains, supports himself, and teaches the Law, in the western quarter, in the Buddha country, distant from this world by a hundred thousand niyutas of koṭīs of Buddha countries, in the world which is called Sukhāvatī, being called Amitābha, the Tathāgata, holy and fully enlightened. He is surrounded by innumerable Bodhisattvas, and worshipped by endless Śrāvakas, and in possession of the endless perfection of his Buddha country.
所居国土。名須摩題。正在西方。去是閻浮提地界。千億万須弥山仏国。
所居国名須摩提。正在西方。去是閻浮利地界。千億万須弥山仏国。
阿難白仏。法蔵菩薩。為已成仏而取滅度。為未成仏。為今現在。仏告阿難。法蔵菩薩。今已成仏現在西方。去此十万億刹。其仏世界名曰安楽。
爾時阿難白仏言。世尊。彼法処菩薩成菩提者。為過去耶為未来耶。為今現在他方世界耶
仏告阿難。西方去此十万億仏刹。彼有世界名曰極楽。法処比丘在彼成仏。号無量寿。今現在説法。無量菩薩及声聞衆恭敬囲繞。
爾時阿難。聞仏説彼作法苾芻菩薩之行。白世尊言。作法苾芻。為是過去仏耶。未来仏耶。現在仏耶。世尊告言。彼仏如来。来無所来。去無所去。無生無滅。非過現未来。但以酬願度生。現在西方。去閻浮提百千倶胝那由他仏刹。有世界名曰極楽。仏名無量寿。××××××××。有無量無数菩薩摩訶薩。及無量無数声聞之衆。恭敬囲繞而為説法。
※「×」→§66の「成仏已来於今十劫」
tasya khalu punar ānanda bhagavato 'mitābhasya sukhāvatī nāma lokadhātur ṛddhā ca sphītā ca kṣemā ca subhikṣā ca ramaṇīyā ca bahudevamanuṣyākīrṇā ca / tatra khalv apy ānanda lokadhātau na nirayāḥ santi na tiryagyonir na pretaviṣayo nāsurāḥ kāyā nākṣaṇopapattayaḥ / na ca tāni ratnāni loke pracaranti yāni sukhāvatyāṃ lokadhātau saṃvidyante /
また、アーナンダよ、かしこの世界には、もろもろの地獄もなく、畜生もなく、餓鬼の境遇もなく、もろもろの阿修羅の群れもなく、もろもろの不運な生まれもない。
また、極楽世界に存在するもろもろの宝石は、〔この〕世間において現出することがない。
T0362_.12.0303c01-03
其国地皆自然七宝。其一宝者白銀。二宝者黄金。三宝者水精。四宝者琉璃。五宝者珊瑚。六宝者琥珀。七宝者車渠。是為七宝。皆以自共為地。曠蕩甚大無極。皆自相参。転相入中。各自焜煌参明。極自軟好。甚姝無比。其七宝地。諸八方上下。衆宝中精味。自然合会。其化生耳。其宝皆比第六天上之七宝也。
無有泥犁禽獣薜茘。蜎飛蠕動之類。無有阿須倫諸竜鬼神。
地獄・鳥獣・餓鬼や飛ぶ虫・這う虫などはいない。阿修羅や竜たち、鬼神はいない。
T0361_.12.0283a13-14
其国地皆自然七宝。其一宝者名白銀。二宝者名黄金。三宝者水精。四宝者琉璃。五宝者珊瑚。六宝者虎珀。七宝者車&T027012;。是七宝皆以自共為地曠蕩甚大無極。皆自相参転相入中。各自焜煌参光極明。自然軟甚姝好無比。如其七宝地。諸八方上下衆宝中精。都自然之合会共化生耳。其宝比如第六天上之七宝也。
無有泥犁禽獣餓鬼。蜎飛蠕動之類也。無阿須倫諸竜鬼神也。
T0360_.12.0270a14
其仏国土自然七宝。金銀琉璃珊瑚琥珀車&T027012;瑪瑙合成為地。恢廓曠蕩不可限極。悉相雑厠転相入間。光赫焜耀微妙奇麗。清浄荘厳超踰十方一切世界。衆宝中精。其宝猶如第六天宝。
亦無地獄餓鬼畜生諸難之趣。
復次阿難。彼極楽界無量功徳具足荘厳。国土豊稔天人熾盛。志意和適常得安隠。無有地獄畜生及琰魔王界。
又彼仏国土大富無量。唯受快楽無有衆苦。無地獄餓鬼畜生焔魔羅界及八難之報。唯有清浄菩薩摩訶薩及声聞之衆
tasmin khalu punar ānanda buddhakṣetre sarvaśaḥ kālaparvatā na santi sarvato ratnaparvatāḥ sarvaśaḥ sumeravaḥ parvatarājānaḥ sarvaśaś cakravāḍamahācakravāḍāḥ parvatarājānaḥ / mahāsamudrāś ca na santi / samantāc ca tad buddhakṣetraṃ samaṃ ramaṇīyaṃ pāṇitalajātaṃ nānāvidharatnasaṃnicitabhūmibhāgam //
T0362_.12.0303c03-05
其国中無有須弥山。其日月星辰。第一四天王。第二忉利天。皆在虚空中。其国土無有大海。亦無有小海水。亦無江河恒水也。亦無有山林渓谷。無有幽冥之処。其国七宝地皆平正。
終無天雨時。亦無有春夏秋冬。亦無大寒。亦無大熱。常和調中適。甚快善無比。
雨期はなく、春夏秋冬もなく、厳しい寒さ、厳しい暑さもない。つねに温和でほどよく、たとえようのないほど心地よい。
T0361_.12.0283a14-16
其国中無有須弥山。其日月星辰。第一四天王。第二忉利天。皆在虚空中。其国土無有大海水。亦無小海水。無江河洹水也。亦無山林渓谷。無有幽冥之処。其国七宝地皆平正。
終無有大雨時。亦無春夏秋冬也。亦無有大寒。亦不大熱。常和調中適甚快善無比。
T0360_.12.0270a14-15
又其国土無須弥山及金剛囲一切諸山。亦無大海小海渓渠井谷。仏神力故欲見則見。
亦無四時春秋冬夏。不寒不熱常和調適。
大宝積経巻第十八
大唐三蔵菩提流志奉 詔訳
無量寿会第五之二
復次阿難。彼極楽界。無諸黒山。鉄囲山。大鉄囲山。妙高山等。
復次阿難。彼仏国土清浄厳飾寛広平正。無有丘陵坑坎荊棘沙礫土石等山。黒山雪山宝山金山須弥山鉄囲山大鉄囲山。唯以黄金為地
tasyāṃ khalu punar ānanda sukhāvatyāṃ lokadhātau ye sattvāḥ pratyājātāḥ pratyājaniṣyante vā sarve ta evaṃrūpeṇa varṇena balena sthāmnārohapariṇāhenādhipatyena puṇyasaṃcayenābhijñābhir vastrābharaṇodyānavimānakūṭāgāraparibhogair evaṃrūpaśabdagandharasasparśaparibhogair evaṃrūpaiś ca sarvopabhogaparibhogaiḥ samanvāgatāḥ / tad yathāpi nāma devāḥ paranirmitavaśavartinaḥ //
皆有自然万種之物。百味飯食。意欲有所得。即自然在前。所不用者。即自然去。比如第六天上自然之物。恣若自然即皆随意。
皆有万種自然之物。百味飲食。意欲有所得。則自然在前。意不用者。則自然化去。比如第六天上自然之物。恣若自然則皆随意。
阿難。彼仏国土諸往生者。具足如是清浄色身。諸妙音声神通功徳。所処宮殿衣服飲食。衆妙華香荘厳之具。猶第六天自然之物。
復次阿難。彼極楽世界所有衆生。或已生。或現生。或当生。皆得如是諸妙色身。形貌端正神通自在。福力具足受用種種宮殿園林。衣服飲食香華瓔珞。随意所須悉皆如念。譬如他化自在諸天
而彼衆生。色相端厳福徳無量。智慧明了神通自在。宮殿楼閣。園林池沼。衣服臥具。如他化自在天。最上快楽之具。一切豊足。
其国中悉諸菩薩阿羅漢。無有婦女。寿命無央数劫。女人往生。即化作男子。但有諸菩薩阿羅漢無央数。悉皆洞視徹聴。悉遥相見。遥相瞻望。遥相聞語声。悉皆求道善者。同一種類。無有異人。其諸菩薩阿羅漢。面目皆端正。浄潔絶好。悉同一色。無有偏醜悪者也。諸菩薩阿羅漢。皆才猛黠慧。皆衣自然之衣。心中所念道徳。其欲語言。皆予相知意所念。言常説正事。所語輒説経道。不説他余之悪。其語言音響。如三百鍾声。皆相敬愛。無相嫉憎者。皆以長幼上下。先後言之。以義如礼。転相敬事如兄如弟。以仁履義。不妄動作言語。如誡転相教。令不相違戻。転相承受。皆心浄潔。無所貪慕。終無瞋怒淫泆之心。愚痴之態。無有邪心念婦女意。悉皆智慧勇猛。和心歓楽好喜経道。自知前世所従来生億万劫時。宿命善悪存亡。現在却知無極。阿弥陀仏所可教授。講堂精舎。皆復自然七宝。金銀水精琉璃白玉虎珀車&T027012;。自共相成甚姝明。好絶無比。亦無作者。不知所従来。亦無持来者。亦無所従去。阿弥陀仏所願徳重。其人作善故。論経語義。説経行道。講会其中。自然化生爾。其講堂精舎。皆復有七宝楼観欄楯。復以金銀水精琉璃白玉虎珀車&T027012;為瓔珞。復以白珠明月珠摩尼珠為交露。覆蓋其上。皆自作五音声。甚好無比。諸菩薩阿羅漢所居舎宅。皆復以七宝金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;碼碯化生。転共相成其舎宅。悉各有七宝楼観欄楯。復以金銀水精琉璃白玉虎珀車&T027012;為瓔珞。復以白珠明月珠摩尼珠為交露。覆蓋其上。皆各復自作五音声。
無数の菩薩と阿羅漢だけがいて、みな(一切を)見通し、(あらゆる音を)はっきり聞き分け、みな互いに遠くから見、互いに遠くからじっと見つめ、互いに遠くから語り声を聞く。
みな道を求める善人で、みな一様で、異なった人はいない。その菩薩と阿羅漢たちは容姿がみな端正で、清らかで、とても麗しく、みな同じ(肌の)色で、歪んでいたり醜いものはいない。
菩薩と阿羅漢たちはみな才能と勇気があって、とても賢い。みな自然に生じた衣を着ている。心の中で念じていることは道の本質である。何かを言おうとすると、お互いあらかじめ言おうとしていることがみな分かる。常に正しい事柄を話し、話す内容はいつでも(仏の)教えで、それから外れた悪いことは話さない。彼らの語る声は三百の鐘の音のようである。
みな敬愛しあい、決して憎しみあわない。みな長劫、上下、(往生の)先後を考慮して話し、正しい軌範と礼法にかなっている。互いに兄弟のように敬い仕え、思いやりと正しい行いを実践している。でたらめに行動せず、言葉は戒律に従う。互いに教えあい、互いに反発せずに、相手の意見を受け入れる。
みな心がきよらかで、欲望がなく、怒り、淫らな心、愚かな姿態はまったくない。邪な気持ちで女性に思いをかけることがない。
みな智慧あり、勇敢で、和やかな心をもって楽しみ、(仏の)教えを好む。生存をくり返してきた億万劫の過去世以来の過去の生存において(なしてきた)善悪と生存を自分で知っており、現在と将来のことも果てしなく知っている。」
「阿弥陀仏が教授しておられる講堂・精舎はみな自然の七宝――金・銀・水晶・琉璃・白玉・琥珀・車溂――すべてがそろってできており、とてもすばらしく、明るく美しく、全く比べるものとてない。(それを)造ったものとてなく、どこから生じたものかわからない。(それを)持って来た者がいるわけでもなく、またどこかへ去っていくわけでもない。
阿弥陀仏の願の徳は大きく、その人は善をなしたから、(阿弥陀仏が)経を論じ、(法の)意味を語り、教えを聞き、仏道を行ずるときは、講義の聴衆が、自然に現れる。
それら講堂・精舎にはそれぞれ七宝でできた高い楼と欄干がある。さらに金・銀・水晶・琉璃・白玉・琥珀・車溂でできた編み飾りが垂れ、さらに白珠・明月珠・摩尼珠を(つらねた)レースがその(高い楼と欄干)を覆っていて、(それらは)みな自ずと様々な音色を発していて、たとえようもなくすばらしい。
菩薩や阿羅漢たちの住まいもみな、七宝――金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・琥珀・車渠・瑪瑙――がすっとあらわれ、(それらが)組み合わさって出来るのだ。それら住まいにはそれぞれ七宝でできた高い楼と欄干がある。さらに金・銀・水晶・琉璃・白玉・琥珀・車渠でできた編み飾りが垂れ、さらに白珠・明月珠・摩尼珠を(つらねた)レースがその(高い楼と欄干)を覆っていて、(それらは)またみな自ずと様々な音色を発している。
其国中悉諸菩薩阿羅漢。無有婦女。寿命極寿。寿亦無央数劫。女人往生者。則化生皆作男子。但有菩薩阿羅漢無央数。悉皆洞視徹聴。悉遥相見。遥相瞻望。遥相聞語声。悉皆求道善者同一種類無有異人也。其諸菩薩阿羅漢。面目皆端正。清潔絶好。悉同一色。無有偏醜悪者。諸菩薩阿羅漢。皆才猛黠慧。其所衣服。皆衣自然之衣。都心中所念。常念道徳。其所欲語言。便皆予相知意。其所念言道。常説五事。其国中諸菩薩阿羅漢。自共相与語言。輒説経道。終不説他余之悪。其語言音響。如三百鍾声。皆相敬愛。無有相憎者。皆自以長幼上下。先後言之。都共往会以義而礼。転相敬事如兄如弟。以仁履義。不妄動作。言語而誠。転相教令。不相違戻。転相承受。皆心潔浄無所貪慕。終無有婬妷瞋怒之心愚痴之態也。無有邪心念婦女意也。悉智慧勇猛。和心歓楽。好喜経道皆自知其前世所従来生。億万劫世時宿命善悪存亡。現在却知無極。無量清浄仏所可教授講堂精舎。皆復自然七宝。金銀水精琉璃白玉虎珀車&T027012;。自共転相成也。甚姝明好絶姝無比。亦無有作者。亦不知所従来。亦無有持来者。亦無所従去。無量清浄仏所願徳重。其人作善故。論経語義。説経行道。講会其中。自然化生耳。其講堂精舎。皆復有七宝楼観欄楯。復以金銀水精琉璃白玉虎珀車&T027012;為瓔珞。復以白珠明月珠摩尼珠為交絡。覆蓋其上。皆自作五音声音声甚姝無比。無量清浄仏国。諸菩薩阿羅漢所居舎宅。皆復以七宝金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;馬瑙。化生転共相成也。其舎宅皆悉各有七宝楼観欄楯。復以金銀水精琉璃白玉虎珀車&T027012;為瓔珞。復以白珠明月珠摩尼珠為交絡。覆蓋其上。皆各復自作五音声。
tasyāṃ khalv ānanda sukhāvatyāṃ lokadhātau nānāprakārā nadyaḥ pravahanti / santi tatra mahānadyo yojanavistārāḥ / santi yāvad viṃśatitriṃśaticatvāriṃśatpañcāśad yāvad yojanaśatasahasravistārā dvādaśayojanāvedhāḥ /
阿弥陀仏講堂精舎。及諸菩薩阿羅漢。所居舎宅中。内外処処。皆復有自然流泉浴池。皆与自然七宝倶生。金銀水精琉璃虎珀車渠。転共相成。淳金池者。其水底沙白銀也。淳白銀池者。其水底沙黄金也。淳水精池者。其水底沙琉璃也。淳琉璃池者。其水底沙水精也。淳珊瑚池者。其水底沙虎珀也。淳虎珀池者。其水底沙珊瑚也。淳車渠池者。其水底沙馬瑙也。淳馬瑙池者。其水底沙車渠也。淳白玉池者。其水底沙紫磨金也。淳紫磨金池者。其水底沙白玉也。中復有両宝共作一池者。其水底沙金銀也。中復有三宝共作一池者。其水底沙金銀水精也。中復有四宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃也。中有五宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃珊瑚也。中有六宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃珊瑚虎珀也。中有七宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃珊瑚虎珀車渠也。中有浴池長四十里者。有長八十里者。有長百六十里者。有長三百二十里者。有長六百四十里者。有長千二百八十里者。有長二千五百六十里者。有長五千一百二十里者。有長万二百四十里者。有長二万四百八十里者。其池縦広適等是池者皆諸菩薩阿羅漢。常所可浴池。仏言。弥陀仏浴池長四万八千里。広亦四万八千里。其池皆以七宝転共相成。其水底沙白珠明月珠摩尼珠也。
さらに二つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀である。さらに三つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶である。さらに四つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃である。さらに五つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃・珊瑚である。さらに六つの宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・琥珀である。さらに七宝で出来ている池もあり、その水底の砂は金・銀・水晶・琉璃・珊瑚・琥珀・車渠はである。
長さ四十里の浴池もあり、長さ八十里のもの、長さ百六十里のもの、長さ三百二十里のもの、長さ六百四十里のもの、長さ千二百八十里のもの、長さ二千五百六十里のもの、長さ五千一百二十里のもの、長さ一万二百四十里のもの、長さ二万四百八十里のものもあった。これら池の縦横の長さは等しい。
これらの池はいずれも菩薩や阿羅漢たちがいつも水浴びするところである。」
仏は語られた。
「阿弥陀仏の浴池は長さ四万八千里、幅も四万八千里あり、その池は七宝がすべて組み合わさって出来ている。その水底の砂は白珠・明月珠・摩尼珠である。
無量清浄仏講堂精舎。及諸菩薩阿羅漢所居。七宝舎宅中外内処処。皆復自然流泉水浴池。其浴池者。皆復以自然七宝。七宝倶生金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;。転共相成也。水底沙皆復以七宝金銀水精琉璃珊瑚虎珀事&T027012;也。有純白銀池者。其底沙皆黄金也。中有純黄金池者。其水底沙皆白銀也。中有純水精池者。其水底沙皆琉璃也。中有純琉璃池者。其水底沙皆水精也。中有純珊瑚池者。其水底沙皆虎珀也。中有純虎珀池者。其水底沙皆珊瑚也。中有純車&T027012;池者。其水底沙皆馬瑙也。中有純馬瑙池者。其水底沙者皆車&T027012;也。中有純白玉池者。其水底沙者皆紫磨金也。中有純紫磨金池者。其水底沙者皆白玉也。中復有二宝共作一池者。其水底沙者皆金銀也。中復有三宝共作一池者。其水底沙者皆金銀水精也。中復有四宝共作一池者。其水底沙金銀水精琉璃也。中復有五宝共作一池者。其水底沙皆金銀水精琉璃珊瑚虎珀也。中復有六宝共作一池者。其水底沙皆金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;也。中復有七宝共作一池者。其水底沙皆金銀水精琉璃珊瑚虎珀車&T027012;馬碯也。其浴池中有長四十里者。中有池長八十里者。中有池長百六十里者。中有池長三百二十里者。中有池長六百四十里者。中有池長千二百八十里者。中有浴池長二千五百六十里者。中有浴池長五千一百二十里者。中有浴池長万二百四十里者。中有浴池長二万四百八十里者。其縦広各適等。是浴池者。皆諸菩薩阿羅漢常所可浴池。仏言。無量清浄仏浴池。長四万八千里。広亦四万八千里。其浴池皆七宝転自共相成。其池水底沙。皆復以七宝白珠明月珠摩尼珠也。
又講堂精舎宮殿楼観皆七宝荘厳自然化成。復以真珠明月摩尼衆宝。以為交露覆蓋其上。内外左右有諸浴池。或十由旬。或二十三十。乃至百千由旬。縦広深浅各皆一等。八功徳水湛然盈満。清浄香潔味如甘露。黄金池者底白銀沙。白銀池者底黄金沙。水精池者底琉璃沙。琉璃池者底水精沙。珊瑚池者底琥珀沙。琥珀池者底珊瑚沙。車&T027012;池者底瑪瑙沙。瑪瑙池者底車&T027012;沙。白玉池者底紫金沙。紫金池者底白玉沙。或二宝三宝。乃至七宝転共合成。
仏告阿難。彼極楽界其地無海而有諸河。河之狭者満十由旬。水之浅者十二由旬。如是諸河深広之量。或二十三十乃至百数。或有極深広者至千由旬。
彼仏国土雖無大海。而有泉河処処交流。其水或闊十由旬。二十由旬。三十由旬。乃至百千由旬。深十二由旬。
tāsāṃ khalu punar ānanda mahānadīnām ubhayatas tīrāṇi nānāgandharatnavṛkṣaiḥ saṃtatāni yebhyo nānāśākhāpattrapuṣpamañjaryo 'valambante / tatra ye sattvās teṣu nadītīreṣv ākāṃkṣanti divyāṃ nirāmiṣāṃ ratikrīḍāṃ cānubhavituṃ teṣāṃ tatra nadīṣv avatīrṇānāṃ ākāṃkṣatāṃ gulphamātraṃ vāri saṃtiṣṭhate / ākāṃkṣatāṃ jānumātraṃ kaṭīmātraṃ kakṣamātram ākāṃkṣatāṃ kaṇṭhamātraṃ vāri saṃtiṣṭhate / divyāś ca ratayaḥ prādurbhavanti / tatra ye sattvā ākāṃkṣanti śītaṃ vāri bhavatv iti teṣāṃ śītaṃ bhavati / ya ākāṃkṣanty uṣṇaṃ bhavatv iti teṣām uṣṇaṃ bhavati ya ākāṃkṣanti śītoṣṇaṃ bhavatv iti teṣāṃ śītoṣṇam eva tad vāri bhavaty anusukham tāś ca mahānadyo divyatamālapattrāgarukālānusāritagaroragasāracandanavaragandhavāsitavāriparipūrṇāḥ pravahanti divyotpalapadmakumudapuṇḍarīkasaugandhikādipuṣpasaṃcchannā haṃsasārasacakravākakāraṇḍavaśukasārikākokilakuṇālakalaviṅkamayūrādimanojñasvarās tathāgatābhinirmitapakṣisaṃghaniṣevitapulinā dhārtarāṣṭropaśobhitāḥ sūpatīrthā vikardamāḥ suvarṇavālikāsaṃstīrṇāḥ tatra yadā te sattvā ākāṃkṣanti īdṛśā asmākam abhiprāyāḥ paripūryantām iti tadā teṣāṃ tādṛśā evābhiprāyā dharmyāḥ paripūryante
また、これら諸大河は、天のタマーラ樹葉(多摩羅葉香)・アガル(沈香)・カーラーヌサーリン(黒栴檀香)・タガラ(甘松香)・ウラガサーラ(蛇心檀香)・チャンダナ(栴檀香)という最勝の香りにかおった水を満々とたたえて流れ、天の青蓮華・赤蓮華・黄蓮華・白蓮華・睡蓮などの花に覆われ、白鳥・鶴・鴛鴦・鴨・鸚鵡・鶖鷺・杜鵑・クナーラ(鳩那羅)・カラヴィンカ(迦陵頻伽)・孔雀などの快い鳴き声があり、如来によって化作された鳥の群れの訪れる中州があり、水鳥で美しく飾られ、沐浴に都合のよい階段があり、泥はなく、金の砂が撒布されている。かしこにいる衆生たちが、〈われわれのこのような願望が満たされるように〉と欲すると、そのとき、かれらのまさにそのような願望が正当に満たされるのである。
'And those great rivers flow along, full of water scented with the best perfumes of the Uragasāra sandal-wood, of Tagaras, Kālānusārin (dark, fragrant sandal-wood) trees, Agarus, and heavenly Tamālapattras; covered with flowers of the white waterlilies, and heavenly Utpalas, Padmas, Kumudas, and Puṇḍariīkas; full of delightful sounds of peacocks, sparrows, kuṇālas, cuckoos, śārikas, parrots, ducks, geese, herons, cranes, swans and others; with small islands inhabited by flocks of birds, created by the Tathāgata; adorned with fields, full of metals; with fords on which it is easy to drink, free from mud, and covered with gold dust. And when these beings there desire, thinking what kind of wishes should be fulfilled for them, then exactly such wishes are fulfilled for them according to the Law.
T0362_.12.0305b25-c03
阿弥陀仏及諸菩薩阿羅漢。浴池中水皆清香潔。池中皆有香華。悉自然生百種華。種種異色。色異香華。枝皆千葉甚香無比也。香不可言。其華者亦非世間之華。復非天上之華。此華香都八方上下。衆華香中精也。自然化生耳。其池中水流行。転相灌注。其水流行。亦不遅不駃。皆復作五音声
阿弥陀仏。及諸菩薩阿羅漢欲浴時。便各自可入其七宝池中浴。諸菩薩阿羅漢意欲令水没足。水即没足。意欲令水至膝。水即至膝。意欲令水至腰。水即至腰。意欲令水至腋。水即至腋。意欲令水至頸。水即至頸。意欲令水自灌身上。水即自灌身上。意欲令水還復如故。水即還復如故。恣若随意所欲好喜。
それらの池では水は流れており、互いに注ぎあっている。それらの水は遅くも速くもなく流れ、様々な音色を発している。」
「阿弥陀仏と菩薩や阿羅漢たちは、水浴しようと思えば、それぞれの七宝池に入って水浴することができる。菩薩や阿羅漢たちが、足を水にひたしたいと思えば、水はすぐに足をひたしてくれる。膝まで水がくればいいと思えば、水はすぐに膝までくる。腰まで水がくればいいと思えば、水はすぐに腰までくる。腋まで水がくればいいと思えば、水はすぐに腋までくる。首まで水がくればいいと思えば、水はすぐに首までくる。全身水につかりたいと思えば、すぐさま全身が水につかる。水がもとにもどればいいと思えば、水はすぐさまもとにもどる。すべて思うがまま。」
T0361_.12.0285b09-16
無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢浴池中水。皆清浄香潔。中皆有香華。悉自然生百種華。種種異色異香。華皆千葉。諸華甚香無比。香不可言也。其華香者。亦復非世間之華。復勝天上之華。是華香者。八方上下衆華香中精。自然生耳。池中水流行。転相灌注。池中水流亦不遅亦不駃。皆復自作五音声。
無量清浄仏。及諸菩薩阿羅漢欲浴時。便各自入其七宝池中浴。諸菩薩阿羅漢意欲令水没足。水則没足。意欲令水至膝。水則至膝。意欲令水至腰。水則至腰。意欲令水至腋。水則至腋。意欲令水至頸。水則至頸。意欲令水自灌身上。水則灌身上。意欲令水転復還如故。水則転還復如故。恣若随意所欲好憙。
其池岸上有栴檀樹。華葉垂布香気普熏。天優鉢羅華。鉢曇摩華。拘物頭華。分陀利華。雑色光茂弥覆水上。彼諸菩薩及声聞衆。若入宝池。意欲令水没足。水即没足。欲令至膝。即至于膝。欲令至腰。水即至腰。欲令至頸。水即至頸。欲令灌身。自然灌身。欲令還復。水輒還復。調和冷煖自然随意。開神悦体蕩除心垢。清明澄潔浄若無形。宝沙映徹無深不照。微瀾迴流転相灌注。安詳徐逝不遅不疾。
居両岸辺多栴檀樹。修条密葉交覆於河。結実開花芳輝可玩。群生遊楽随意往来。或有渉河濯流嬉戯。感諸天水善順物宜。深浅寒温曲従人好。阿難。大河之下地布金砂。有諸天香世無能喩随風散馥。雑水流馚天曼陀羅花。優鉢羅花。波頭摩花。拘物頭華。芬陀利花。弥覆其上。
又水両岸。復有無数栴檀香樹。吉祥菓樹。花卉恒芳光明照耀。若彼衆生過此水時。要至足者。要至膝者。乃至要至項者。或要冷者温者。急流者慢流者。其水一一随衆生意令受快楽。
na ca tatra lokadhātau devānāṃ manuṣyāṇāṃ vā nānātvam asty anyatra saṃvṛtivyavahāreṇa devā manuṣyā veti saṃkhyāṃ gacchanti
仏言。八方上下。無央数仏国。諸天人民。及蜎飛蠕動之類。諸生阿弥陀仏国者。皆於七宝水池蓮華中化生。便自然長大。亦無乳養之者。皆食自然之飲食。其身体亦非世間人之身体。亦非天上人之身体。皆積衆善之徳。悉受自然虚無之身。無極之体。甚姝好無比。
「八方上下のそれぞれの(方角の)無数の仏国の神々や人々や飛ぶ虫・這う虫などが、阿弥陀仏の国に生まれる時は、みな、七宝でできた池(に生える)蓮の花のなかにすっと生じる。そのまま自然に成長し、乳を飲ませて育てる者などおらず、みな自然の飲食物を食べる。身体は人間の身体でもなく、神々の身体でもない。みな沢山の善行の徳を積んで、比べるもののないほどとてもすばらしい、自然で虚無なる身・極まりなき体を受けるのだ。」
仏言。八方上下。無央数仏国。諸天人民。及蜎飛蠕動之類。諸生無量清浄仏国者。都皆於是七宝水池蓮華中化生。便則自然長大。亦無乳養之者。皆食自然之飲食。其身体者。亦非世間人之身体也。亦非天上人之身体也。皆積衆善之徳。悉受自然虚無之身体。甚姝好無比。
彼仏国土清浄安隠微妙快楽。次於無為泥洹之道。其諸声聞菩薩人天。智慧高明神通洞達。咸同一類形無異状。但因順余方故有人天之名。顔貌端正超世希有。容色微妙非天非人。皆受自然虚無之身無極之体
復次阿難。極楽国土。所有衆生無差別相。順余方俗有天人名。
tad yathānanda rājñaś cakravartinaḥ purato manuṣyahīno manuṣyapaṇḍako na bhāsate na tapati na virocate na bhavati viśārado na prabhāsvara evam eva devānāṃ paranirmitavaśavartināṃ purataḥ śakro devānām indro na bhāsate na tapati na virocate yad idam udyānavimānavastrābharaṇair ādhipatyena varddhyā vā prātihāryeṇa vaiśvaryeṇa vā / na tu khalu punar dharmābhisamayena dharmaparibhogeṇa vā / tatrānanda yathā devāḥ paranirmitavaśavartina evaṃ sukhāvatyāṃ lokadhātau manuṣyā draṣṭavyāḥ //
仏語阿難。如世間貧窮乞丐人。令在帝王辺住者。其面目形状寧類帝王面目形類顔色不。阿難言。仮使王子在帝王辺住者。其面目形状甚醜悪不好。不如帝王。百千億万倍也。所以者何。乞人貧窮困極。飲食常悪。未常有美食時。既悪食不能得飽食。食纔支命。骨節相&T016114;拄。無以自給。常乏無有儲飢餓寒凍。怔忪愁苦。但坐前世。為人愚痴。無智慳貪。不肯慈哀。為善博愛施与。但欲唐得貪惜飲食独食嗜美。不信施貸後得報償。復不信作善後世当得其福。蒙悾抵佷益作衆悪。如是寿終財物尽索。素無恩徳無所恃怙。入悪道中坐之適苦。然後得出解脱。今生為人。作於下賤。為貧家作子。強像人形状類甚醜。衣被弊壊単空独立。不蔽形体乞丐生耳。飢寒困苦面目羸劣不類人色。坐其前世身之所作。受其殃罰。示衆見之莫誰哀者。棄捐市道曝露痟痩。黒醜悪極不及人耳。所以帝王人中独尊最好者何。皆其前世為人時。作善信受経道。布恩施徳。博愛順義。慈仁憙与。不貪飲食与衆共之。無所匱惜都無違争。得其善福寿終徳随不更悪道。今生為人得生王家。自然尊貴独王典主攬制人民為其雄傑。面目潔白和顔好色。身体端正衆共敬事。美食好衣随心恣意。若楽所欲自然在前都無違争。於人中姝好。無憂快楽面目光沢。故乃爾耳。
「例えば、もし、世間にいる貧しい物乞いが帝王のかたわらに立ったなら、その人の顔や姿は、帝王の顔や姿や顔つきに似ているだろうか?」
阿難は言った。
「たとえ王子でも帝王のかたわらに立ったら、その顔や姿はとても醜く好いものではなく、帝王に百千億万倍もかなわない。なぜかというと。物乞いの者は貧しく、とても疲れていて、食事はいつも悪く、美味しいものを食べたことなどない。粗末な食べ物すら十分には食べられず、食べてもやっと命長らえる程度で、骨と関節が支えあっているという様。自分で生活することができず、常に窮乏していて、蓄えはなく、飢え、こごえ、おびえ、苦悩している。(これは彼が)前世で人であったとき、おろかで、無知で、けちで、慈しみをもって善をなしたり、多くの人々を慈しんで施しをしようとしなかったために他ならない。(彼は)大きな利益ばかり望み、飲食にけちけちし、独りで食べて美味しい味をむさぼり、施したり貸したりすれば後で良い報いがあることを信じず、また善行をなせば来世でその福徳を得るということを信じず、ぼんくらで、人の言うことに耳をかさず、大いに数多くの悪行をなし、このまま命終え、財物は尽き、もともと(他の人に対する)恩徳がなく、頼りになるものがなく、(三)悪道に落ちた。その報いで苦しい目にあい、その後、そこから抜け出て、今生で人間となり、賤しい者となって、貧しい家の子となった。なんとか人間の形はしているが、姿はとても醜い。着ているものはボロボロ、ひとりぼっちのからっけつで孤独、まともに体を覆っておらず、物乞いをして暮らしている。飢えと寒さに苦しみ、顔はやつれきり、人間の様をしていない。その前世の自分の行いによって、その罰を受けている。人々に見せても、誰も憐れまない。町なかの道に捨てられ、丸裸で、痩せこけ、黒く醜く、醜さ極まり、他の人の比ではない。
帝王が人間の中でとりわけ尊く、もっともすばらしいのはなぜか?(彼らは)みな前世で人であったときに、善をなし、(仏の)教えを信じて受け入れ、人々に恩徳を施し、広く慈しみ、道義に従い、思いやりの心をもって喜んで施し、飲食を貪らず、人と分け合い、物惜しみせず、まったく(人と)いざこざがなかった。これらの善根福徳を積んで、命終え、その徳が付き従い、(三)悪道に生まれず、今生で人間になり、王家に生まれることができた。生まれつき尊く、独り、王として(国を)治め、人民を治め、彼らの英雄となる。顔はあくまで白く、なごやかできれいな顔、端正な身体をもち、人々に敬われ仕えられる。美味しい食べ物・きれいな服は、意のまま、望むがままに自ずと目の前に現れる。まったく(人と)いざこざがなく、人々のあいだで目立ってすばらしい。憂いはなく、幸せで、顔は光り輝いている。だからこのようであるのだ。」
仏語阿難。如世間貧窮乞丐人。令在帝王辺住者。其人面目形貌。何等類乎。寧類帝王面目形貌顔色不。阿難言。仮令使子在帝王辺住者。其面目形状甚醜悪不好。不如帝王面目形類姝好。百千億万倍也。所以者何。見乞人貧窮困極。飲食未曽有美食時也。既悪食不能得飽食。食栽支命。骨節相&T016114;拄。無所用自給。常乏無有儲。飢餓寒凍怔忪愁苦。但坐其前世宿命為人時。愚痴無智富益慳。有財不肯慈哀。仁賢為善博愛施与。但欲唐得。貪惜飲食独食嗜美。不信施貸後得償報也。復不信作善後世得其福。蒙籠項佷益作衆悪。如是寿終財物尽索。素無恩徳無所恃怙。入悪道中坐之適苦。然後得出解脱。今生為人。作於下賤貧家作子。強像人形。状貌甚醜。衣被弊壊。単空独立。不蔽形体。乞匃生活耳。飢寒因苦。面目羸劣。不類人色。坐其前世身之所作。受其殃罰。示衆見之莫誰哀者。棄捐市道暴露痟痩。黒醜悪極不及人耳。所以帝王人中独尊最好者何。皆其前世宿命為人時作善。信愛経道。布施恩徳。博愛順義。慈仁喜与。不貪飲食。与衆共之。無所遺惜都無違諍。得其福徳寿終徳随不更悪道。今生為人得生王家自然尊貴。独王典主攬制人民為人雄傑。面目潔白和顔好色。身体端正衆共敬事。美食好衣随心恣意。在楽所欲自然在前都無違諍。於人中姝好。無憂快楽面色光沢。故乃爾耳◎
仏説無量清浄平等覚経巻第一
仏告阿難。譬如世間貧窮乞人在帝王辺。形貌容状寧可類乎。阿難白仏。仮令此人在帝王辺。羸陋醜悪無以為喩。百千万億不可計倍。所以然者。貧窮乞人底極厮下。衣不蔽形食趣支命。飢寒困苦人理殆尽。皆坐前世不殖徳本。積財不施富有益慳。但欲唐得貪求無厭。不信修善犯悪山積。如是寿終財宝消散。苦身積聚為之憂悩。於己無益徒為他有。無善可怙無徳可恃。是故死堕悪趣受此長苦。罪畢得出生為下賤。愚鄙斯極示同人類。所以世間帝王人中独尊。皆由宿世積徳所致。慈恵博施仁愛兼済。履信修善無所違諍。是以寿終福応得昇善道。上生天上享茲福楽。積善余慶今得為人。遇生王家自然尊貴。儀容端正衆所敬事。妙衣珍膳随心服御。宿福所追故能致此
仏告阿難。若言是也。帝王雖於人中好無比者。当令在遮迦越王辺住者。其面形類甚醜悪不好。比如乞人在帝王辺住耳。其帝王面目。尚復不如遮迦越王面色姝好。百千億万倍。如遮迦越王於天下絶好無比。当令在第二天王辺住者。其面甚醜不好。尚復不如帝釈面類端正姝好。百千億万倍。如天帝釈。令在第六天王辺住者。其面類甚醜不好。尚復不如第六天王面類端正姝好。百千億万倍。如第六天王。令在阿弥陀仏国中諸菩薩阿羅漢辺住者。其面甚醜。尚復不如阿弥陀仏国中。菩薩阿羅漢面類端正姝好。百千億万倍。仏言。阿弥陀仏国諸菩薩阿羅漢面類。悉皆端正絶好無比。次於泥洹之道。
「おまえの言う通りだ。
帝王は、人間の中で比肩するものがいないほどすばらしいものだが、もし転輪聖王のかたわらに立ったら、その面貌はとても醜く、きれいでない。あたかも物乞いが帝王のかたわらに立ったようなものである。帝王の面貌も、輪転聖王の面貌のすばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。
輪転聖王は、世界でもっともすばらしく、比肩するものがいないが、もし、(欲界の下から)第二番目の天の王(帝釈)のかたわらに立ったら、その顔はとても醜く、きれいでなく、帝釈の面貌の端正さ・すばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。
神々の王、帝釈が、もし、(欲界の下から)第六番目の天(他化自在天)の王のかたわらに立ったら、その顔はとても醜く、きれいでなく、第六天(他化自在天)の王の面貌の端正さ・すばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。
第六天の王が、もし、阿弥陀仏国の菩薩や阿羅漢たちのかたわらに立ったら、その顔はとても醜く、阿弥陀仏国の菩薩や阿羅漢たちの面貌の端正さ・すばらしさにはまだ百千億万倍もかなわない。」
仏は仰った。
「阿弥陀仏国の菩薩や阿羅漢たちの面貌は、みな端正で比肩するものがないほどすばらしく、涅槃の状態(に入った仏)に次ぐものである。」
仏説無量清浄平等覚経巻第二
後漢月支国三蔵支婁迦讖訳
◎仏告阿難若言是也。如帝王雖於人中好無比当令在遮迦越王辺住者。其面目形貌甚醜悪其状不好。比如乞人在帝王辺住耳。帝王面醜。尚復不如遮迦越王面色姝好。百千億万倍也。如遮迦越王。於天下絶好無比。当令在第二忉利天帝釈辺住者。其面甚醜不好。尚復不如天帝釈面貌端正姝好。百千億万倍也。如天帝釈。令在第六天王辺住者。其面貌甚醜不好。尚復不如第六天王面貌端正姝好。百千億倍也。如第六天王。令在無量清浄仏国中。諸菩薩阿羅漢辺住者。其面甚醜。尚復不如無量清浄仏国中。諸菩薩阿羅漢面貌端正姝好。百千億万倍也。」
仏言。無量清浄仏諸菩薩阿羅漢面貌。悉皆端正絶好無比。次於泥洹之道也。
仏告阿難。汝言是也。計如帝王。雖人中尊貴形色端正。比之転輪聖王。甚為鄙陋。猶彼乞人在帝王辺。転輪聖王威相殊妙天下第一。比忉利天王。又復醜悪不得相喩。万億倍也。仮令天帝比第六天王。百千億倍不相類也。設第六天王。比無量寿仏国菩薩声聞光顔容色不相及逮。百千万億不可計倍
阿難。譬如下賤半挓迦人。対於輪王則無可諭。威光徳望悉皆無有。又如帝釈方第六天。威光等類皆所不及。園苑宮殿衣服雑飾。尊貴自在階位神通。及以変化不可為比。唯受法楽則無差別。阿難応知。彼国有情猶如他化自在天王。
復次阿難。譬如有人少有財宝。対受灌頂位刹帝利王所有威勢悉皆不現。又刹帝利対天帝釈前。所有威勢悉皆不現。又天帝釈対他化自在天。所有威勢悉皆不現。又他化自在天等。及色無色界一切威勢。対無量寿如来極楽国土。悉皆不現。如是彼土功徳荘厳不可思議